紅子の刻 ー 黄泉薬 ー
九陽院。人がそう呼び、拝す寺院のさらに一角。本来ならば講義や
「今回も盛況やしたね」
「病人一人ぶっ殺すだけで金が転がりこんでくるんだから、鬼様さまだな」
下卑た笑いを上げるのは、先ほど表門で刀を振るっていた男たちだ。彼らの前には、町人たちから集めた布施が金銭という形で広がっていた。
「よさないかお前ら」
金を数える男たちの手を止めたのは、奥に座した男の声だった。白けたような男たちの視線が、その人物に集まる。注目を集めたことに気をよくしたのか、満足げな声がさらに響いた。
「誰が聞いているかもわからんのだから、な」
その言葉に、男たちがどっと笑い声を上げた。
「ああ、よかったぜ教祖様! つまらん正義感にでも目覚めたのかと思っちまいましたぜ」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うんじゃない。私は常にこの町の者たちと、世に溢れる鬼畜生に苦しめられる民草のことを思って涙しているとも」
「さっすがは慈悲深いと名高い天日様ですな」
低く笑うだけにとどめ、天日は男たち――金で雇った鬼宿師に言葉を返さなかった。
思い通りに動くという点では、目の前で笑う彼らも、盲目的に自分を崇める町の人間も大した違いはない。
彼はただ、欲しいものを求めるだけでよかった。
「報告を」
「はっ」
答えたのは、中央で車座になっている男たちより上座に立っていた僧侶だった。
自分たちより上位の者が発言することを察し、男たちも口を閉ざす。学はないが、彼らは弱肉強食の掟を知っている。力には従順だ。
「神聖な儀式の途中で、無粋なことを言っていた輩がいたと聞く」
僧侶が頷き、手にした紙に視線を落とす。
「特徴から、恐らくは最近流れてきたという鬼法医ではないかと思います。たしか貧角長屋に住んでるとかいう」
周囲には聞こえないよう、天日は小さく舌を打つ。
髪を染め、舌を落として鬼に偽装しているが、アレはまだ辛うじて人であった。幾多の鬼を、あるいはその骸を見てきた鬼法医ならば見破ったとしてもおかしくはない。
「……今までと同じだ。余計なことをするようなら、処理しろ」
「はっ。それと、もう一つ。共にいた鬼宿師について気になることが」
「なんだ」
「山を二つほど越えたところで、鬼が派手に狩られたそうなんですが。その数が尋常ではないらしく……」
「何匹だ?」
ごくり、と僧侶の喉が鳴った。
「……三十ほど、かと」
「な……?!」
声を上げたのは、天日だけではない。成りゆきを見守っていた鬼宿師たちも目を剥いている。
「散切り髪に黒紅の衣。身の丈ほどの大太刀を扱う優男だったと聞いています」
その一言がもたらした効果は凄まじかった。
「そいつならいたぞ! 確かに、儀式を見にきてた!」
と、町人に紛れて周囲を見張っていた者が叫び
「ちょっと待てよ! じゃあ一緒にいたのが組んでる鬼法医だってのか? 馬鹿言うな、あいつはずっと町にいた!」
出入りの見張りを任していた者が、悲鳴を上げた。
それもそのはずで、凄腕と言われる都の鬼宿師でも一度の狩りでは十匹が精々。それも、鬼法医の薬を服用しながら数日をかけてようやく成せる記録だ。でないと、体が保たない。
一体、どんな方法で――
「黄泉薬」
ぼそりと言ったのは、鬼宿師の一人だった。
「眉唾もんの噂ですけどね。化物みたいに強い鬼宿師がいるって。そいつは十五年前の大地震の折に、崩れた桜之宮万象の墓から黄泉薬を盗んだんだって……」
青い顔で震える男の言葉を「ただの御伽噺だろう」と切って捨てることは簡単だった。
だが、もし本当なら――
いや、真実でないにしても黄泉薬に近しいような。鬼毒に対して有益な、なにがしかの知識を得ることができれば。
今の地位を、さらに盤石にできる。
それだけでなく、都にのぼることすら夢でなくなるだろう。
「……気になるな」
「呼びますか?」
即座に反応した僧侶に、天日はしばらく考えた。町中で騒ぎを起こすのは得策ではない。とくに、件の鬼宿師が相手だとすれば手間取ることは必須だろう。ことは迅速に、誰にも気づかれることなく運ぶ必要がある。
「黄泉薬の管理をしているとすれば、それは一緒にいる鬼法医の方だろう。真に知っているなら、手段は問わん。吐かせよ。鬼宿師の方は、鬼法医を出汁にして呼び出すなり拐うなりすればいい」
僧侶と鬼宿師が一斉に頭を下げるのを冷たく見下ろし、天日は呟いた。
「何、どうせ流れ者だ。誰も気になどせん」
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