第4話
活力に満ちた声が周囲に反響する。あまりの大きさに風眞は耳を押さえつつ、横目で静珂たちをうかがった。那央以外を「先輩」と呼んだのなら、麻黄耶と名乗った彼は一年生だろう。
静珂はうるさそうに眉を寄せ、那央は「こんにちはぁ」と独特に間延びした声で応じていた。同じ学年ゆえ知り合いなのかと思ったが、お互いに「初めまして」と会釈していたため、面識はないとみえる。
「もう大変やったんですよ。どっかでアイドルの話しとるとは聞いとったんやけど、場所までは知らんくて。しかも話し合っとんの昼休みだけやん? オレもご飯は食べたいし、それからどこでやってんのかなーて探し回るん、なにげに疲れてもうて」
「いや、いやいやちょっと待て」べらべら話し始めるのを遮って、風眞は首を横に振った。「俺たちがアイドルの話してるとか、どこから仕入れてきた?」
「『わが校が誇る二大モデルが最近昼休みに顔合わせてなんか話し合いしとる』って噂になっとるよ。知らへんの?」
「……知らねえ」
風眞たちが話し合いの場としている階段の踊り場は、まったく人が来ないというわけでもない。近くを通りかかる者もいるだろう。開けた場所で声も良く響き、防音とも無縁だ。
さらにそこそこ人気のモデル二人が集まってなにやらこそこそしているとなれば、気になったファンがいてもおかしくない。教室から出て行くのを見送って、どこに行くんだろうと想像で楽しむならまだしも、こっそり後をつけてきて盗み聞きしていた誰かがいるのか。
でなければ噂が広まるはずもない。
迂闊だった。この場所を見つけてからこれまでずっと、誰とも鉢合わせたことがなかったために油断していた。風眞同様に、喧騒から離れ落ち着いた場所で過ごしたいと思う生徒がいないとは限らない。
「くそ、今度から違う場所にするしかねえか」
「噂になってるんだったら、今さら場所変えたところで遅くない? 学校で話すのやめるしかないでしょ」
「それか空き教室まるまる借りるとかぁ」
「まあその辺の話は追々ね。で、麻黄耶だっけ?」
静珂がため息まじりに彼を呼び、自分の前に座るよう促す。主人の言葉を忠実に聞く犬のごとく、麻黄耶は素直に正座した。
「なんでアイドルになりたいの」
「自分やない〝誰か〟になってみたくて!」
なぜ誇らしげに胸を張っているのか。ひとまず熱意と勢いは感じられる。自分とは大違いだと思いながら、風眞は静珂の隣に移動した。
三人が階段に座り、一人が床に正座する。志望動機も聞くなんて、まるで会社かアルバイトの面接だ。
「〝誰か〟になりたいなら、アイドルより俳優の方がいいんじゃないの?」
「んー、それはオレ的になんか
「は?」
風眞と静珂の疑問の声が重なった。那央もわずかに首を傾げている。
麻黄耶はごそごそとブレザーのポケットをあさると、細長い棒らしきなにかを取り出した。先端には赤いリボンとハートが取り付けられている。バッグにぶら下げたり出来るのか、ハートの上部からはチェーンが伸びていた。
「これな、オレの好きな『魔法少女ジュリアン&ポリアンサ』のポリアンサが使とる魔法の杖のミニチュアなんやけど」
「ジュリ……?」
「怪人が出たらこの杖使てな、普通の女の子から魔法少女に変身すんねん。ほんで歌ったり殴ったりして敵を倒していくんやけど、それがめっちゃかっこよくて」
「歌ったり殴ったり?」
――どんなアニメ……いや、漫画なのか? よく分かんねえし、聞いたこともねえ。
幼稚園児には人気だったりするのだろうか。あいにく風眞は女児向けのコンテンツに疎いため分からない。
困惑している間にも、麻黄耶の話は止まらなかった。
「怪人倒した後はな、傷ついた人を魔法の歌声で癒して元気にすんねん。あ、良かったらその歌聞く? ていうか一回聞いてみてほしいねん。歌詞もメロディーもすっごい良えから! めっちゃ元気になれるし」
「ジュリアンだかなんだか分からないやつはもういいから!」
これ以上は耳を傾けている時間がないと判断したのか、静珂が大声で割りこむ。スマホで時間を確認して見ると、昼休みが終わるまであと五分しかない。
「ひとまずアイドルになりたいって言うのは分かったし、どうする、風眞」
「え、あ? お、おう」
初めて名前を呼ばれたことに驚きつつ、風眞は正座したままの麻黄耶に目を向けた。
キラキラと輝く黒い瞳が眩しい。なんの迷いも戸惑いも経験したことがなさそうな、曇りのない眼差しだ。唇はうきうきと弧を描き、こちらの判断を今か今かと待っている。
――よく分かんねえ奴だし、断ってもいいような気がする、けど。
自分と違って真っすぐに「アイドルになりたい」という夢を抱いているのだ。静珂や那央もそうであるかは分からないけれど。
――一人くらい、そういう奴がいた方がユニットを支えられそうだよな。土台、みたいな。
静珂と那央の視線はこちらに向けられている。「なんで俺に決めさせんだよ」と思わなくもないが、それに対して文句を言えるだけの時間はない。がしがしと頭をかいて、風眞は長く息を吐いた。
「分かったよ。ユニットに加えてやる」
「ほんまですか! やった!」
「けどお前、どこかの事務所に所属してるわけでもねえ素人だろ。所長に紹介しとかねえと」
「じゃあ今日の帰りに事務所寄ろうよ。どのみち『四人そろいました』って報告しなきゃいけないし」
気のせいか、静珂の表情からは安堵が感じられた。四人で組む、という当初の予定を変えずに済んでほっとしているらしい。弁当箱を巾着で包む手つきも穏やかだ。
ちょうどチャイムが鳴り、次は移動教室だからと麻黄耶は慌ただしく去っていく。夢への第一歩を踏み出した喜びか、足取りは軽く弾んでいた。
その背中を多少羨ましく思いながら、風眞も踊り場をあとにした。
先週と同じ会議室で、風眞は改めて所長と向かい合っていた。先週と違うのは、自分と静珂の隣にそれぞれ麻黄耶と那央が腰かけている点である。
所長は手元の紙に視線を落とし、無言で読みこんでいる。新たに加わった二人が書いた履歴書だ。先ほど書かれたばかりのそれを読み終えると、彼は麻黄耶と那央を交互に見やる。
「緋衣麻黄耶くんと、有葉那央くんだっけ」
穏やかな声音で訊ねられ、「はい」と返した二人は背筋を伸ばす。部屋に入ったばかりの時はかなり緊張した様子だったが、いくらかほぐれてきたらしい。所長は組んだ指の上にあごを乗せ、柔らかな笑みを湛えていた。
「履歴書に問題はないよ。君たちを歓迎しよう」
「ほんまですか!」
「ありがとうございますぅ」
「詳しい契約はまた後日、保護者の方も交えてね。さて、じゃあユニットの話なんだけど」
いよいよきた、と風眞は腿に置いた拳を強く握る。
――アイドルになりたくないこととか、今のうちにちゃんと伝えねえと。
四人そろった以上、早ければ明日から本格的にレッスンが始まるだろう。でなければ夏のデビューに間に合わない。静珂たちに対する罪悪感が無いわけではないが、やはりきっぱりと断って抜けなければ。でなければ後悔するだろう。
だが。
「まずはリーダーを決めよう。もしかしてもう決まってる?」
「風眞先輩!」
「……は?」
誰よりも早く返事した麻黄耶のせいで、それまでの考えごとが全て頭から吹き飛んだ。
「ちょっ……ちょっと待て!」と風眞は慌てて立ち上がった。机を叩きそうになるのを寸前でぐっと堪える。「俺がリーダーとかなに言ってんだ!」
「え、違うん?」
「
「でもオレを加えるかどうするかは風眞先輩が決めたやん? やもんでオレはてっきり、リーダーは風眞先輩なんや思ててんけど」
「それはそう、だけど……!」
「僕も風ちゃん先輩がリーダーなんだと思ってたなぁ」
那央にまで誤解されている。なぜだ。リーダーになる気なんてさらさらないのに。
勘違いを生ませたであろう犯人は一人しかいない。
「……善利?」
「だってボク、リーダーとか興味ないもん」
ぎこちなく体ごと彼に向くと、静珂は悪びれる様子もなくほほ笑んでいた。小悪魔的笑みというやつだろうか。ファンなら黄色い歓声を上げて喜ぶだろうが、あいにく風眞にそんな余裕はない。
「俺だって興味ねえよ。押しつけんな」
「でもお前にはリーダーっていう〝首輪〟が必要じゃない? どうせこの期に及んで『アイドルになりたくないので抜けたいです』とか言うつもりだったでしょ」
見事に心を読まれている。言葉に詰まったのを肯定と見たのか、静珂は嘲笑うように口の端を吊り上げた。
風眞はなんとなく己の首を撫でた。首輪なんて優しいものではない。どちらかというと首だけでなく足や手にまで枷を嵌められた気分だ。
「とりあえず本人の意見も聞こうか」と所長が軽く手を叩く。「リーダーになるのは嫌?」
「……嫌っつーか、気持ちとかやる気とか中途半端なんだし、資格無いと思うんですけど。リーダーって他の奴の先頭に立って方向を導くための存在でしょう。俺はそんなの出来る気がしない」
「必ずしも先頭に立たなきゃいけないわけじゃないよ」
俯いた風眞の耳に、所長の軽やかな微笑みが届く。
「君たち全員がアイドルに関しては素人なんだから、縦じゃなくて横一列に広がって進んでいけばいい。平等に意見を出し合って、麻黄耶くんを加えるって決めたみたいに、割れた時には最終的に君が決断を下す。風眞くんにとって〝リーダー〟っていうのは、そういう認識でもいいんじゃないかな」
「……そう、ですかね」
導くのではなく、意見をまとめる役割だと思えば良いのか。であれば、少しばかり枷も軽く感じられる。
風眞が納得したのを見届けると、所長は立ち上がってホワイトボードに近づく。なにをするのかと四人が黙って見守るなか、彼はマーカーで書いたとは思えない見事な達筆さで、中央に「緑」と記した。
「君たちのユニットのテーマカラーだよ。赤とか青、黄色は他のユニットですでに使ってるからね。被らないようにこれにした。でもまあ、テーマカラーに関してはあまり深く考えなくていい。衣装の一部に少し使うとか、ペンライトみたいなグッズを出す時のカラーとして使うとか、それくらいだから」
カレンデュラのライブでは赤いペンライトが振られていたが、自分たちの場合は客席に緑色が灯るわけだ。こんな感じの色だよ、とスマホの画面で見せられたのは、生命の息吹を感じさせる明るい若草色だった。
衣装も少しずつ考案中だという。ラフをいくつか作った段階で四人に見せ、好みのものを選んでもらうと説明された。
「もしかして衣装考えてくれてるのって、キクジさんやったりしますか?」
うずうずと訊ねた麻黄耶に、所長がこっくりとうなずく。「やったー!」と両手を天に突き上げて喜ぶ様子を見るに、有名なデザイナーやブランドだったりするのだろうか。ふと隣を見ると、静珂まで嬉しそうにしている。なにも分かっていなさそうなのは自分と那央だけだ。なんだか妙に悔しい。
「それじゃあ今日はここまで。もうすぐ夜の七時だし、君たちを帰さないと」
「レッスンとか始まるんですよね。いつからです」
「教える側のスケジュール次第かな。来週の月曜日には伝えられると思うよ。予定が決まり次第、マネージャーから風眞くんに連絡してもらうから」
「分かりました」
「麻黄耶くんと那央くんには、今週か来週の土日どこかで正式に契約面談をしよう。保護者の方に都合のいい日を聞いておいて。それじゃあ、気をつけて帰ってね」
ひらひらと手を振る所長に会釈して、四人はそろって会議室を出た。
ひとまず明日と明後日はマジックを練習する余裕がありそうだ。問題は月曜日以降だろう。アイドルのレッスンがどのような内容か分からないが、素人をたった数ヵ月で育てるプランとなると、厳しいものが予想される。
はあ、とため息をついて、事務所から出る。風眞だけ帰る方向が違うらしく、それじゃあまた、と三人に手を振った。
――もう逃げられそうにねえ、か。
再び首を撫でて、がっくりと項垂れる。
これ以上、アイドルになりたくないとじたばたするのは見苦しい。抵抗をやめて受け入れるしかないだろう。
「麻黄耶くん、ちょっと」
不意に背後から声が聞こえる。なんとなく振り返ると、所長がエントランスから手招きしていた。呼ばれた本人は足を止め、ぱたぱたと駆け寄って首を傾げている。
「君の保護…………、らん……せいじ……」
「そう……。うち…………ない……」
――よく聞こえねえな。
雑踏がノイズとなり、二人の声はほとんどかき消されて分からない。辛うじて聞こえた言葉から察するに、保護者も交えた契約に関する話だろうか。
なんにせよ自分には関係なさそうだ。風眞は緩く首を振り、またため息をついて帰宅ラッシュの混雑にもまれながら帰宅した。
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