第11話 ユニフォームと戦いの始まり

 あの日、帰ると内林のサイン入りのユニフォームが到着した。今年の5月に開催されたCL決勝でゴールを決めて、欧州得点王になった試合で着用していたものだ。あの試合で内林は疲労の蓄積に加えて、相手の徹底マークにに再三、苦しめられた。出血や汗にまみれ、袖を引きちぎられた、そのままの状態でここにあった。


 あの涼しげな男が、唯一、雄叫びを上げた試合後の姿は、すでに生きる伝説として語られている。








「なにやってるんだろうな」


 あれから季節は冬へと変わり、年も明けた。内林が消えてから、何も起きていない。おぞましに関する調査も掘れるものは、もうない。


「案外、眠っているのかもしれませんよ」


 隣で、とろんと話すのは、谷口恵里菜である。マジェスティの活動とは別に、喫茶店で合う機会が多い。先ほどまで、カフカの変身について感想を交わしていた。

彼女の評は、家に囚われた兄の自虐であった。ほわほわしたゆるキャラのようで、案外、毒を吐く谷口は面白い。


「そうあってほしいわね」


 ようやく耳に届く声で同意するのは、涼子だ。あの日、内林輝雄はおぞましの一派であろうと仮説が立てられた。今日までの調査でも、それを裏付ける話が出てきている。


 欧州の得点王を決めた試合の後、誰もが内林の負傷による離脱を予想した。チーム関係者もドクターも、負傷に加えて休みなくかけ続けた活躍に報いるため、長期休養を話していた。しかし、オフシーズンで組まれた国際Aマッチ(国と国との公式の試合)に姿を現し、内林はブラジル相手に1試合4ゴールの活躍を見せた。あの涼しげな姿で。


 その間、僅かに1週間。当時は、生きる伝説にまた1ページと栄誉のように思われていたが。その間に、おぞましとの接触があったとみられる形跡が見つかった。


 10月に姿を消した後、内林は休養のために長期離脱しているとされている。世界中のファンが悲しみ、やはりダメージを押しての出場だったのか、と納得していた。一流クラブに所属する彼のセキュリティーは万全であり、時折、彼のSNSで休養の様子が流れてくる。そこで笑う内林は、自然体で何も変わっていない。


 話を戻そう。あの日、内林がおぞましの一派だとの仮説に、涼子は同意した。内林に信頼をおいていただろうけど、彼女の判断は冷静で我を通さなかった。


「飯食べてんのか?」


「何よ、やぶからぼうに」


「それ死語じゃないか?」


「私が納得できる響きならいいのよ。直人にも響きやすい言葉でしょ?」


「まぁな」


 こうして今日も茶化すぐらいが関の山だ。明らかに元気がない。それでも揺らがないのが冴島涼子であった。


「響かない人がいまーす」


 手をふりふりとしてアピールする谷口。


「谷口さん、あなたと共有できなくても、私は困らないわね」


「実は私もそう思います。それでも同席してるのですから、言葉は選んで欲しいですね」


「あなたは空気を選びなさい」


「はい。お互いに、ですね」


 火花を散らす2人。頼むから俺を挟まないでくれよ。


「それにしても好きね。美味しいの?」


 涼子が聞くと、谷口は笑顔で皿ごとさしだした。


「とーっても。ご賞味あれ」


 たじろきながらも、涼子は皿を受け取り、じっくりとスイーツを見る。ふわふわのムースとクリームで包まれている。意を決して、枝松からフォークを受け取り差し込んだ。涼子の口もとが動くたびに、チョコのパリパリとした音が聞こえてくる。


「ありがとう、とーってもおいしいわね」


 礼をいい、皿を返した涼子は良い笑顔である。


「気に入っていただけて嬉しいです。季節ごとに中のスイーツが変わるんですよ」


 谷口もほほをゆるませている。おぞましの件での緊張があるからこそ、こうしたひと時が大切であると、俺は思う。







 ふぉん。


 静かに腕時計が鳴り応答すると、映像が現れた。鶴島が手配した道具の一つで緊急連絡手段だ。


「一ノ瀬、訓練の成果を発揮するときがきた。すぐに来い」


 手短に告げた氷上と入れ替わり、場所が示される。梅の名所で有名な神社だ。


「幸運を祈る」


 涼子と谷口と作戦をスタートさせる合言葉を交わし、持ち場に別れる。おぞましと対峙するときに、戦闘を想定して、前線と後方支援に組み分けされている。俺は前線組に志願し、氷上と鶴島による実践訓練でしごきにしごかれている。もう無様はさらさない。


 店外に出ると、すでに車が手配されていた。車外の振動を微塵も伝えない車内で、装備を手早く整える。鶴島の手配により、武装は得意のものが支給される。

俺はブレードと戦闘スーツだけだ。


 瞑目して、心を静かに整え、自身の意識を沈ませていく。おぞましにあったとき。そのあと。涼子の顔。内林の顔。はるか昔にぼんやり残る父の気配。生きてきた全ての経験が巡った。そんな心地だ。


 やがて静かにドアが開かれ、俺は雪を踏んで車外に出た。






 さくさくと雪を鳴らして進む。境内に人は見当たらないから、やはりおぞましはいるのだろう。骨伝導を介した通信が入る。


「一ノ瀬。賽銭箱の前におぞましはいる。階段を登り切ったら、まっすぐに切り込め」


 氷上の短い指示。


「了解した」


 氷上には考えがある。なんやかんや言っても取り合ってもらえないし、指示には必ず意味がある。


「設置完了」


 階段の半ばごろに、霧島から通信が入る。


「確認。動作に問題なし」


 冴島、谷口がシンクロして答える。どういう仕掛けか霧島は罠を仕掛ける達人だ。戦闘に参加する彼に変わって、2人が作動させる。


「おのおの抜かりなく」


 枝松から激励が入る。2人を頼んだぜ、マスター。階段を登り切る手前。


「作戦中断。誰かがおぞましに接触した」


 氷上の指示が飛ぶ。これほど包囲がすんだ境内に侵入できるやつがいたのか。


 まさか。


「一ノ瀬!」


 氷上の叱責も無視して、俺は階段を登り切り、その人物を見た。


「ロギアさん、お久しぶりです」


 そう言って、おぞましに話しかけるのは、今日も自然体でいる内林輝雄だった。

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