第六話 炊き出し
「やはりダメじゃったんかのう」
「ババ様、まだそうと決まったわけでは……」
「これで何人目じゃ?」
「二十七人目……です……」
ダラスマ集落の長老、ババ様と呼ばれた老婆は間もなくの死期を覚っていた。だからこそ、せめて自分が生きているうちに集落を何とかしたいと、断腸の思いで孫娘を領都に送ったのだ。
これまで送った二十六人は全員帰ってこなかった。領都に入ることを禁じられてから五年、窮状を伝えて大公に庇護を願うために使者を送り続けてきた。
直訴は死罪、それを知ってなお領都に向かい帰らなかった者たち。しかし願いは聞き届けられず、集落も限界を迎えようとしていた。
今回もダメならもう生きていくことは出来ない。冬を越すなど到底無理な話である。皆骨と皮ばかりの姿となり、十月に入ってからも数日のうちに三人が亡くなった。
皆で泣きながら死体を食べた。肉などほとんどついていなかったが、それでも食うしかなかったのだ。
「グレイシーよ、辛い思いをさせてすまなかったのう。ワシらもすぐに後を追うけえ」
「ババ様、あれ!」
指さされた方に目を向けると、二騎の騎兵に先導された一台の馬車が集落に向かって近づいているのが見えた。
「お、終わりじゃ……」
「ババ様?」
「あれはワシらを殺しに来た兵士に違えねえ」
「ま、まさか!?」
「ワシらが何したって言うだ……最期すら静かに死なせてもらえねえほど憎まれてただか……」
やがて馬車が集落の入り口で停まると、中から一人の男性が降りてババたちに近づいてきた。
「俺はハセミ領領主、ユウヤ・アルタミール・ハセミだ。アンタが長老のババか?」
「へ? そ、そうだども、大公様でねえのか?」
集落の長老ババには名前がないとグレイシーから聞かされていた。厳密には名前はあるそうなのだが、本人が忘れてしまってババと呼ばないと反応しないのだそうだ。彼女の夫であるジジという男性も同様とのこと。
「ヴォルコフ大公は死んだよ。この領は皇帝陛下から俺が賜った」
「では、ご、ご領主様自ら……?」
「よくがんばったな。グレイシーの願いは確かに聞き届けた。これよりダラスマ集落は我がハセミ領の庇護下に入る」
「「…………!!」」
ババとその隣にいた男性は目を見開いて顔を見合わせ、溢れる涙を拭おうともしなかった。そして優弥に手を合わせて頭を下げる。
「ご領主様、ありがとうごぜえます! ありがとうごぜえます!」
「ババ様! ジジ様が!」
そこへ集落の中から、やはり骨と皮ばかりになった中年女性が覚束ない足取りで、今にも転びそうになりながら駆け寄ってきた。
「何があった?」
「あの、そちらの方は?」
「ご領主様じゃよ。ワシらの願いを聞き届けて下さったんじゃ!」
「ああ、なんと……なんということ……ではグレイシーはもう……」
(もう?)
「で、何があっただ? ジジ様がどうした?」
「ジジ様の意識が……」
「危ないのか!?」
「はい……」
「メイド一人はすぐに毛布を持ってその女性に案内してもらえ! 他の者も手筈通り毛布と炊き出しの準備だ。急げ!」
「「「はっ!」」」
「ババ様、私たちも」
「うむ」
「俺も行こう」
家というにはあまりにも粗末な建物、もはやあばら屋でしかない。ところどころ腐り落ちている床に薄い布が敷かれ、そこに横たわる老いた体は小さかった。
「ジジ様! ジジ様!」
「おぉぅ、ババか」
「ジジ様、やったよ! グレイシーがやってくれたんだよ!」
「なん……じゃと?」
「ご領主様が、ご領主様が来て下さったんだよ」
「ご、ご領主様が!?」
「ああ、そのままで構わん」
彼に気づいて体を起こそうとしたので、それを制して従者に毛布をかけるように合図を送る。同時にババを始め、他の住民たちにも毛布が渡されていった。
「なんじゃ、ふわふわして暖かいのう」
「毛布じゃよ。ご領主様がワシらのために持ってきて下さったんじゃ」
「ほうかほうか、こりゃあええ」
さすがに優弥も気づいていた。老人の命の灯火は間もなく消えようとしている。言葉を口にしてはいるものの、意識は半分途切れかけているように見えたからだ。
「旦那様、たまご粥の準備が出来ました」
「よし。とにかく配れ。家から出られない者には持っていって食わせろ。あとここにも三つ頼む」
「はっ!」
すぐさまメイドが二人入ってきて、ババともう一人の男性にたまご粥が装われた椀とスプーンを渡す。
「これは?」
「たまご粥だ。冷めないうちに食うといい」
「たまご粥!? ジジ様、ほら、たまご粥だよ! ご領主様がたまご粥を……」
ジジは微笑んだ。いや、微笑んでいたと言った方が正しいだろう。
持っていた椀をメイドがジジの枕元にそっと置き、その胸に耳を当ててからゆっくりと首を左右に振って手を合わせる。ジジの目は閉じたまま、二度と開くことはなかった。
「ジジ様! ジジ様!?」
「ババ、まずは食え。ジジも腹を空かせて待っているぞ」
「あ? ああ、そうじゃな。ジジを待たせてはいかんな」
ババが涙で震える手でたまご粥を口に運ぶ。
「ジジ様、うめえか? うめえなぁ。ご領主様とグレイシーに感謝だなぁ……うめえなぁ、うめえよなぁ」
「ババ様……」
椀を運んできたメイドももらい泣きしている。そして、粥を食べ終えたババが再び優弥に手を合わせた。
「ご領主様、ジジ様もうめえうめえと食うておりました」
「そうか。何よりだ」
「グレイシーにも食べさせてやりたかった……」
「ん? 彼女にも食わせてやったぞ」
「「えっ!?」」
ババだけでなく、付き添っていた男性までもが驚きの声を上げた。
「ではあの子も最期にこんなうめえモンを食わせて頂けたんですね? ありがとうごぜえます」
「最期? 何を言ってるんだ?」
「グレイシーは直訴の罪でお手討ちにされたんじゃねえんですか?」
(グレイシー自身もそんなこと言ってたっけ)
「いや、殺してないぞ。ただ衰弱が激しかったので、今は城で休ませているが」
「グレイシーは生きてるんですか!?」
「だからそう言ってる」
もう何度目か分からない合掌を、ババと男性から受けていた。
その後、手配してあった床面が畳二畳ほどある木製の水槽が二つ届く。それらを段差をつけて集落の井戸近くに設置し、上に置いた方に水を張って燃焼魔法をかけた小石をいくつか放り込んだ。
魔単10を消費したので、小石はおよそ四十二日間燃え続け、水槽に満たした井戸水はすぐに湯に変わる。やがて沸騰すれば殺菌されて安全に飲むことが出来るし、それを下の水槽に移して冷ませば風呂にも入れるというわけだ。
水槽には底付近に水抜き用の栓があるので、段差があれば湯を移すのに労力は必要としない。
「小石は定期的に送るから、魔法が切れた物は捨てるか一カ所に集めて置いておいてくれ」
「まさかこの集落で風呂に入れるなんて……」
「湯冷めして風邪をひかないように気をつけろよ」
最初に同行したメイド数人と護衛騎士二人は、翌朝の朝食まで集落に残って炊き出しの任に当たる。その後は交替で毎日炊き出しが行われるが、この派遣任務には特別報酬が支給されることになり、志願する使用人に事欠くことはなかった。
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