第314話:落とし蓋

 ガイアはカエリアと共に料理を作っている。

 魔界から帰ってきて三日になるけれど、まだ少し夢見心地な部分がある。


「ガイア、汁に少し塩を足しておくれ」


 ガイアは少なめに塩を加え、味を見た。

 薄めだけれど、しっかりと味はついている。


 仲間達は濃いめが好きなのだけれど、カエリアとグラードンは歳だからか薄い方が良いようだ。


「しばらくは焦がさないように見ておけば良いかね」


 カエリアはそう言ってかまどから少し離れた場所に座った。


 ガイアも鍋に木の蓋を落とし、隣に座った。ちなみに頭の上には赤ウミウシがいる。


「ガイア、もう一度話しておくれよ。魔界を壊して、レベルアップした話をね」


 赤ウミウシをなんとなく撫でているとカエリアがそう言った。

 帰ってきてから何度目になるか分からないけれど、そうやってせがまれるので話している。


「お婆様……」


 ガイアは話をする。

 グラードンが狭い空間ではスキルを使えないと言ったこと。

 そのせいで自分が破壊を試みたこと。

 やる気になったけれどやっぱり自信がなくなったこと。

 他にもたくさんのことがあった。


 そして最後にはみんなの力を借りて魔法を放ち、魔界や主を倒して、この世界に帰ってきたこと。

 それと同時にレベルが上昇したこと。


 繰り返しているのでガイアは話し慣れてしまった。


「いやぁ、痛快だねぇ!」


 カエリアは手を叩いて笑った。

 ガイアは照れ臭かった。


「タナトスに放った魔法を見たときにも成長したと思ったけれど、それを越えてくるんだからねぇ!」


 魔界に行く前、現れた守護者タナトスに向かってガイアは魔法を放った。

 憧れの祖母とおじさんが見ていたので当然気合いが入っていた。


「レベル3かい……。ついこの前までこんなに小さかったのに随分と早く成長するものだよ」


 鍋から湯気が立ち昇っている。

 ガイアはその様子をじっと見つめた。


 ガイアは十九歳になった。

 この歳でレベル3はかなり早い方だ。

 スキルのことを考えると早すぎると言っても良かった。


「答えが出てしまえば明らかだろう? 遅い遅いと思っていた成長も本当は早かったのさ。仲間のおかげもあるだろうけれど、存外に早く歩いていたんだよ」


 ガイアは少し困って、笑ってしまった。

 それは自嘲かもしれなかったし、肯定だったのかもしれない。


「……いつからだろうね。追い抜かれることに悔しさを感じなくなったのは」


 カエリアは赤ウミウシを少し見つめた後で、空を仰いだ。


 ガイアは「まだ背が見えてきてすらいない」と言おうとしたけれど、黙っていた。きっとそういうことではないと思ったからだ。


「スキルはまだ成長するけれど、私自身は老いてゆくのさ。それは魔法でも変えられない真理で、誰だっていずれ歴史の波に飲まれてゆくんだよ」


 カエリアは笑っていた。


「悲しい話だと思うかい?」


 ガイアは頷いた。するとカエリアはまた笑った。


「これは悲しい話なんだ。だけど、歳をとると救いだとも分かるんだよ」


 鍋がコトコトと鳴る音だけが聞こえてくる。


「顔を覆いたくなるような失敗も、知ってる奴はいなくなっていくのさ。だから、醜くもがいたこともいずれは消えてゆく。ガイアは私のお婆様のことはよく知らないだろう?」


 その通りだったけれど、ガイアは頷きたくなかった。


「会ったこともないんだから当然だよ」


 カエリアは笑う。遠い目をしながら。


「そんな中で残っているのは『何をしたか』じゃなかったのさ、私にとってはね」


 ガイアはカエリアから目が離せなかった。


「こんなことを言われても困ると思うけれど、私自身が思い出の棺桶になるんだよ」


「本当に困ります」


「それで良いのさ。ガイアは老いてもそう思わないかもしれないしね。だけど、若いときには捨てたくてたまらなかったものが宝物に見えたりするんだから、年寄りは嫌だよねぇ」


 カエリアは立ち上がった。

 そして鍋の蓋を拾って、中身をかき混ぜ始めた。


 ガイアは立つことができなかった。

 

「ガイア、こっちにおいで」


 一呼吸おいてから頑張って立ち上がる。


「あんた達は良い肉を干しているけれど、臓物を食べた方が疲れにくいよ。綺麗に洗ったものを干すか塩漬けにするんだ。匂いのあるものはいぶしても良い」


 今日の鍋にはグラードン持参の干し肉がたくさん入っている。何の肉のどの部位かも分からないほどだった。


「これは古いやり方だけど、どうしようもないときには炭を入れて煮るとましになるよ。今更そんなヘマはしないと思うけれど、冒険者になりたての子供は下処理を甘く見るからね」


 カエリアは鍋の底を軽く混ぜた後で、再び蓋を落とした。その様子をじっと見ているとカエリアは含みのある顔になった。


「そういえば、あのモフってのは面白いね」


「モ、モフくんですか?」


 上ずる声を抑えて言うとカエリアは空に向かって笑った。


「グラディウスのじじいが祖父なだけあって、古い言い回しもよく知っているしね。それに父親も変わり者みたいだ」


「お婆様はグラディウス様を知っているのですね」


 そう言うとカエリアは苦い表情になった。


「何の自慢にもならないけれどね。食えない爺さんだけれど、信用はできるよ」


 きっと自分が知らないことがたくさんあるのだろうとガイアは感じた。それこそ、カエリアが言わないと決めたことも潜んでいそうだった。


「時間があったから色々話したけれどね。あの子は父親の言葉を胸に日々頑張っているらしいよ」


「モフくんの話ですよね?」


 カエリアはゆっくり頷いた。


 ガイアもモフとよく話をするけれど、あまり家族の話を聞いたことはなかった。


 モフはいつも飄々としていて穏やかだけれど、たまに熱い気持ちを出すことがある。その源をガイアは知りたいと思っているけれど、そこまで踏み込むことはできていなかった。


「どういう話なのですか?」


 ガイアは少しだけカエリアに近づいた。


「ふと聞いてみたんだ。『悩むこともあるのかい』ってね。いや『つらくないかい』だったかね。細かい流れは忘れたけれど、話しているうちにこんな風に答えたんだ――」


 ガイアはいつも穏やかで芯の強いモフの顔を思い浮かべた。


「『葛藤や矛盾が人生の醍醐味だ』ってね」


 ガイアは少しだけ息が苦しくなった。


「私は笑ったよ。歳の割りにじじ臭い考えだったからね。でも嫌いじゃないだろう?」


 ガイアは「はい」と言った。


「モフがどれだけその言葉の重みを分かっているのかは知らないけれど、久しぶりに愉快だったよ」


 カエリアはまた笑った。

 そしてひとしきり笑った後でまた鍋のところに行った。


「ガイア、味を見てごらん」


 ひと匙だけ掬った汁をガイアは含んだ。


「グラードンが見境なく肉を入れたから訳が分からないけれど、味はまとまっているだろう? しばらく待つと口に複雑な余韻が残るんだよ」


「そう、かもしれません」


 ガイアが神妙に言うとカエリアはニヤリと笑った。


「これが醍醐味だなんて、頭の良さそうなことを言うつもりはないよ。ただ『美味い』で良い。でも、語ろうと思えばいくらでも考えられるってだけの話だね」


 ガイアは理解しきれず首を傾げた。


「さて、そろそろ煮詰まってきたし、みんなを呼ぼうか。ガイアはパンを炙っておくれ」


「わ、分かりました……」


 硬くなったパンを火にかけながらガイアは考えていた。

 カエリアのこと、グラードンのこと、そしてモフのこと……。


 スキルは【綿魔法】なのに芯があるモフは、思ったより矛盾に満ちているのかもしれなかった。

 だけど、それが味なのだとしたら、ガイアは美味しいと感じそうだ。


「それはつまり……」


 そんなことを考えていたものだから、ガイアは少しパンを焦がしてしまった。でも、合流してきたみんなには、なぜだかそれが好評で、今日の話は全体的にそんな感じだったと締めくくることしかできなかった。

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