11 前準備にころされる

 エイブ商会でウィリアムと遭遇事件から数日が経っていた。

 共同戦線を張るというウルトラC展開に納められたものの、まだまだ解決はこれからである。

 そんな中、私はフェデリー王都の屋敷にあるダンスルームで、命の危機を感じていた。


 するりと、背後から腰に手を回される。

 手袋がされた腕が私の腹を圧迫し、肩口を押さえる手にぐっと力が込められた。


「このままで、いてください」


 低く願う声はアルバートだ。耳元でしたその声に私はひゅ、と息を呑みながらも姿勢を正す。そのまま、手袋に包まれた手が私の腕を、背中を、あごを滑っていく。

 執事服を着た彼は、今日は遠慮がなかった。私の体を良いように扱い、私の精神を的確に殺していく。

 震える私に対して、アルバートは少し仕方なさそうな顔をしながらも、その薄い唇を再びひらく。


「ええ、いいですよ。そのまま……さあ、歩いてっ」


 パンッと手が鳴らされたとたん、私は指示通り足を動かし歩き始めた。

 とたん、容赦ない指摘が飛んでくる。


「大事なのは重心です。腰ではなく胸で、歩幅はいつもより大きめを意識してください。そして、肩、膝、つま先、腰の骨が一直線になるようにするんです。緩ませないで! かといってがに股は厳禁です」

「はいアルバート!」

「もう一周いきますよ。あなたから淑女の気配を消し去らねばいけないのですから。その後は姿勢維持とお辞儀の練習です」

「はい、アルバートっ!!」


 今日のアルバートは鬼教官である。厳しい。

 こんな感じで、私はズボンとシャツのまま、半泣きでダンスホールを行ったり来たりを続けている。

 今、私はアルバートによる「男性の立ち振る舞い」講習を受けている真っ最中なのだ。


 なぜって? ウィリアムと、薬物蔓延を阻止し、犯行組織を逮捕するためにウィリアムと共同で捜査することになった。のだが、彼が出した条件が「私を窓口に据える」ことだったのだ。

 つまり私が、ウィリアムと直接話して情報共有をする。

 いや確かに王子と接点もとうと思いましたよ。でもさすがにメインはアルバートにお願いしようと思っていたんですよ。にもかかわらず、ウィリアムは私とアルバート二人をご指名なんですよ。

 はじめっから不本意だったアルバートが帰宅したあと、さらに渋い顔をしながら深いため息をついたのもしょうがないでしょう!?


『あなたが絶対にばれないよう、立ち振る舞いからたたき込み直します。付け焼き刃でもやらないよりはマシでしょう』


 というわけで私がちゃんと少年に見えるよう、この数日朝から晩までみっちりと修行をしているのだった。


 お手本はアルバート、監修もアルバート。

 私のお手本となるよう、アルバートは執事というよりは貴族寄りの仕草をしていて、いっそ優美だ。さりげない立ち振る舞いから匂い立つ気品に、何度見惚れてしまったか。そのたびに冷めた目を向けられるけどもそれすらおいしけども。私よく生きてるな。


 だって合法的にアルバートを堂々と眺めていられるんだぞ、すごいだろう。むしろ見てないと怒られるからね! 


「エルア様」


 傍らに座るアルバートの冷えた声に、書類作業をしていた私は、即座に彼の座る姿勢をまねる。


「ちゃんと聞いてます見てます大丈夫です」

「女性的なもの、というのは意外と所作に宿るものです。なるべくはきはきと動くようにしてください」

「はい!」


 はきはきだな、よし。

 資料の精査を再開した私に、アルバートがぼそりと言う。


「……俺が代わっても良いんですよ」


 同じく資料の精読をしていたアルバートを再び見る。やっぱり匂い立つように美しいしかっこいい。じゃなくて。


「アルバートとセットで、ってことになっちゃったじゃない。アルバートがエルモになったら誰があなたをやるの。うちの子達にあなた並の働きなんてできないわよ」

「言葉遣い」

「……それに、『常用すると眠ったまま目覚めなくなる』薬だろう? それをウィリアムが追っているというのは、すごく符丁が合いすぎてると思うんだ」


 神妙に言葉使いを直した私に対し、アルバートはぐぐと眉間のしわを深くする。


「確かに、そうではあります。密かに病院へ当たった患者達は、断続的に魔力を奪い取られている様子でしたから。魔族が何らかの方法で搾取しているとすれば説明はつく。断定すべきではないとはいえ、王子が自ら関わっているのは見逃せないのはわかります」


 その通り、つまりチャンスなんですよね。

 私たちはここ数日でできる限りの情報収集をしていた。

 整然と肯定する言葉を並べるのに、アルバートは明らかに不本意です、という顔だ。

 私はうふふふ、と思わずやに下がってしまう。

 以前のアルバートは本心をきれいな表情で覆い尽くして、後々裏で立ち回って誘導しようとしていた。けれど最近、アルバートはそうやって不満を表に出してくれることが増えたのだ。

 たぶん、あの抱き込まれ事件からで、気を抜くと荒野に叫びだしに行きたくなるくらい気恥ずかしい。が、また一段気を許してくれたのを思うとうれしさでいっぱいになってしまうし、何より不満げアルバートという。新たなスチルを拝める尊みが胸に広がるのだ。

 ああいかん、あんまり浸る時間が長いとアルバートが戻ってしまう。

 ええと何の話だっけ、そうだ! アルバートが何で私に代わっちゃいけないのか、だ。


「さらに言うとあなた、唯一ヲタトークだけはできないでしょ。私、あの子にヲタ活について教えるって言っちゃったし」


 そう、アルバートは老若男女どんな人間にでも化けられるけど、唯一、ヲタトークは苦手にしているのだ。

 一度、うちの子達の訓練のために、アルバートが私になりすましたことがあったんだ。けど、外見は完璧なのに、そこそこの人員がアルバートの変装を見破ってしまうという事態になってだな。

 そのときの彼らの反応は。


『様子のおかしさにキレがないんですよねー』

『瞳の熱が足りない、かと』


 一つ目は空良、二つ目は千草だ。というわけで、ヲタトークに関しては私に化けるのは厳しいってことになったのだった。

 同じことを思い出したのだろう、言葉を詰まらせたアルバートは悔しげにする。


「あなたの反応を一番見ているのは俺なのですから、できるはずなのですが」

「うーん。萌えの感情って、体感して実感してみないとわかんないところあるからなあ。情熱とパッションを持つ人たちって、外見ではわかんないけど、はじめの数言でおや違うぞ? もしや同志か?ってなるから」


 この感覚ってほんとどこから来てるのかわからないんだけども、ヲタクならば大なり小なり誰しもが持ってる気がする。元々話せる人の方が貴重な世界だから、出会いは逃したくないせいもあるかもしれない。


「好きなジャンルは別に、サブカルチャーじゃなくても良いんだ。ヲタク気質があって本気でこれが好き! ってのめり込んだ人ならそんな風になるんだけど」

「この時点であなたが何を言っているかわからない以上、俺には難しいのでしょうね。生まれてこの方、実用以外で趣味なんてありませんし」


 あ、はい。でしょうね。あなた、堂々と趣味の欄に「次の仕事の準備」って、いかにも埋めなきゃいけないからって理由で書かれたとしか思えない公式発表だったもの。

 すん、となった私だったが、少し考え込んでいたアルバートがはたと気づいたような顔をした。なんかすごく背筋がそわっとしたぞ。


「ああでも、一つだけ、のめり込んだものがありましたね」

「えっそうなの!? ここで新たなアルバート記録が増えるのなになに!?」


 思いもよらない言葉に私が思わず前のめりになっていると、アルバートは紫の目を細めた。


「おや、俺のことを隅々まで把握しているのに、気づかないのですか? ……――あなたですよ」

「ふえ?」


 アルバートが私の一つに結い上げた髪を一筋手にとってもてあそぶ。そのままごく自然な仕草でくちづけた。

 私は真っ白である。ひえ。


「好きなモノなんて概念、面倒だと思っていましたが。10年経ってもあなたには飽きそうにありません。俺にしてはのめり込んでると思いませんか?」


 わざとリップ音を立てた彼は、硬直する私にやんわりと微笑を浮かべてみせた。

 私は無言で顔を両手で覆う。


「私をもてあそばないでください。ヲタクはちょっとの刺激ですぐしぬんです」

「殺そうとしてますから、問題ありませんね」


 うわあい! アルバートが今日もひどい! 好き!

 でも刺激が強すぎるんだよぉ!?

 言語中枢すら崩壊させて、私は真っ赤な顔で机に突っ伏すと、アルバートのからかい成分薄めの声が落ちてくる。


「今回はあなたにも、気合いを入れてかかっていただかなければなりません。あちらは基本的にホワード商会を利用しに来るだけでしょうから」

「う、そうだね、なんて言ったって軍部だもの。外国籍の新興商会なんて、うさんくささの極みだし。積極的に探りを入れていかないとほしい情報はもらえないだろう」


 うん、やられっぱなしだと、ウィリアムが万が一コネクトストーリーに入った場合に手助けができずデッドエンドなんてのもあり得る。

 別に利用されるのはかまわないんだが、それだけは阻止したいものだ。


「千草にもリソデアグアに戻って、コルトに一筆書いてもらいに行ってるし。軍部では調べられない部分から状況を把握して、対等に進めて行きたいよ」


 そうなんです。頑張りたさがあるんです。だからしーずーまーれー! 私の心臓!

 すさまじい動悸をなだめつつ私もそう答えると、頭に何か軽い感触を感じた。

 ささやかでありながらぬくもりがありつつ、大きな……あれ、これ、もしかして。なでられてる? アルバートに!?

 ばっと、顔を上げると、存外近い距離に秀麗な顔があり、しかも耳元でささやかれた。


「そうですね。これで多少は気力が出たでしょう。残り、行きますよ」


 押しつけがましくない声量、そして甘やかさなど一切ない最後通告にも関わらず、どこか艶のある声に私の意識は一気に覚醒する。


「さすが、アルバート私のことわかってらっしゃる。けれど、大盤振る舞い過ぎやしませんか!? 完璧にオーバーキルです!!!」

「それはよろしかった。では前借り分もいけますね」


 そういう容赦なく追加しちゃうところも大好きですとも!

 でも気力がゲージMAX充填されたからね、これで午後も勝つる!

 猛然と資料に目を通しだした私だったが、ふ、と疑問が浮かび上がる。

 そういえば、何でウィリアム、ヲタク文化を知りたがるんだろうなぁ。

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