チュートリアル:遊び方について
自分が恋愛アドベンチャーゲームの主人公で、三人の女の子たちが僕の恋人候補で、ここは内容説明のための空間で、目の前の変な子は人間じゃないナビゲーションキャラで。
よく考えなくても、これはとんでもない状況だった。
そしてさらにとんでもないのは、この内容を当たり前のように受け入れている僕自身だ。
でも、頭に浮かんだ驚きも疑問も、生まれた瞬間に消えていく。
ナビ子の言う『そういうふうに出来ている』ということの証拠が、これなのかもしれない。
*
「えっと、ここからは遊び方の説明だよ。今からゲームの進め方について、簡単に話すね」
ナビ子は二枚目のテレビ画面に向けてリモコンを操作した。画面には説明用のスライドのようなものが映し出されている。なかなか工夫されたデザインで見やすいのが、ちょっと悔しい。
ナビ子は身振り手振りで的確に画面を指しつつ、話を続ける。
「このゲームでは、適宜選択肢を選ぶことでルート分岐が発生するよ。要するに秋くんの行動によって誰と恋人になるか、未来が変化するってことだね。ちょっと難しく聞こえるかもしれないけど、身構えなくて大丈夫だよ。なぜならこのゲームは……」
と、ここまですらすらと流れるようにしゃべっていたナビ子が、なぜか急にタメを作った。よく見ると薄い胸板をここぞとばかりに張っている。なんだろう、かなり自信のある様子だけど、そんなに素敵な仕掛けがこのゲームにあるというのだろうか。
僕は彼女の言葉を、固唾を呑んで待つ。
さあ。
「このゲームは……」
来い!
「たった一度の選択で、分岐先のルートが確定するから!」
じゃじゃーん。
間抜けな効果音が鳴った。
ナビ子はものすごいドヤ顔だ。
対する僕は表情と言葉を失った。
「…………」
「えへへぇ、すごいでしょ! お手軽だよ!」
「……それ、ゲームとしてどうなの? というか選択肢一個って、はたしてそれはゲームなの?」
今度はナビ子が表情と言葉を失った。
と思ったのはほんの一瞬で、次の瞬間には顔を真っ赤にして僕に掴みかかっていた。丸い目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。どうやらこれは禁句だったようだ……。
「う、ううううううるさいよ、秋くん!」
ナビ子は僕の肩をがくがくと揺らす。怒っているというか、かなり傷ついているらしい。きっとゲーム性の薄さというやつを気にしているんだろう。かわいそうに。
「あ、今笑った! ナビ子のこと笑った!」
思っていることがわずかに顔に出てしまったようだ。彼女はますます顔を真っ赤にして、興奮した様子でテレビに映るスライドを切り替えた。そこには人と矢印、いくつかの図形を用いた絵が表示されている。どうやらサブシナリオの説明のようだ。
「ルート分岐に関わる選択肢がひとつだっていうだけで、ゲーム内にはもっとたくさんの選択肢があるんだから!」
「はいはい、解ったよ。ごめんねナビ子」
ここまで来るとちょっとおもしろいので、申し訳ないけど少しからかいたくなってしまう。僕はわざとナビ子をあおり立ててみた。
「うう……。こうなったら、こうなったら特別チュートリアルを……」
するとナビ子はリモコンのボタンをなにやら猛烈な勢いで連打し始めた。
彼女の指の動きが止まった瞬間、僕の身体がふわりと宙に浮かぶ。あまりのことに声も上げられずにいると、彼女は僕の服を掴んでテレビ画面に向かってぶん投げた。
「え! ちょっと、ごめん! ごめんてナビ子!」
「ばか! これから体験版で遊んでもらうから、覚悟してよね! 秋くんが何と言おうと、これは立派なゲームなんだからね!」
ぶつかる。ぎゅっと目を閉じ、硬い感触と衝撃を覚悟した僕は、そのままテレビ画面にふわりと吸い込まれていった。不思議と痛みはなかった。
*
<体験版へようこそ! ここではショートストーリーを体験できるよ! 作品の雰囲気を掴んでくれるとうれしいなあ>
「え?」
固く閉じていたまぶたを開けると、僕は通いなれた高校の廊下に立っていた。
<えへへ、びっくりした? ここは『Dreaming Fruits』の体験版の中だよ。やだなあ、わたしが大事な秋くんを傷つけるわけないじゃない。あ、わたしは天の声を担当するナビ子だよ。引き続きよろしくね>
姿の見えないナビ子もとい天の声(やや涙声)は、上機嫌にけらけらと笑った。とにかく、痛い思いはせずに済んだらしい。
「おーい」
まだ少し高鳴っている胸に手を当てていると、少し離れたところから知っている声が聞こえた。
「秋、中庭いかね?」
廊下の向こうから歩いてきた声の主は、中学からの友人である
友人の顔を見てやや安心することができたのか、それともこれがゲームだからか、僕はいたって冷静に言葉を返すことができた。
「中庭? なんかあるの?」
すると咲也は、真剣そのものの表情で語り始めた。
「いや、なんでも魔女の遺産たるゴールデンヒポポの痕跡が発見されたとかされないとかで……」
なに言ってんだこいつ。
と、突然目の前の咲也の動きが止まる。慌てて周囲を見回すと、どうやら咲也だけではなく、この空間すべてが止まっているらしい。そのことに気がつくと同時に、僕の目の前にふたつの文字列が浮かんで見えた。
中庭に行く。
中庭に行かない。
「……これか」
どうやらこれが、例の選択肢らしい。そう確信すると同時に、ナビ子の声が聞こえてきた。
<正解~! これが選択肢だよ秋くん! 咲也くんと一緒に中庭へ行くかどうか、好きな方を選んでみてね>
なるほど。だいたいの仕組みは解った気がする。この時間が止まっている感じは気持ちが悪いし、早く選んでしまおう。
……。
「ごめん咲也、ちょっと用事があるから、ヒポポはまた今度ね」
「そっか、ま、仕方ねえな……」
僕が誘いを断ると、咲也はちょっと残念そうな顔をして向こうに行ってしまった。
<ばっちりだよ秋くん、この要領で本編も進めていけば大丈夫! 見られなかった分岐は周回プレイのときに選び直してみてね~>
天の声またはナビ子は、非常にご機嫌だ。
<ところで、ほんとに興味ないの? ゴールデンヒポポ>
「……うう」
うるさい。放っておいてくれ。
僕は姿の見えないナビ子の声を振り切って、廊下をまっすぐに進んだ。途中で何人かの生徒たちとすれ違う。時間帯はどうやら放課後のようで、部活に向かう人や家路につく人など、彼らの様子はそれなりに多種多様だった。
そのなかで、僕の目はとある女子生徒に引きつけられた。
眼鏡をかけた、腰まで届こうかという長い三つ編みの女子生徒だ。彼女はほかの女子と違って黒いセーラー服を着て、まだ暑い時期なのに同じ色のタイツまで身につけている。彼女は周囲からは明らかに浮いていた。
彼女は僕の正面からぼんやりとした足取りで歩いてきている。何か考えごとをしているようで、顔はややうつむきがちだ。そのせいか僕に気づいていないらしい。僕は危うくぶつかってきそうになる彼女を、何とか避けた。
「……」
それでも彼女はとうとう顔を上げることなく、そのまま渡り廊下の方へと歩いていってしまった。
「危ないな。大丈夫かな、あの人……」
小さくなっていく彼女の背中から視線を外したとき、僕は足下で金色に光る何かを見つけた。どうやら校章バッジのようだ。襟元への着用を指導されているものの、時々外れるんだよな、これ。
――もしかしたら、あの危険歩行女子のものかもしれない。あのぼんやりした歩き方は何だか不安だし、声をかけてみよう。僕はそう決心すると、校章を拾い上げてすぐさま彼女の背中を追いかけた。
「あの! すみません!」
「……なにか?」
振り返った彼女を前に、再び選択肢が浮かぶ。
「えっと、今度は……」
三つ編みの女子に心配そうに話しかける。
三つ編みの女子に文句を言う。
……どうやらここでは、彼女への話しかけ方で分岐が発生するらしい。この人にいろいろ言いたいことはあるけれど心配なのも事実だし、どうしたものか……。
時の止まった空間で逡巡していたそのとき、例の明るい声が頭の上から降り注いだ。
<は~い、体験版はここまで! 秋くん、お疲れさまでした~!>
「え!?」
僕が選ぼうとしていた選択肢たちは灰色にくすんでいき、やがて埃っぽい空気のなかに溶けていった……。
*
「え、ここまで? 僕、校章渡せなかったんだけど?」
ふたたびの、白い部屋。目の前に現れたナビ子に僕はすかさず文句をつけた。しかしナビ子には一切響いていないようで、彼女は両手を合わせて謝るようなポーズを見せながらも、小さな舌をぺろりと出しておどけてみせた。
「ざんねん、時間切れなんだ。体験版だから勘弁してね」
「えぇ……」
もやもやする。しかし僕の手のなかに、すでにあの校章はない。本当に体験版は終わってしまったんだ。
悔しいやら後味悪いやら、うまくは表せない感情が苦みとなって口の中に広がる。まあ、ゲームの世界に本気になっても仕方ないと言われたらそれまでだけど。僕の思いを知ってか知らずか、宙を舞うナビ子はにわかに僕の腕を引いた。彼女に引っ張られるままにして歩いていくと、そこには先ほどまではなかったはずの黒い扉が鎮座していた。彼女は僕を扉の前に立たせると、金属製のドアノブに手をかけてにこりと笑う。
「とにかく! 学園恋愛アドベンチャーゲーム『Dreaming Fruits』のはじまりだよ。いってらっしゃい!」
そして、彼女は勢いよく扉を引いた。
その瞬間、色のない向かい風が強く吹き付けてきて、やがて逆流するかのように僕の身体を吸い込んでいった。僕はナビ子の方を振り返ることもできず、ただ扉の向こうの薄い闇に落ちていった――。
「渡瀬秋くん」
落ちきる間際の、風が一瞬止んだそのとき。
「この世界にかけられた魔法を、あなたの力で解いてください。どうかよろしくお願いします」
灰色にぼやけていく視界、薄れていく意識のなかで、どこか輪郭のはっきりしないナビ子のそんな言葉が、僕の耳に届いた。
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