第6話 訪れた変化
瞼に感じる眩しさで目を覚ました。目を薄く開けてみると、カーテンが閉め切れていなかったらしい。二度寝する気にもなれず体を起こした。体が鉛のように重い。たぶん疲労だろう。昨日はいろいろありすぎた。
飯の後もミコが風呂についてこようとしたり、ベットに潜り込もうとしてきたりで俺一人だったら自分を制御できた自信がない。サツキに帰ってきてもらって本当によかった。
「あ……? なんだこれ」
起き上がった俺の前に妙なものがあった。
白くて薄い帯のような紐がどこからか伸びて宙を漂っている。俺は何気なくその紐を掴んで引っ張った。誰だこんなもの家に置いたの……。
いや、待て。風なんて吹いてない。どうしてこの紐は浮いている?
まずい。そう思ったときには遅かった。ない。なくなっている。手の内にあったはずの紐は初めからなかったかのように消えていた。
「きゃ!」
下から悲鳴が聞こえてきた。このタイミング、まさか俺が原因じゃ……。
じわりと嫌な汗が背中をつたう。部屋を飛び出して階段を駆け下りる。声がしたのは台所か。包丁、鍋、熱湯……あらゆる最悪の事態が頭を巡る。
「おい無事か!」
「さ、サダヒコさま!?」
台所にはミコが立っていた。俺を見て明らかに動揺している。台所自体に異常はない。ミコの肌が怪我をしている様子もない。あとついでに服もない。
「いや、なんで裸なんだよ!?」
「ち、違うんです! これは違うので、見ないでください!」
慌てて顔を伏せるが、目に焼き付いてしまった。服の下の肌は露出している部分よりもさらに白かった。見えてはいけないところまで見えたし、ちらりと見えたお腹にはうっすらと縦に筋肉の線があった。
綺麗だった。もし俺が美術部員だったら石膏で彼女の像を掘ったに違いない。
……いや、何言ってんだ俺は。駄目だ。頭が沸騰してるな。
隣を駆け抜けていったミコがどたばたと物音を立てた後、制服に着替えて戻ってきた。その顔は赤く紅潮していて、目を頑なに合わせようとしない。
「お、おはようございます」
「う、うん……おはよう。さっきは悪かったけどさ、台所で裸はちょっと……」
「いや、これは違くて。その……」
ミコが珍しく口ごもる。何かあるなと思った俺は地面に落ちていたものに気づいて拾い上げた。広げてみると大きめのエプロン。
いや、裸エプロンって。
「サツキもいるんだからこんな格好するなよ!?」
「違うんですよ! 私だって見られたら恥ずかしいので、サツキさんの部屋はちょっとの間だけ結界で隔離してます! 着替えたのも調理後ですし。ただ火の消し忘れだけ確認しようと台所に寄ったら急に解けちゃって……あれ? 破けてる」
「あー……」
ものすごく心当たりある。でもなんだろう。これ俺が悪いか?
「サダヒコさま?」
「あ、いや。何でもない。それより……結界で隔離って何だよ? それやりたい放題できちゃうってことだよな? 聞いてないんだけど?」
「あ、あはは。そんな怖い顔しないでくださいよー。ちょっと外の音とか振動を遠ざけてるだけです。ほら。私巫女なので神社の神域をつくる要領で、その、ちょちょいみたいな?」
「ちょちょいじゃねぇ!?」
マジかよ。これサツキがいても関係なしってことか。
いや、でも妙だな。それなら昨日の夜だって同じことができたはずなんだが……。
「おはよ兄ちゃん」
「ああおはようサツ……え?」
寝ぐせをつけたままサツキがリビングにやってきた。眠そうに目をこすっている。どういうことだ? ミコはさっき結界に隔離したって言ったはず。
「あれサツキさん!? お、おはようございます。随分と早起きですね……まだまだ登校まで時間ありますよ?」
「ミコちゃん、はよー……だって、遅刻したら駄目だし……」
ミコもサツキがいることに驚いている。サツキにも実は何か力があるとかか? いやさっき自分で外からって言ってたな。そうか外からは駄目なのか。
「……おいミコ。さっき言った結界、さては普通に出られるな?」
「な、何のことですか?」
「おーいサツキー、兄ちゃんからの電話は常に聞こえるようにしといてくれー」
「あー! ずるいですよそれは!」
どの口が言うのだろう。まぁ、裸見られるの恥ずかしがるくらいだから過激なことはしてこないはずだ。……だよな?
「音も振動も遮断できるのにスマホの電波遮断できないってどういうことなんだ? 結界って実は結構ざるなのか?」
「遮断じゃなくて、遠ざけてるだけですよ。結界で遠ざけて弱めても電波って繋がりやすいんですよ。しかも送受信するから一度繋がっちゃえば完全に穴開いちゃいます。本当にすごいです、電話って。霊界に繋がりやすかったりもしますし」
なるほど……後半は聞かなかったことにしよう。
色々考えていたせいか腹が鳴った。それは相手に聞こえるくらい大きかったようでミコがふふと笑った。
「ご飯にしましょうか」
「そ、そうだな」
なんだか気恥ずかしくて頬をかく。
食卓へ向かう中、俺は何かをミコに伝え忘れている気がした。
* * * * * *
学校へ向かう途中でサツキを中学校へと送り出し、俺とミコは学校へ向かった。今朝のことがあって恥ずかしくてなんと声を掛ければいいのかわからない。
「い、いい天気だな」
「そう、ですね」
会話が続かずもどかしい時間が過ぎる中、たったったと小走りな足音がした。普段は聞き逃してしまうが、その軽快なリズムを俺はよく知っている。今度はどつかれまいと振り返ったとき、その小さな影は俺に抱きついてきた。
「おはよ! サダヒコ!」
「お……おう!? 」
「まめさん何を!?」
ミコがわなわなと震えている。俺も驚いていた。いつもはどついてくるまめが急にどうしたんだ。
「んふ、なんでもない! みい子ちゃんおはよ!サダヒコはおはよって返さないの?」
「あ、ああ……おはよう。
催促されたので挨拶を返したら、なんだかすごい呆れた顔をした後に腹に顔を埋めてきた。そのままぐりぐりと押し付けてくる。痛くはないけど、腹いっぱい食べた腹にはキツイ。いきなりなんなんだマジで。
「お、おいおいどうしたんだよ一体」
「まめちゃん」
「へ?」
「まめちゃんって呼んで?」
まばたきをした後、ミコと顔を見合わせる。何がなんだかわからない。固まっているとミコが口を開いた。
「お名前、呼んで差しあげたらどうです?」
「いや、それやると他の男子の目が」
「お腹に顔押し付けられてる今のほうが絵面的にちょっと。まめさん背が低いので、その……お股に近いです」
「あ、そう見える!? おい離れろ猫坂!」
まずい。あたりを見渡せば登校中の生徒がちらほらいる。
力で引き離そうとしたが、そうだコイツ運動部だ。帰宅部の俺じゃ勝てるわけがない。
「ま、まめちゃん! これでいいか、まめちゃん!」
「えへへ。なぁに?」
何じゃねぇ! くそ、どうなってんだ。
「まめさん、ずいぶん積極的ですね。昨日はそんなことなかったのに」
「うん! サダヒコが昔みたいにまめちゃんって言ってくれたから!」
天真爛漫にまめは微笑んだ。俺は乾いた笑いしかでてこない。
やっちまった。そうだ、俺はまめがこういうことをしてくるから俺は距離を置いたんだ。まさかあんな意味もなくまめちゃん呼びしただけでこんなに距離を詰めてくるなんて想像もしていなかった。
「ねぇ、サダヒコ! 今日、家行っていい?」
「おい大声で誤解される言い方すんな!?」
「みい子ちゃんもいるんだからいいよね!」
「いや付き合ってるわけじゃないしさ……」
「みい子ちゃんだって、そうでしょ? じゃあ、今日遊びに行くから! 後でね!」
「ちょ、ま」
俺の返事も聞かず、まめは飛び出していった。もはや見えなくなった背中に手を伸ばす。ミコが冷たい視線を俺に向けていた。
「……サダヒコさまって、実は女たらしですか?」
違うと言いたかったのに現状を振り返ると否定できなかった。
……どうやら俺の平穏な日々は休暇を取って白川郷へ行ったらしい。
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