22.元勇者、憎悪に吠える

 

 突然の乱入者に、男はわずかに取り乱す。

 剣先を下げて、その顔は驚愕に歪んでいた。


 彼が何に驚いているのか、ニアは判然としない。

 突然邪魔が入ったからか。それとも、現れたハイロと知り合いなのか。


 ただただ目の前の光景に目を奪われていると、男の問いに答えるようにヘイロンは開口した。


「……ジーク。――ッ、ジークバルトォ!!」


 奥歯を噛みしめ、怒号が響く。

 初めて聞く憎悪あふれる声音に、ニアは息をのんだ。


 こんなに怒っているヘイロンをニアは知らない。いつも笑っている彼からは想像もつかない変わりように、呼びかけようとしていた声も萎んでいく。


「ふふっ、ははは! よもやここで相見えるとは。運命とは数奇なものだ」


 激しい憎悪を浴びても、剣聖――ジークバルトは笑みを崩さなかった。

 驚愕から一変、可笑しそうに笑う様子にヘイロンは拳をきつく握りしめる。


 信頼を裏切られ、国から逃げ出し……ニアと出会い。もはや憎しみも怒りも自分の中から消え去ったと思っていた。もう過去のことだと割り切ったつもりだった。


 けれど、こうして目の前に居てその姿を目にすると、それはまやかしだったと知る。

 何をどうしても、こいつは。こいつらだけは許せない。許してなるものか。


 すべてを忘れ、過去を封じて平穏に生きる。それがヘイロンの望みだ。

 けれど、奴らはこうして目の前に現れる。ヘイロンを放っておかない。消えてくれない。

 だったら――邪魔をするなら、殺すだけだ。


「――っ、ハイロ!」


 背後から叫び声が聞こえた。

 聞きなれた声音に、ヘイロンは振り返る。


 そこには血にまみれたニアがいた。酷く焦燥しているけれど、それでも生きている。

 そのことにヘイロンは心の底から安堵する。

 ニアが無事だったこと。その事実が憎悪に満たされていた心を晴らしていく。


 けれど、それに喜ぶ暇をこの状況は許してくれなかった。


「グッ、ウウゥ……、ガアァッ!!」


 突然、ハイドが唸り声をあげて傍にいたヘイロンに襲い掛かった。

 けれどそれを予見していたように、ヘイロンは鋭い爪撃を腕で受け止める。

 食い込む爪先に顔を顰めながら、動きが止まったハイドに触れた。


 イェイラの影であるハイドは触れると霧散して消えてしまう。

 しかしどういうことか。今のハイドは触れられるのだ。


 そのことにニアが気づいた瞬間、ドンッ――と地鳴りが響いた。


「グウゥッ、ギイィィィ!!」


 ヘイロンがハイドに触れた瞬間、二人の周囲の地面が陥没した。

 すさまじい重力の圧。きっとあれはハイロの魔法だとニアは気づいた。


 けれどどうしてハイドにあんなことをするのか。そもそもどうして襲い掛かってきたのか。

 疑問が残るなか、ヘイロンはその場から離脱して距離をとる。


「くっ、やっぱ予定通りにはいかないか!」


 ハイドを挟んで、向こう側にジークバルトがいる状況だ。

 気を抜けない戦況であるが、それでもヘイロンはニアの近くに寄って、怪我はないかと気にかけてくれた。


「無事か? 怪我は、なさそうだな。よかった」

「はぅ、……ハイロぉ」

「慰めてやりたいけど、少し厳しいなあ。後でもいいか?」

「……っ、うん」


 泣きそうになるところを何とか堪えたニアに、ヘイロンは笑って頭を撫でる。


「よし、いい子だ。歩けるか?」

「う、うん。だいじょうぶ」

「ならこの村の出口まで向かってくれ。イェイラが来てくれる」

「一緒にいないの?」

「あー、うん。俺だけ急いできたんだ。ニアが心配だったから。結果的には正解だったな」


 ヘイロンの言いつけを聞いてニアは立ち上がった。

 怪我もしていないし歩ける。ここから離れた方が彼も戦闘に集中できる。


「ハイドは?」

「アイツはなあ、すこーし無茶させちまって暴れてるだけだよ。すぐ元に戻る」


 ハイドはヘイロンの重力魔法で身動きが取れなくなっている。

 今の彼はイェイラのコントロールを失っている状態だとヘイロンは言った。だから誰彼構わず襲ってしまう。


「すぐに終わらせて戻るから、待っててくれよ」

「うん!」


 去っていく後姿を見送って、ヘイロンはジークバルトと対面する。


「一度だけ聞いてやる。何か弁明はあるか?」

「弁明も何も、あれは貴様の落ち度だろうに。それを責任転嫁されても、こちらとしても大いに困る。戯言なら聞き飽きた」

「そうか……じゃあもうお前と話すことはない。ここで死んでもらう」


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