第295話:懐かしいこと

 王都の拠点にいるキトは机に突っ伏していた。


 ドルシーラの作った道具で静電気を発生させ、セネカの纏いの能力を確認するまでは良かった。


 その後、メネニアから渡されたというルキウスの母が書いた本を読んだのも問題なかった。


 やはりルキウスの母で間違いなさそうだと分かったし、ルキウスの母のことをよく知ることができてセネカも楽しそうだった。


 キトにもルキウスの母ヘルウィアの記憶はあったけれど、それほど関わり合う機会はなかったので、会話は限定的だった。


 そして、ルキウスが「この本を自分も欲しい」と言って、ギルドや本屋に依頼を出して、それなりの高額のお金を払うとしたのも、別に良かった。


 正解が分かっているから贋作も見分けられるし、もしかしたらまだ見ぬ本がある可能性もあるため、お金の使い所としては間違いなかっただろう。


 だが、その後のことがかなり面倒だった。本を所持していると名乗り出た子がルキウスに惚れてしまったのだ。


 本を渡すことを条件にルキウスと出かけようとしたり、何とか会う機会を増やそうと不可解な行動に出たりして、混沌とした状況になった。


 セネカは少し情緒不安定だったし、ルキウスがきっぱりと断る姿にその子がかえって燃え上がったり、話し合うセネカとルキウスがいつの間にか二人の空間を形成していたりして何だかキトは気疲れしてしまった。


 結局セネカが突撃して、恋人がいると知ったその子は逃げるように消えた。だけど、いくつか始末を付けなくてはならないことがあったので、キトが奔走することとなった。


 その子はさぞ驚いただろう。一見普通の少女がやってきたと思ったら、それが今をときめく金級冒険者『縫剣』セネカがだったのだ。心臓に悪かったはずである。


 だが、随分と余計なことをしてくれたという気持ちもキトにはあった。依頼を受けたギルドの人も情報を漏らしてしまうなど迂闊なところがあったのだけれど、それを責めすぎないようにしながらも責任は認めさせなければならなかった。


 ギルドとの交渉は、ルキウスやセネカに任せてもうまくやったと思うけれど、二人は当事者なので念のためキトが矢面に立つことにしたのだ。


「でも、懐かしかったかな」


 キトは身体を起こして乱れた髪を整える。


 いま『月下の誓い』で王都にいるのはセネカ、ルキウス、キトの三人だけだ。三人しかいない機会は意外となくて、こんなに長く三人でいるのは本当に久しぶりだった。


 村の子供達と馴染めなかったセネカは、良く『棒振り』とか『泥んこ』と呼ばれていじめられていた。いま思えば、見ているものが違いすぎて知らないうちに浮いてしまったのだろう。もちろん嫉妬もあったはずだ。


 ルキウスも別の意味で浮いていた。男の子からはよそ者扱いされていて、女の子からは遠巻きに眺められていた。


 二人は今の何百倍も融通が利かなくて、キトが周囲の子供や大人達と話をすることもあった。最近やったことはその時と本質的に同じだ。


 キトは、自分は擬態するのがうまかったのだと分析している。貪るように本を読んでいたキトも精神的には浮いていたけれど、うまくやり過ごす術が自然と身についていたのだ。


 村の子達の気持ちも分からなくなかったけれど、セネカとルキウスのことがずっと気になっていた。だからこそ、幼いなりに間に立つことがあったのだろう。


「私も変わらないのかな……」


 キトは部屋の棚に置いてある小瓶を取った。これはいま量産化しようとしている薬の一部だ。


 量産化と言ってもそれぞれの薬師の店で作ってもらい、一括納品してもらうようなことなのだけれど、相応に大きなことだった。


 キトはこれを後回しにして片手間にやれば良いと考えていたけれど、師匠のユリアに諭されて本格的に進めることにしたのだ。


 そう決めた理由はいくつかあったのだけれど、大きいのはお金の問題だった。マイオルと一緒に行った試算がある程度正しければ、量産化によってキトは今後食べるのに困らなくなる。


 セネカ達とは別の方向性で定期的に入ってくる収入があることで、キトはより自分のやりたいことに集中できると考えたのだ。


 それに伴って国とも取引をすることに決めた。ドルシーラに協力してもらって情報を精査し、王族とも繋がりを持つことに決めた。当然王立魔道学校時代に面倒だったセルギウスが相手ではない。その妹の王女殿下だ。


 王女様は現在王立魔道学校に在学中で、魔法系スキルを利用した市民生活の向上に興味があるようだった。少し浮世離れしたところもあったけれど、会ってみて聡明で努力家な方だと思ったので、キトはその王女を通して今後話をしていくことに決めた。


「あともう少しかな」


 現在七種類の薬が再現されている。これはキトのサブスキル[微量]によって調合した薬を一般的な薬師の技術でも作れるようにしたということだ。実際のところ効果はかなり下がっているのだけれど、現状で調べた限り、市販するのに十分な品質だった。


 サブスキルを使わずに再現する方法を編み出したのはキトなのだが、これを一般的な薬師にやってもらうのが意外と大変だった。熟練しているからこそ起きやすい間違いや、得意分野の違いなどもあって中々進まなかったのだ。持っているスキルがそれぞれ違うことも大きいだろう。


 それに、製品を広めるためには中級の者にも作ってもらえた方が良かった。そのためにキトは各工程ごとの失敗原因を分析し、コツのようなものを何とか数値や言葉にして、うまくできるように整える必要があったのだ。


 まだ十分に整備できたとは思っていないけれど、現場の人たちが自分たちで工夫してくれそうな状況になってきたので少しずつ手を引いている最中なのだ。


 この事業をすぐに進めた方が良いと師匠が言ってくれたことにキトは感謝した。後々こんなことになるのであれば、市販を考える薬は工程を整えながら開発した方が早い。


 今回様々なスキルを持つ人の調薬方法をじっくりと学ぶことができたので、僅かだけれど視界が広がった。


 そんな訳で、最初の二種類くらいまでは大変だった薬の再現も段々と加速して、今では七種類目だ。まだいくつか改善しなければならないことはあるのだけれど、いずれ達成できる予感がある。


 商売に関することはマイオルの実家のメリダ商会に全て任せることにした。そこまで考えたくなかったし、技術を学べたのでキトはもう満足していた。


 もう少ししたら一旦すべて忘れて、やるべきことを整理しようと考えているほどだ。


 正直に言えば、次にやりたいことはほとんど決まっていた。それは……。


「キト、マイオルから手紙が届いたんだけど一緒に読まないー?」


「はーい。今行くから待っていて!」


 セネカだった。呼ばれたので小瓶を棚に戻し、立ち上がる。どんな連絡が来たのか分からないけれど、事件の予感がするとキトは感じた。


 セネカとルキウスから聞いた教会の本の話をゆっくりと吟味したかったのだけれど、その時間が取れるかは手紙の内容次第だった。




◆◆◆




 教会の禁書庫にある本にはいくつかの種類がある。御業に関するもの、歴史に関するもの、影響が大きすぎて公表することができなかったもの……。


 そんな本の中には、太古に流行した風土病の記録や今では使われなかった薬の素材に言及した本も存在していた。


 薬師キト、そして『現代製薬研究の金字塔』とまで言われる業績を残した師匠ユリアは、ルキウスとセネカから間接的にその情報を仕入れた。


 それが何を意味するのか分かっている者は、教会には存在しなかった。

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