28.愚か者、修羅場に遭遇する


 そんなことは露知らず。

 ヘイロンは大好きな風呂を心ゆくまで堪能していた。


「ふぅ、さいっこうだ」


 熱い湯に浸かって身体の疲れを取る。

 特にここ数日は慌ただしかった。ニアは攫われるし、あの剣聖と遭遇するし。嫌な思いばかりをさせられた。

 久々の極楽である。考え事はこの際置いといてゆっくり楽しみたいところだが……色々と悩ましいのが現状だ。


 ニアのこと。ジークバルトのこと。そして、イェイラのこと。


 この村に案内する時、彼女はここが故郷だと言った。

 けれどヘイロンがイェイラに初めて会った時、彼女は行く場所も帰る場所もないと言ったのだ。故郷があるのにそう言うってことは、何らかの訳アリ。


「別に普通の村だけどなぁ。人間にはあたりは強いだろうけど、亜人同士ならそうでもないだろうし……やっぱ、なんかあったのか?」


 肩まで湯に浸かって、ヘイロンはあれこれと思案する。


 イェイラは故郷であるヴェルン村に良い感情を抱いてなかった。

 おそらく、ヘイロンの怪我がなければ寄り付かなかっただろう。彼女が何をそこまで嫌っているのかは知れないが、やはり無暗に首を突っ込むべきではない。


 きっとこれは本人の問題だ。何かあった時は別だが、基本的には不干渉を貫こう。それがイェイラにとっても良い事のはず。


「ふあぁ、そろそろ上がるか。長風呂して待たせちゃ悪い」


 ゆっくりと疲れを取ったヘイロンは風呂から上がると意気揚々と部屋に戻った。

 しかしご機嫌なヘイロンを待っていたのは、扉の前で仁王立ちをするイェイラだった。


「……え? なに?」

「ハイロ、これは?」

「え、は?」


 ぼん、と財布が投げられてその中身を確認する。

 これは先ほど治療院で使った財布だ。中身も変わっていない。

 だからヘイロンはイェイラが何をこんなに怒っているのか。理解できなかった。


「これがどうしたんだ?」

「なぁんでこんなに中身が少ないのかしら?」

「そ、そりゃあ……治療費を払ったからで」

「いくら? いくらしたのよ」

「確か……七千ファイ、だったか?」

「なっ、ななせん!?」


 それを聞いてイェイラは絶叫した。

 頭を抱えて悶える彼女に、ヘイロンは何が何だか分からない。けれど、たぶんとんでもない事を仕出かしたのだ。


「どっ、どうしたんだよ?」

「七千って、普通そんなにしないわよ!」

「う、へぁ? そうなのか!?」

「あの治療院……カモが来たからぼったくったわね!」


 悔し気に地団太を踏むイェイラは怒り心頭だ。

 これはもしかしなくても、結構ヤバいのでは?

 そんなことを頭の片隅で思っていると、怒りから一転イェイラは目に涙をためて俯いてしまった。


「イェイラ、だいじょうぶ?」

「だっ、大丈夫じゃないわよぉ」

「ナカないデェ」


 ニアとハイドがイェイラを慰める中、ヘイロンは必死に打開策を考える。

 でも通貨価値をちゃんと理解できていないから、いまいち事の重大さを理解できていない。


「その、あのだな……亜人通貨の価値がよくわかっていなくて、その七千ファイは換算するとどれくらいになるんだ?」

「……亜人の物流は人間とは違って活発じゃないから……通貨の価値も人間通貨の五倍はするのよ。だから……ざっと金貨一枚いかないくらいね」

「そっ、そんなにするのかよ!」

「そうよ! まだ宿代だって払っていないし、食事もしてないんだから! どーするのよ!」


 詰め寄られてヘイロンは口籠る。

 どうするもなにも……人間であるヘイロンに打つ手はない。亜人通貨を稼ぐにしても難しいだろうし……ダメ元で治療院に行って適正価格で交渉するしかないか。


 ――などと考えていると、イェイラは涙を拭って顔を上げた。


「あなた、何か金目になりそうなものは持ってる?」

「それが……もともと無一文だったから貴重品はなにも。あ、人間通貨は使えるか? それなら多少は持ち合わせがある」

「やめておいた方がいいわ。言ったでしょう。ここでの通貨価値では割に合わない」

「そ、そうか……」


 イェイラから却下を食らって、ヘイロンは途方に暮れた。

 金目のモノなんて本当に何も持っていない。どうするべきか。唸っていると、イェイラが無言で立ち上がった。


「はあ……仕方ないわね」


 彼女は首元から何かを取り出した。

 服の下から引っ張り出したそれは、綺麗な宝石が埋め込まれた青い首飾りだ。


「これを質に出してお金にしましょう」

「わぁ……きれい」


 ニアも見とれるほど、その首飾りは美しかった。

 大事そうに両手で包んで、イェイラは出掛ける支度をする。


「いいのか? それ、大事なものじゃ」

「いいのよ。私にはもう必要のないものだから」


 その割にはイェイラは大事そうに首飾りを扱っている。嘘であることをヘイロンはすぐに見抜いた。


「食事に行きましょう。昨日からロクなもの食べてないんだから」

「あ、ああ……」


 さっきとは打って変わって、イェイラは普段通りだった。

 それに頷きつつ、先に部屋をでた彼女を追ってヘイロンはニアの手を引いて後に続く。

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