第285話:寂しさの正体

 今日は月詠の日だ。ここは樹龍の領域だけれど、外の世界と何にも変わらずに月が見えている。


 教会の言葉を借りれば女神アターナーの威光が高まる日だ。

 月詠の国であれば、神の祝福が得られやすい日だと言うのかもしれない。


 セネカの知る限り、全ての人はこの日に神からスキルを授かる。

 セネカは信心深くないけれど、『そういうものなんだな』とずっと思っていた。


『龍が生じた時、機構は既に存在していた』


 樹龍は静かに語り始めた。


『神の声が頭に響き、世界の仕組みや龍が果たすべきことを理解した』


 セネカはその場に座ることにした。疲れたんじゃなくて、樹龍と月を同時に見たかったからだ。


『様々なことがあった。時に他の龍と会い、時に人と対話し、この世界に関する知識を深めていった』


 いまセネカは伝説を聞いている。口伝えや本に残っていたものではなく、実際にそれを見てきた生の話をだ。


『知れば知るほど、この世界の機構は複雑に作られている。分かることが増えるほど、分からないことが増えてゆく』


 セネカは龍のことを誤解していたのだと気がついた。


 長く生き、知識をためていけば分からないことはほとんどないのかもしれないと思っていたのだけれど、言っていることは真逆だ。


『複雑に条件付けされたものには意思があるように見える』


 樹龍の話は淡々と進む。端的に簡潔に。

 だけど、むしろ切なさが込められているように感じるのは何故だろうか。


 セネカは大きく目を見開いた。


『最初にそのことを指摘したのは青い奴だ。この世界は仕組みで進んでいて、何かの意思がなくても成り立ってしまう』


 セネカはささやかな風を感じた。

 雑草が揺れてかすかに音がした。

 これは樹龍が鳴らしたのだろうか。


『それ以来、仕組みを機構と呼んでいる』


 なぜかセネカは胸が詰まるような感覚を持ち始めた。自分には何にも関係ない話を聞いているはずなのに不思議と引き込まれてしまう。


『龍は神の加護とは呼ばなくなった。月がそれを与えているだけだからだ』


 この話が始まったのは、プラウティアが「樹龍にとって神とはどのような存在か」と聞いたからだった。


 これまではきっと前置きで、やっと核心に触れるのだとセネカは思っていた。


『機構だけで説明の付かないことは多い。世界の奥には神がいて、全てを統括し、必要な働きをしているのかも知れぬ』


 龍の力は強大だった。到底打ち破れそうにないほどにセネカ達は圧倒された。

 そんな龍が少しだけ小さく見えるのは何故だろうか。


 長い長い空白の後で樹龍は言った。


『神との邂逅を果たした龍は居らぬ』


 樹龍が曖昧な表現をしていた理由がやっと分かった。


『神の声を聞いたのは、生じた直後の一度だけだ』


 いつの間にかセネカの目には涙が浮かんでいた。

 興味深い話には間違いがなくて、生の伝説を聞いて高揚もしていて……。


 なのに、一番溢れてくるのは切なさだった。

 寂しさだった。


『声は確かに聞こえていた』


 きっと樹龍の記憶は正確なのだろう。

 断言する響きがある。


 しかし、その後の時間は果てしなく長いもののはずで、段々に薄まってくるのだろう。


『龍にとって神は最も信じたいものだ』


 樹龍から滲み出てくるものは諦念なのだろうか。


『龍にとって神は薄れゆくものだ』


 その言葉を聞いた時、セネカは理解した。


 龍はスキルを持たない。

 レベルアップの声を聞くことすらない。


 記憶は確かでも、それが本当であったのか分からなくなる。そういうことなのだろう。


 そのことに思い至って、セネカは自分が樹龍の話に寂しさを感じる原因が分かってしまった。


 樹龍に感情があるのかも分からない。

 話の規模も全く違くて、比べるようなものではない。

 だけど、似ていたのだ。


 セネカにも確かな時間があった。

 両親と笑い、それがずっと続くのだと思うことがあった。


 そして最後の時間もあった。

 幼いセネカには分からなかったけれど、両親は命を賭す覚悟を決めて、自分から離れていった。


 両親の影。

 理想化した英雄像。

 楽しい記憶。


 それはセネカが心の底から信じたいものたちだった。

 けれど、成長するほどに薄れてゆくものでもあった。


 セネカは涙を流していた。

 月の光が目に滲んで、不思議に痛い気がしてくる。


『龍は災厄から機構を守る』


 セネカはもう立ち向かわなければならない気持ちになっていた。





『種を授ける』


 静かに樹龍の言葉を反芻しているとまた声が聞こえてきた。


 プラウティアが両手を出していて、その上には幾つかの種が乗せられていた。ごつごつした殻のある丸い種だ。


「これは……?」


『地に埋めれば依代が生じる。使うが良い』


「聞きたいことができたら使って良いということでしょうか?」


 プラウティアが聞くと樹龍は微かに頷いた。

 どれだけ教えてくれるかは分からないけれどかなり心強いとセネカは感じた。


 改めて仲間たちの顔を見ると、いろんな表情が見えた。困惑、覚悟、疑問……。どれも当然のものだ。


 そして一目見て、『月下の誓い』のみんながもう心を決めていることが分かった。すごく早い決断だ。


 ルキウス、マイオル、ガイア、モフ、プラウティア……。

 みんなが『災厄』に立ち向かう意思を持っているとセネカは感じ取った。


『乗るが良い』


 舟型の木が地面から生えてきた。これで帰れということなのだろうけれど、セネカは前に進むのをためらった。


 なぜならそれは、この冒険の終わりを意味しているからだった。


 覚悟を決めた『月下の誓い』の五人に対して、他の六人が浮かべていたのは寂寞せきばくの表情だった。


 プラウティアを守ることができた。

 全員大きな怪我もなく乗り越えることができた。

 はっきり言って、作戦は大成功だ。

 だからこそ、余計に感じるのだろう。


 別れの時間が迫っている。


 これからセネカたちはこの森を抜ける。

 そして、プラウティアの家族や王国や教会やギルドの関係者に話を伝えることになるだろう。


 片付けなければならないことは沢山あるけれど、みんなで手分けしたらすぐに終わってしまう。そしたらこの護衛団は解散だ。


 プラウティアを助けるためにみんなが集まってくれた。ケイトーは『金剛不壊』のリーダーだし、ニーナたち『羅針盤』にもやりたいことがあるはずだ。


 こんな冒険を共有したのだから、これまでよりも関係は密接になるかもしれないけれど、まずは一度別れて、それぞれの家に帰らなければならない。


「乗れ」


 誰もが立ち止まる中、真っ先に木の舟に乗ったのはケイトーだった。


「まだ終わりじゃない」


 それがこの冒険のことを指しているのか、それともこの関係のことを指しているのかは分からなかった。


「そうですね」


 ルキウスが足を踏み出した。

 プラウティアがくるんとその場で回って舟に向かった。

 マイオルが舟に飛び乗った。


「セネカ、帰ろうよ」


 地面に突き立てた槌の上に乗っているニーナがそう言った。打撃部が上側だ。


「加護か……。あるのが良いのかないのが良いのか難しいだろうね」


 プルケルはなぜかファビウスを抱きかかえていた。


「ない方が良くても求めてしまうから冒険者なんかやってるんだよ」


 ストローは樹龍に手を振った。


「セネカ、行こう」


 ガイアが左手を握ってくれた。

 メネニアが右手を握ってくれた。


「力をつけて、白龍を探すね」


 セネカは樹龍に言った。


『プラウティア、また会うときまで』


 けれど、樹龍が言ったのは自分のめぐし子に対する別れの言葉だった。


 とっても分かりやすくって、セネカは笑ってしまった。


「ねぇ、ずっと眠っていて面白い夢は見れた?」


 なぜか最後にそんなことを聞いておきたくなった。


『龍は夢を見ない』


 セネカは思わずマイオルを見た。

 するとマイオルはせっかく乗った舟から飛び出して言った。


「じゃあ、今度は人が夢を見せる番ね」


 どういうことかは分からなかったけれど、マイオルらしいなとセネカは思った。


 そして、セネカは舟に乗り、ゆっくりと座った。

 思ったよりも良い乗り心地だった。


 舟はまるで水に浮かんでいるかのように滑らかに進み始めた。

 洞を通り、荒地を通り、そして高山平野に差し掛かってからセネカは気がついた。


 樹龍が用意してくれたのは、船出の時だったのだ。

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