3. ボロアパート

 はふはふと、彼女はとても満足げに、どんどん食べ進めた。お茶のペットボトルにも手を伸ばしたが、蓋の開け方が分からないらしく首を傾げている。

 こうするんだよと佑がジェスチャーすると、やっと蓋を開けて、それからゆっくりと口に含んだ。


『美味しい。ちょっと苦くて。でも、安心する味』

『緑茶、普段飲まない?』

『りょく……? 飲まない、です』

『そっか。俺はよく飲むんだ。温かいのは、お茶とコーヒーくらいなんだけど、コーヒー苦手で。大抵はここで買って、冷めないうちに家まで走って、それから食うんだけど。今日は君と食べれて良かった。久しぶりに、誰かと一緒に夜飯食った。ありがとう』


 佑が言うと、彼女はスプーンを皿に置き、胸の辺りでギュッと拳を握り締めた。


『わわわ、私の方こそ! ありがとうございます。あ、あなたが声を掛けてくださるまで、ずっと……、ど、どどどなたも見て見ぬ振りと言いますか。わ、私、行くところが……、なくて。 こっ、ここ、ここは、ずっと明かりが付いていましたし、ひひ一晩中営業しているのだと聞いて。そそ、それ、で、どうにか朝日が昇るまで、……耐えて、それから行く当てを探そうかと』

『行くところ、ないの?』


 彼女は目に涙をため、こくりと大きく頷いた。


『お金もないから、何も買えなかったってこと? 寝るとこも……、ないわけだよね……』


 食べかけのオムライスを目の前にして、彼女はボロボロと涙を流し始めた。

 ダメだ。女の子を、泣かせてしまった。

 佑は申し訳なくなって、ポケットからハンカチを取り出し、彼女に差し出した。


『俺んとこ、来る?』

『え?』

『あ……ッ! もも、勿論、手は出さない。寝るとこ、ないなら。俺んとこで良いなら、泊まりなよ。明日からのことは……、明日考えよう。俺もあんまり金ないけど。少しならあるし……、多分、どうにかなるよ!』

『で、でも。ご迷惑では』

『迷惑なんて! 女の子がこんな時間に一人でいちゃ危ないよ。俺んとこ、ここの直ぐ近くなんだ。ボロアパートだけど……。君が、よ、良かったら』


 彼女は肩を震わせ、無言で頷いた。


『じゃあ、決まりね。オムライス、食べちゃって。そしたら、ちょっと色々買い足して、家に行こう』

『はい』






 ◇






「今考えると、あの頃は若かったから、何の警戒感も、不安もなくて。今だったらきっと、真っ直ぐ警察に連れてったと思いますよ。保護している子がいますって。そしたらきっと、彼女と一緒にはならなかった。それきり、会うこともなかったはずです。リディアさんの知る王女が彼女だったのだとしたら……、俺はあの日、異世界から逃れてきた彼女を、保護したって事です。確かに、そうだったら合点がいく。彼女が、何も知らなかったことも、何も話せなかったことも」


 佑は大きくため息をついた。

 スキアの足は、次第に速くなった。心地よく上下する振動も、次第に安定していった。






 ◇






 日用品や食べ物を更に買い足して、佑は彼女と一緒に、アパートに向かった。

 雨は小降りになっていたが、足元は水たまりだらけだった。

 彼女の服は、裾が地面に付きそうなくらい長かった。裾を持つといいとアドバイスして、佑は彼女のペースに合わせて歩く。

 給料日前なのに、多めに買い足してしまった。行くあてのない彼女の行き先が決まるまで、数日は面倒を見なくてはならないだろう。

 コンビニから数百メートル歩いて左に曲がる。小路の先に、古びた二階建てのアパートがある。


『二階なんだよ。上がって』


 薄明るい街灯の下、ボロボロの外階段をゆっくりと上がって行く。

 彼女は階下で目をぱちくりさせていたが、佑が上がりきると、諦めたように慎重に階段を上がり始めた。底の高いヒールでは歩きにくいのか、時折よろめきながらも、どうにか二階に辿り着く。


『怖くなかった? ここの階段、昼間見ても怖いんだよ。崩れそうで』

『え?!』

『うそうそ。崩れないよ。崩れそうなだけ』


 佑はハハハと笑って、一番奥の部屋の鍵を開けた。


『狭いし、汚いけど……、我慢してね。一人暮らし、慣れなくて』


 部屋に招き入れ、明かりを付ける。

 八畳一間、簡易キッチンとトイレ、洗面所、小さな風呂の付いた築三十年のアパートは、佑の給料で借りられる精一杯の物件だった。


『あぁ……、服。その格好じゃ寝づらいよね。この前買ったジャージ、貸すよ。まだ着てないから、綺麗だし。下着は……、ごめん、明日以降調達しよう。男物しかない。これで我慢して』


 整理し切れていない荷物の中から新品のジャージと下着を出して、佑は彼女に差し出した。

 彼女はきょとんとして、佑から着替えを受け取った。


『あの』


 テンパる佑に、彼女は恐る恐る声をかけた。


『どうして。……どうして、親切にしてくださるんですか。わた、私の……、事情も聞かずに』


 佑は目を丸くした。


『事情……? そんなの、関係あるの?』

『え?』

『困っている人を助けるのに、事情なんて聞かないよ。君は困っていた。俺は助けたいと思った。それだけだよ』


 そう、余計なことは聞かない。

 誰にだって聞かれたくないことはある。

 自分だって。聞かれたくない。


『ありがとうございます。本当に……』

『俺、寝床作っておくから。先にシャワー浴びて良いよ』


 佑はそう言って、彼女を洗面所の方へと案内した。

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