2. 深夜のコンビニ

「深夜のコンビニの……、本のコーナーに、見慣れない服を着た彼女が立っていたんです。とても綺麗な顔立ちをしていて、日本人じゃないなと。港町に住んでいたので、外人は珍しくはありませんでした。彼女は本を手に取ってはめくり、そのまま戻すのを繰り返していて。少し、変だと思ったんです。何をしたいのかと、しばらく買い物をしながら彼女のことを気にかけていたんですが、結局彼女は立ち読みをするでもなしに、しばらくそこに立っていました」


 佑の脳裏に、当時のことが鮮明に思い出されていく。






 ◇






 今はないチェーン店の、本のコーナー。外から見えた彼女の姿に、佑は息を飲んだ。気になって中に入り、ずっと彼女の様子を覗っていた。

 深夜帯、店員は一人。

 彼女の様子を気にするでもなく、レジで作業している様子。






 ◇






「十八の頃です。一人暮らしを始めたばかりで、自由気ままな生活を送っていて。腹が減ったら食べれば良いとか、……まぁ、そんな感じだったので、夜中に、買い物に行ったんですよ。そこで、彼女を見かけたんです。とても、疲れている様子でした。あの日は確か……、雨が降っていて。それなりに雨脚が強くて、傘を差しても外に出るのを躊躇するような感じだったから、ずっと雨が弱まるのを待っているのかと。俺も雨の合間を縫って、傘を差さずに来たので、本のコーナーのところで、雨が弱まるのを一緒に待っていました」






 ◇






 流行の服とはほど遠い丈長のワンピースを着た彼女は、時折窓の外を見てはため息をつき、店内を見渡しては肩を落としているように見えた。

 まだ、十代半ばくらいじゃないだろうか。少なくとも年下に見える。時計はもうすぐ二十三時。

 訳ありなのだろうか。

 佑は彼女の隣に立ち、チラチラと彼女の様子を覗った。

 彼女は、雨に濡れていた。明るい色をした長い髪も湿り、色を濃くしている。傘も持たずに外を歩いたのだろうか。






 ◇






「雨脚が弱まるまで、十分くらいはかかったんだと思います。待っている間に彼女のお腹がぐうと鳴って、俺はその音を聞いてしまったんですよ。恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女を見て、『もしかしてお腹空いてるの』って聞いたのが、始まりです」






 ◇






『もしかして、お腹空いてるの』


 佑の言葉に彼女は驚き、両手で顔を隠して逃げようとした。


『待って! これ、あげる』


 言うと彼女はピタリと足を止め、佑の方に振り返った。


『今、買ったヤツ。ここ、イートインあるから、一緒に食べよう』


 彼女は青い瞳をこちらに向け、目をぱちくりさせている。

 やっぱり外人だ。言葉が通じなかっただろうか。佑は声を掛けたことを後悔し始めた。

 突き出したレジ袋を引っ込めながら、ため息をついていると、


『いいん……ですか?』


 彼女は綺麗な日本語で、佑に言葉を返してきた。


『なんだ、喋れるんだ。良かった』


 目を潤ませる彼女に、佑は頬を綻ばせた。






 ◇






「彼女、何も持ってなくて。どこからか、逃げてきたようだったんですよ。よく見ると、綺麗な服を着ているし、靴もヒールみたいなのを履いてた。やたらと周囲を気にしていて。そんなときに声を掛けてきた俺を、きっと彼女は警戒しただろうし、これ以上怖がらせたら可哀想だと思って。……決めたんです。俺からは、余計なことは聞かないって。彼女が、話したくなるまでは、何も」






 ◇






 ちょっと広めのイートインスペース。実は初めて利用する。

 先に彼女を座らせて、レジ袋をテーブルに置いた。

 その日買ったのは、ふわふわ卵のオムライスと翌日の朝用の惣菜パン。オムライスは温めて貰っていた。


『もし良かったら、食べて。俺の、もう一個買ってくる』


 スプーンとおしぼりを一緒に渡し、買い物に戻る。

 ついでにとお茶のペットボトルも二本買う。

 席に戻ったところで、佑は少し驚いた。彼女は何にも手を付けていなかった。


『遠慮……してる? お腹、空いてるんでしょ。俺も晩飯まだなんだ。奢るよ。お金なんか取らないから』


 向かいの席に座り、佑は自分用に買ったもうひとつのオムライスを見てハッとした。


『あ、ごめん! 温かいのが良いよね。俺、そっち食うよ。君はこっちの、今買ったやつ食べて。気が付かなくてごめん』


 いそいそとオムライスの位置を取り替え、それからおしぼりの袋を開けて手を拭いた。先に買った方のオムライスのビニルをバリバリと剥ぎ、蓋を開け、裏返してビニルを蓋の上に置く。

 スプーンを袋から取り出してゴミを蓋の上にまとめ、『いただきます』をしたところで、佑の手は止まった。

 彼女は両手を膝に置いたまま、微動だにせず、佑の動きを見ていたのだ。


『ど……、どうしたの』

『え……? ええ、と……』


 目を泳がせる彼女に、佑は違和感を覚えた。が、佑自身腹ぺこで、彼女への疑問より食欲の方が勝ってしまった。

 その先を聞くことなく、佑は自分のオムライスにがっついた。

 彼女はじっと、佑が食べるのを見ていた。唾液が溢れるのをグッと飲み込んで、食い入るように凝視している。

 お腹を擦り、それから佑がやったように、まずおしぼりの袋を手に取った。つるつるのビニルの外装を割けば簡単に中身が取り出せるのに、彼女はそのまま固まって動かなくなった。


『ど……、したの?』


 ようやく佑は、彼女の異変に気が付いた。

 顔を赤らめ、困ったように首を傾げている。

 手元を見ると、綺麗に伸ばした爪が邪魔して、上手くビニルが割けないようだった。


『貸して』


 佑は彼女からおしぼりを受け取ると、中身を取り出し、差し出した。彼女が手を拭いている間に、オムライスのビニルを剥ぎ、蓋を開け、スプーンを出す。


『コンビニで弁当買ったこと、ないの?』


 こくりと彼女は頷いた。


『そっか。食べてみてよ。ふわふわで美味しい。俺、自炊出来ないから、いつもここで買ってるんだ』


 ほかほかのオムライスを差し出されると、彼女はまた、ゴクリと唾を飲んだ。

 スプーンでひとすくい。左手で髪を掻き上げ、ふぅふぅと、軽く冷ましてからパクッと思い切ったように口に入れる。

 直後、彼女の顔はパッと明るくなった。


『美味しい』

『だろ? ほら、温かいうちに食べよう。お茶も飲んで。これ、君の分。栓開けとくから』


 温かい緑茶のペットボトルの一つを、軽く蓋を閉めた状態で彼女に渡す。

 佑も自分のお茶を飲み、ふぅと息をついた。

 変な子。

 お腹が鳴るくらい腹ぺこだったのに、食べ方が凄く綺麗だ。日本語は分かる。ハーフなのかな。片方の血が濃く出て、外人っぽく見えるだけって事も考えられる。だけど着ているものは、あんまり日本っぽくない。やっぱり外人か。どこか外国の船から下りて、戻れなくなったとか。

 佑は勝手に、彼女の背景を想像し始めた。

 育ちは良さそうなんだけど。何があったんだろう。

 いや、考えるな。誰だって、誰にも言えない秘密の一つや二つ。

 佑は邪念を振り払い、オムライスを一気に掻き込んだ。

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