3.愛しい子は谷底へ落とせ、です


「クリスティーナ、今日はどこか出掛けたりするのか?」


 朝食の席で、隣に座るアルバートが尋ねてきた。


「特に予定は……いえ、アルバートには関係の無いことよ」

「…………えっ?」


 テーブルの空気が一気にかたまったのを感じる。


 朝は時間が合えば、両親や兄も一緒になって食事をとるのだが、両親は登城のためすでに済ませており、兄とアルバートが座っていた。


「妹よ、どうした?」


 兄が驚いた様にこちらを見てきた。


「どうもしませんわ。ただ、せっかく婚約もなくなったことですし、しばらくは自由に羽を伸ばそうと思いまして。ですから、いちいち詮索されるのが嫌だなと思ったまでですわ」


 心を強く持ち、アルバートを見ないようにして、私は兄と会話をする。

 でも、見ないようにと思っても、絶望したかのような表情を浮かべているアルバートが視界の端に入り込む。だって、真横にいるんですもの……。


「ま、まぁ、そうだな。アルバートも、あまりクリスティーナにべったりでは良くないし」

「兄上! 俺はただクリスティーナが心配で。こんなに聡明で麗しいクリスティーナを一人で行動させるなど、変な虫が寄ってくるに決まってます! 現に、先日父上を訪ねてきた王宮の騎士が、クリスティーナに言い寄ってました。当然俺が追い払いましたけどね。他にもクリスティーナに声をかけようとする奴らが多すぎる。だから俺がちゃんと守らないと!」


 我に返ったアルバートが、兄に食ってかかった。だが、兄は動じる様子はない。基本的に弟妹に対しては甘めの兄だが、次期当主としての顔はそんなに甘くない。ローセン家を背負う者としての責任感をもっている優秀な人なのだ。


 というか、私に言い寄ってきた殿方などいただろうか。先日の騎士は、ただ礼儀として挨拶をしようとしただけなのに。まぁ、仰々しく手の甲にキスしてきたのはキザだなと思ったけれど。


「アルバート、昨日は頼んだ書類を放置して出掛けただろう」

「あれは! まだ期限があったので」

「だが、昨日の分だと言って渡したはずだ」

「ぐっ……申し訳ありません」


 アルバートは昨年までは家庭教師をつけて学び一辺倒だったが、私のカイル殿下との婚約話が持ち上がったくらいから、家のことを手伝うようになった。家から離れる私を遠くからでも支えられるように、力を付けたいからと言って。結局は、私は家に戻ってきてしまったのだけれど。


 ちなみに当時、アルバートの心意気に感動して、真奈美様にこのことを話したら、「やっぱり後方彼氏面じゃん、ウケる」と笑っていたのを覚えている。確かに、後方から支えるという意味ではその通りなのかもしれないが。


「アルバート。自分のやるべきことはきちんとすべきです」


 私は努めて無表情のまま、彼に言い放つ。


「クリスティーナ……分かった」


 シュンとうなだれるアルバートを見るのは辛かったが、これもアルバートのためだ。少しずつ、こうして距離を取っているうちに、姉離れ出来るはず。






 真奈美様との作戦会議では、主に私の行動への注文がほとんどだった。私が姉弟ならば当然だろうと思っていることが、実は当然ではないのだと力説されたのだ。


「ですが真奈美様、わたくしが当然と思っている中に、当然じゃないことが含まれていることは理解いたしました。ですが、自分では当然と思っているゆえ、どう判断したらよいのか分からないのですが」

「確かにそうね。んー、あっ、いいこと思いついた! アルバートをカイルって奴だと思って接すればいいよ」

「カイル殿下ですか?」


 顔を思い浮かべるだけで、こちらの顔が渋くなってしまう。


「そうそう、そいつムカつくじゃん、嫌いでしょ? だから、もしアルバートが寄ってきたら、カイルが寄ってきたと思って行動するの」


 漠然とアルバートと距離を取れと言われても難しい。けれど、カイル殿下、いやもう殿下ではなかった、カイルだと思えと具体的に言われると、確かに分かりやすい。

 だから真奈美様の助言に従って、私はアルバートと接することにした。



 庭園のベンチで本を読んでいると、仕事を必死で終わらせてきたアルバートが近寄ってきた。いつものように私の横に座り、褒めて褒めてといった表情でこちらを見てくる。一瞬ほだされそうになるも、ぐっとこらえる。


「最低限のお手伝いで満足していては、成長に繋がりませんよ」


 視線を合わせることなく言い放つ。


 本当は一生懸命に仕事を片付けて会いに来てくれたのだから、嬉しいに決まっている。頭を撫でてあげて、お茶に誘ってあげたいのだ。

 でも、それじゃダメだから、カイルだったらと想像する。国を導くはずの人物なのだから、今までサボっていた分を取り戻すべく、率先して自ら仕事をすべきだと思った。だから、もっと成長のために手伝いに励めとアルバートを諭すのだ。


 言われたアルバートは、笑顔のまま固まっていたかと思うと、寂しそうに俯いた。そして何やらぼそぼそと独り言をつぶやいている。


「今日のクリスティーナはどうしたんだ? 頼りがいのある男になって欲しいという俺への激励か? だとすれば、やぶさかではないが。でも撫でて欲しい……。いや、これはクリスティーナとの将来のために必要な試練だ。頑張れ俺!」


 独り言は終わったのか、アルバートは柔やかな笑みを浮かべて「分かった!」と返事をして引き返していった。






「――――というようなことがありまして」


 まずは一日目の状況を真奈美様に伝えるべく、私は教会に来ていた。もちろん、アルバートは屋敷に置いてきている。


「まだ一日目だしアルバートもめげないか。でも、この調子でそれを続けて。そうすれば絶対にアルバートの心も砕けるって」

「砕け……ては困るのですが」

「甘い甘い。いい? ああいう思い込んでる奴はね、中途半端な態度だといつまで経っても変わらないよ」


 真奈美様は苦笑いしている。


「それはそうと、聖女のお手伝いの件はどうなりましたか」

「あぁ、あっさり許可出たよ。おっさん達もさ、結局は聖女の仕事に穴さえあかなきゃ何でも良いのよ。儀式とかはちゃんとあたしがやるから、普段のとき週に二日代わってもらえる?」

「もちろんです」



 こうして、私は正式に聖女の仕事を請け負うことになったのだった。


 真奈美様の噂が良くも悪くも飛び交っている中での交代役だ。よくよく考えれば何か起こるかもと予想できるのだが、私はアルバートのことで頭がいっぱいで気付きもしなかったのだった。

 

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