第十一話 絶体絶命
ふとアバリースライムが進路を変えたことに気づいてその進行方向に目を向けると、そこには先ほどまでの紳士的な微笑みとは違い、邪悪な笑みを浮かべたバリトン男爵が立っていた。
「鉱山ロード殿、見るがいい!」
男爵の前には三人の子供たち。まだ距離はあったが、スライムはより柔らかい子供たちを目指していたのである。そしてその中に――
「エビィリン!」
「ユウヤおじちゃん! たすけて!」
彼の位置からはどう考えても間に合わない。スライムに触れられたが最期、一瞬にして骨にされてしまうのだ。
だが、子供たちの前にはバルコニーにあったのと同じような鉄格子があり、スライムはそれを通り抜けられないようだった。岩に潰されてもすぐに元に戻れるが、自分から鉄格子の間を通れるほどに変形することは出来ないらしい。
(バルコニーに鉄格子があったのもこのためだったのか)
「この子がエビィリンさんでしたか。よかったですねえ、まだ骨になってなくて」
「エビィリン、子供たちも耳を塞げ!」
「ははは! さっきから見てましたよ。大きな音でビックリしました。ですが無駄だったでしょう?」
「うるさい!」
「アバリースライムは剣も槍も、ああ、貴方の得意な岩落としも効きません。諦めて私の奴隷になりなさい。そうすればエビィリンさんとこの子たちは助かるかも知れません」
男爵が喋っている間も爆音が轟き続けている。彼が何発も追尾投擲を繰り返していたからだ。
「いい加減お止めなさい! その音は不愉快です!」
「黙れ悪党! 貴様は必ず俺の手で殺す!」
「いいでしょう。子供たちが食われるのは貴方のせいですからね!」
男爵が脇に垂れ下がっていたロープを引くと、鉄格子がゆっくりと上がり始めた。そして子供たちが通れるほどの隙間が出来たと同時に、彼は子供たちを押し出して別のロープを引く。
「哀れな子供たち……!?」
スライムは鉄格子にへばりついていた。だから一瞬で子供たちは飲み込まれる、はずだった。
「な、なぜ……!?」
ところが慌てて下げた鉄格子の向こう側では、優弥に向かって離れていくスライムの姿があったのだ。
「アバリースライム! 何をしているのです!」
わずかに戻るだけで大好物の子供の肉が食えるのに、スライムはこちらに見向きもせずに優弥を追っている。考えられないことだった。だがようやく男爵は魔物の様子がおかしいことに気づく。
「な、なんだあれは……」
半透明の薄紫色だったスライムの体が、おどろおどろしい赤紫色に変色していたのである。その間もあの
「子供たち! 耳を塞いだまま三人ともそこから動くなよ!」
(クソッたれ! あと二発……早くくたばりやがれ!)
彼が撃ち込んでいたのはただの岩ではない。燃焼の魔法で燃え盛る岩である。込める魔単は5、つまり一発当たりMPを50消費し二分間燃え続ける計算だ。
魔単とは、魔力には単位というものが存在し、使用する魔法によってその値も一定ではない。この魔力単位のことを略して一般に魔単と呼ぶ。
燃焼で消費する魔単1はMP10である。そして魔単1での燃焼時間はおよそ一秒、2ならば二秒だが、3だと六秒で4だと二十四秒と、階乗的に燃焼時間が増えていく。だから魔単5なら二分間燃え続けることになるのだ。
総MPが1600の彼が魔単5で燃焼を使った場合、これを全て消費したとして撃てるのは三十二発。すでに三十発を撃っている上に間もなく燃焼時間のリミットを迎える。これで倒せなければ絶体絶命に陥るところだ。
そして最後の二発を撃ち終えて、彼は子供たちの許に辿り着いた。追ってくるスライムをうまく誘導したというわけだ。
しかし三人の子供を抱えて逃げるには、スライムの移動速度は速過ぎた。ひとまずスライムを足止めするために大岩を落としてその場から離れるが、さすがに学習したのか唯一外に出られる壊れた扉を背にして向かってくる。
鉄格子を壊して逃れようにも、何度か移動していたので今はそこまでも遠い。そして運命の時が訪れる。燃焼時間が切れた岩が次々と炎を失い始めたのだ。
(クソッ! 子供たちだけでも何とか……)
だが、何度目かの足止めのための大岩がスライムを潰した時だった。これまでと同じように元の形に戻った魔物の体内に、無数の気泡が現れ始めたのである。しかもその場から動かない。
それを見た彼はエビィリンたち三人を抱えて、壊れた扉に向かって走り出した。スライムの狡猾な罠だったとしても、今はそんなことを考えている時ではない。
ところが警戒していたにも拘わらず、すんなりと扉の前に辿り着いてしまった。彼は三人を外に逃がしてからスライムを振り返ったが、相変わらずその場から動いていない。さらに気泡によってわずかだが体が膨らんだように見えた。
(熱がこもって耐えきれなくなったってか?)
考えてみれば奴は取り込むのは早くても、吐き出すにはかなりの時間を要していたようだった。だから岩の燃焼が終わった後でも熱を排出出来ず、体内はずっと高温に晒されていたのかも知れない。
「ユウヤおじちゃん、こわかったよぉ」
普段はませているように見えても五歳の子供だ。泣きながら戻ってきてしがみついてくるエビィリンを、彼は抱き上げて頭を撫でた。
「よくがんばったな」
「うん……」
「もう大丈夫だぞ」
「うん。ユウヤおじちゃんがきてくれたからだいじょうぶ。あのね、ルイスとヘンリーがいなくなっちゃったの」
「友達か?」
「うん。でもバリトンさまにつれていかれてからかえってこないの。ルイスとヘンリーもたすけてあげて」
彼女が言うのは、共に助けた二人とは違う子供たちだった。おそらくその二人はすでにアバリースライムの餌食となってしまったと思われる。ただ、それを伝えるにはエビィリンは幼な過ぎた。
だが彼女はこう言いながらも、何となく二人がどうなったのかを覚っているのだろう。その証拠に彼にしがみつく腕には、年齢からは不相応と思えるほどの力が込められていた。
そこへ騎士団長のアレクシス・リードを始めとする王国騎士団十数人を引き連れたトニーたちが戻ってきた。あの距離を往復してこのタイミングだから、馬を全力で走らせたに違いない。
「ユウヤ様、ご無事でしたか!」
「ああ、早かったな」
「いえ。それでスライムは?」
「多分やっつけた。男爵には逃げられちまったが」
その時突然、男爵邸から猛烈な湯気が立ち込めた。中を確認した騎士によると、巨大な魔物の表皮のような物が広がっているとのこと。スライムの中身が蒸発して表面だけが残ったのだろう。どういう理屈かは分からなかったが、液漏れはなかったようだ。
ところがその湯気に紛れて、こちらとは反対方向に走り去っていく二つの人影を彼は見逃さなかった。
一つは服装や背格好から間違いなくバリトン男爵、もう一つは女性なのでおそらく彼の妻と思われる。ターナー夫妻だ。
「エビィリン、このお兄さんと一緒に待っててくれるか?」
「おじちゃん、どこいくの?」
「ちょっと汚物を片付けてくる」
「おぶつ?」
「トニー、エビィリンを頼む」
「ユウヤ様、もしかして……」
「すまんが詮索はなしにしてくれ」
「分かりました。エビィリンちゃん、ユウヤ様はすぐ戻ってこられると思うから、お兄ちゃんと待ってようね」
「わかったー! おじちゃん、ぜったいかえってきてね」
「ああ、約束だ。必ず帰ってくる」
降ろしたエビィリンの手をトニーが握ったのを見て、彼はすっとその場を離れた。
騎士団に捕らえられてしまっては拷問は受けるだろうが、この怒りを鎮めるにはそれだけでは生
アバリースライムに飲み込まれる時にメイドが繰り返した、熱いという悲鳴が今でも耳に残っている。生きたまま体を溶かされる恐怖と苦しみは筆舌に尽くし難いものだったことだろう。それを何の罪もない子供たちにも味わわせたのだ。
万死に値する罪である。だから楽に死なせるつもりはない。
彼が再び逃げる二つの人影を捉えた直後、辺りに二度の爆音が轟くのだった。
――あとがき――
魔単については第五章の第四話で解説してますが、念のために再掲しておきました。
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