第14話 WWW(ワールド・ワイド・ワンコ) ※ただし、人面犬 ③

「それじゃあ、浩輔くん。本題といこうか」


 銀助さんはそう切り出し、「それで私がここに連れてきた理由は分ったかい?」と続けた。


「とりあえず、百聞は一見に如かずと銀助さんに言われた理由は分かりました。それ以上のことは……」

「それだけでも分かってもらえて私は嬉しいよ。じゃあ、もう一度しっかりと見てくれたまえよ」


 銀助さんと同時に振り返り、バーの店内を見渡した。そこには万国博覧会とでもいうべき、多種多様多国籍の人面犬と犬がいた。

 胴体の部分だけでも大型犬から小型犬まで様々で、顔も日本人っぽい顔もあれば、日本とは違うアジア系や欧米系の顔など様々で、割合的には日本人っぽい顔をしている方が少数派に思えた。


「たしかに、この店はワールドワイドと言いますか、多国籍と言いますか……」

「そうだね。グローバル化というのは、今、見えているように多種多様な犬種がいるということもそうなのだけど、それによる弊害の方が大きいんだ」

「どういうことですか?」

「浩輔くん、日本、いや世界のペット事情は知っているかい?」

「すいません。よくわからないです」

「そういうことなら簡単に説明しないといけないな。犬に限定するならば、大昔から人間に寄り添いながら生きてきた動物で、様々な理由で品種改良をされてきたんだ。例えば、負傷した獲物の捜索や地下での狩猟に適するようにと胴長短足へと改良されたモノ、人に飼われることだけを目的に愛玩化されたモノなど様々だ。他にも人間の都合で交配し、新たな種が生まれ続けている。そうやって、本来の犬の姿から次第に遠ざかっていくほどに私のような人面犬をはじめ犬の妖怪は力を失っているんだ。最近は特に急激に弱っていっているね。それで浩輔くん、そこの右から二番目のテーブルの奥に座っているオーストラリアンシェパードの彼は浩輔くんにはどう見えるかい?」


 オーストラリアンシェパードがどんな犬種か分からないが、銀助さんが顎先で指し示した先にいた犬を見る。やや大型で触り心地のよさそうな毛並みをしていて、どこか温厚さを感じる顔をしていた。


「銀助さんが言うのですから、あの方も妖怪なのでしょうけど、自分には普通の犬にしか見えません」

「そうだろうね。でも、彼の目をよく見てくれないか?」

「目、ですか……」


 言われた通りに目を見てみれば、分かりにくいけれど、犬の目ではなく人の目をしていた。そう見えるだけかもしれないと言われれば納得してしまいそうなほど、僅かな差。


「彼はね、目だけしか人間に擬態できないんだ。そういう私も顔だけなんだけどね。だけど、私たちも本来は全身人間に化けれるほどに力の強い妖怪だったんだ。咲々乃や楠葉のように人間の手があまり入っていない動物の妖怪は今もああやって完全な人間の姿を取れている。だけどね、オーストラリアンシェパードの彼はまだいい方さ。目だけでも人になれ、人の言葉も話すことができる。しかし、最近は言葉を話すことすらできないモノも増えているのが実情さ。きっとそう遠くない未来に、私たちは滅びゆく運命なんだろうね」


 銀助さんはそう言うとくるりと向き直り、カクテルグラスを前足で傾けながら憂いに満ちた表情を浮かべていた。そんな横顔を見つめながら、何を言っていいのか分からず、ただただ気まずさを感じながら、間を埋めるかのようにワインに手を伸ばした。

 先ほどまであんなにおいしく感じられたワインも今は味がよく分からなかった。


「浩輔くん、キミがそんな悲痛な表情を浮かべることはないだろう?」

「だけど、知らなかったですむ話じゃないですよね」

「浩輔くんは優しいね。しかし、大多数の普通の人間にとっては知らなかったですむ話なんだよ、きっとね」


 銀助さんは優しい視線を向けてくる。それが逆に何もできないと分かっている自分には辛いものだった。


「あのね、浩輔くん。このままだと、犬の妖怪がいなくなるという話ではないんだよ。日本で言えば、狛犬こまいぬをはじめとした永遠に近い命を持つ神聖な存在や、狼に近しい古来種はきっと何があっても滅ぶということはないだろうね。それこそ、人が滅ぼそうとしない限りね」

「だけど、それ以外の犬の妖怪は……」

「人間と共に歩むと決めた時からきっとこうなる運命だったんだ。それが早いか遅いかというだけなんだよ。私もねこう見えて四分の一ほど海外の血が混じっているんだよ。クォーターというやつだ。それはかっこいいと思わないかい?」


 銀助さんは決め顔を向けてくるが、そのカミングアウトは場を和ませようとしているのか、本気で言っているいのかは分からない。今は種の存続という話をしている最中で冗談だとしても笑えない。

 そんな空気感を察知したのか、きまずそうに銀助さんは咳ばらいをして、再度、真面目な表情に戻る。


「それで相談というのはだね、犬型妖怪――そのなかでも力のあまり強くない私たちのような人面犬はこの先、どう生きていけばいいと思うかい?」

「それは……」


 その相談の重たさに言葉が出てこない。

 銀助さんの言う“妖怪のグローバル化”とは、海外原産の犬が日本に入ってきて、さらには人間の品種改良により複雑に血が混じり合い、本来持っているあやかしとしての力が失われつつあるというものだった。

 いまさらペットの国際流通を辞めろだとか、ブリーダーのような存在に文句を言うだとか、そういう真っ当な意見はすでに手遅れで、そもそも俺が声をあげたところで何も動かせない。

 あやかしが見える程度の、なんのコネも持たない喫茶店の店長にできることなんて何もない。ただ客として来た彼らと話をして、もてなすくらいしかできないのだ。

 そんな答えのでそうにない問いに頭を悩ませていると、ふっとある妖怪の姿が脳裏に浮かんできた。

 それは千年生きていると自称する猫のあやかしのスズだった。

 同じ獣のあやかしであるスズならば、その長い年月を生きてきた経験や知恵で、何かいい方法を知っているかもしれない。


「銀助さん、自分にはその相談に対する答えは思いつきません。できるとしても、現実味も実行力もないただの綺麗ごとか理想論くらいです」

「私はそれでもかまわないのだけどね」

「そういうわけにはいきませんよ。銀助さんは喫茶『いさか屋』の大事な常連で、こうやって相談してくれるほどには信頼してくれているということでしょう? そういう方を裏切るような真似をしたくないんです」

「浩輔くん、キミは真面目でいい子だね。ならば、相談に対するキミの答えは、無回答ということでいいのかい?」

「はい……だけど、俺の代わりにもっといい相談相手を仲介します」

「ほう? それは誰のことだい?」

「ウチにいる猫又のスズですよ。スズなら何か知っているかもしれません」


 銀助さんは前足を組んで、難しい表情へと変わる。それからマティーニをグイっとひと息に飲み干した。


「たしかに、彼女なら何かを知っているかもしれない。じゃあ、仲介をお願いしてもらってもいいかい?」

「ええ、もちろんです。じゃあ、明日の昼過ぎくらいの時間に店に来ていただいてもよろしいですか? 明日は定休日なのでスズとゆっくり話せる場が作れると思います」

「わかった。じゃあ、明日またお願いするよ。さて……話はまとまったことだし、今は飲もうか」

「そうですね」


 銀助さんは「じゃあ、次はハードボイルドにギムレットにしよう」と楠葉さんに注文をし、俺は隣でワインに口をつけた。今度はちゃんとおいしさを感じられた。

 しかし、これから何かを食べたいとも思えず、藍子さんに店には行けなくなったと断りのメッセージを送った。

 結局、銀助さんがカクテルを五杯ほど飲む間にワインを二杯飲むくらいしかできず、帰り際に楠葉さんにバーのショップカードと飲んだ白ワインの銘柄を書いたメモをもらった。楠葉さんと咲々乃さんに喫茶『いさか屋』にも来てくださいと、社交辞令のような言葉を残し、バーをあとにし、銀助さんに表通りまで送ってもらった。

 銀助さんは前足を軽く上げ、夜闇に消えていき、その背中を見送ると、タクシーを捕まえた。

 家へと向かうタクシーの車内から、流れる景色をぼんやりと見つめながら、銀助さんから聞いた話を思い返していた――。

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