僕に我慢は効かない。@柏木裕介

 金木犀の近くまで来たと思う。


 来たが、見えないのだ。


 なぜなら僕は画材を小脇に抱え、両手で顔を覆っていたからだ。


 なぜなら森田ドライバーに青春引き回しの刑に処されたからだ。

 


「しくしく…」



 タイムリープ君。


 これ……強制イベかい?


 だとしたら大したものだ。


 我が社に大ダメージだ。


 青春恥ずかしいよぉ。


 大人だって恥ずかしいものは恥ずかしいんだよぉ。


 大人になったらわかるんだよぉ。大人だからって何でもいけるってわけじゃないんだよぉ。寧ろ客観視できる分タチ悪いんだよぉ。


 もうパワハラしないからさぁ…もうやめてくれよぉ…僕が悪かったからさぁ…懲役素直に受けるからさぁ…


 内臓痒いよぉ。



「あんまり照れるとこっちまで照れるんだよ?」



 泣いてんだよ! 恥ずかしくて!


 青春ツラいよぉ。しくしく…





 なるほど。イケメンだ。


 気を取り直し、改めて金木犀を見上げる。と言っても車椅子だからこその視点だが。


 丁寧に職人の手が入ってる。


 季節でもなかろうに。


 グルリと周ってもらったが、遠景でも近くでも、いい面してる。


 桜梅桃李…今の花も香もない推しウッドくんには似合わないかもしれないが、そう感じる。



「どう? 遠くと近く、どこで描く?」


「んー、今は子供の目線くらいだから…こんなに近寄ると描きにく…いや、それもいいか」



「…ふふ、やっぱり。じゃあここ、良くない?」


「…だな」



 車椅子に座る僕は、小学生の目線になる。


 確かに。僕の好きな配置で構図だ。真ん中より右にはみ出す金木犀。奥にブランコ。


 実際はブランコの方が大きくてもここなら自然と対比する。


 絵のタッチって特徴的だからな…今僕ょぇーし。なら写実はやめよか。だいぶん崩そう。


 そうだな…


 柏木裕介15歳。まだまだ成長途中で、感情的には天井知らず。俺すげー感で包まれ、世を知らず海を知らず、ただただケツの青いクソガキ。この後地獄が待ってるなんて、つゆ知らずに踊り踊り踊り続ける間抜けなピエロ。


 そいつがこの推しウッドを見た。


 ………


 お前の全てを暴くぜ…?


 いや、ちゃう。


 僕はそんなじゃない。そんなじゃなかったはずだ。


 でも描いてる時は脳汁出てただろうしな…


 この時代にあったのはやる気と体力と集中力だけだった。この今の大人の価値観…お金の動かないことに、どれだけの力を発揮できるのか。


 未来じゃ最短ルートばっか気にしてたしな…力を出し切らないことに全力を注いで…


 いかんいかん。仕事じゃないんだ。



「まあ、ここで描いてみるよ」


「はーい。到着〜っと。この向きでいいよね」


「ああ」



 まあ、適当に描いて見ようか。


 適当。つまり、適切に事に当たる、だ。いやなんか違うな。


 10代でドロンしたから、紙の選び方、鉛筆、消しゴムの使い方、そして描き方の基本テクニックぐらいしか正直覚えてない。


 だから気楽だ気楽。せっかく小学生くらいの目線なんだ。


 作り、遊び、壊す。


 あの毎日を思い出すかのように、楽しんで描こう。


 柏木裕介15才と30才は捨てるんだ。


 金木犀か…描いたことないな。


 花も香りも無いから、イマジンするか。


 ……


 お前の全てを晒してやるぜ…!


 この真っ白いスケブになぁ!


 タイムリープ覚悟しろや!


 10才くらいに勝手に戻ってやる!


 このダボが!



「あ、私ちょっと飲み物買ってくるねってもう聞いてないし……ふふ」





 「寒っ…」



 ある程度描けた。こういう時間は久しぶりだ。なんだか長い休暇に出掛けてるみたいだ。


 ストレス発散に、良いかもな。


 ……急に仕事が気になってくるな。


 確か…次の案件は…女優、伽耶まどかの美顔グッズだったか。あっちは一体どーなってんのか…というか、僕はいるのだろうか?


 しかし、手、意外と動くな…いや、未来で退化していただけで、この時の僕の積み上げたものか。



「自転車か…ほんとかな」


 

 あの先生の言う、ある一定のラインまで描けていたとするならば。未来では趣味にしても良いかもしれない。


 絵を描くのに最低二、三時間はとりあえず欲しい。そんな時間は…作ろうと思えば作れるな。


 彼女とか趣味とかないしな。


 しかし、描くの、やっぱ嫌いじゃない。


 けどさみぃ。


 これ以上は無理無理。


 大人になると寒さ暑さに過敏になる。


 冬も夏も嫌いだ。



「これもトラウマかね…」



 いや、トラウマではない。寒いのと暑いのが嫌いなだけだ。


 おじさんに我慢は効かないのだ。


 おじさんか…たまに見るアニメのまあまあおじさん役が、自分より歳下だと結構くるよね。



「タイムリープして、初めて感謝したな」



 というかアニメとか漫画っておじさんに描き過ぎだろ。誇張がデフォルトだとしても、30なんてまだピチピチだぞ。永遠のお兄さんだぞ。


 いや、この思考こそがおじさんなのだ。そしておじさんは人の青春は遠く遠巻きに眺めたいものなのだ。


 当事者はキツいってぇ。


 新卒の子と飲みに行くのもまあまあ緊張するのに。それおじさんか。全然お兄さんじゃないな。


 丁度いい上司、それなりの上司。そうやって自分をデザインしてきた。28辺りからか…着せられてた感のスーツもいつの間にか馴染んでたな…



「15年か…」



 15歳の僕をデザイン…出来るかな…


 いや…いいか。


 この頬を刺す冬の冷たさが、全てまるっと包んで何とかしてくれるだろう。


 なんだかよくわからないけど、白く吐く息がそんな気にさせてくれる。



「というか、森田さんどこ行った」



 いつの間にか消えてたな。帰ったのかな? まあ、大丈夫だろう。なら帰ろう……って車輪冷た!


 寒いのは毒だってぇ。ひぇぇ。さむさむ。





「ん?」


 

 何か…言い合い…してる? 公園のトイレの方から聞こえてくる。


 耳をすませば…森田さんと…華…?


 二人は知り合いなのか…?


 あ…もしかして…あいつを巡ってとか…? だとしたら合点がいく。


 多分そうなんじゃないかと思ってたんだ。


 あの幼馴染ズに紐付く関係は、丸ごと無理矢理忘れたのだ。


 森田さんを忘れてるのも無理はない。



「あったかコーヒー欲しい」



 戻ろ戻ろ。さむさむ。


 キィコキィコと鳴る車椅子の軋む音。


 冷たく不気味で、嫌な音だ。


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