序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その16
赤土の大地を進む。夕焼けの色が合わさって、いつもよりずっと濃い赤だ。働き者の農夫たちが、仕事を終えて帰宅の途中にある。のんびりと間延びした時間がそこにはあって、馬車のなかから見守るにはぜいたくな平穏だったよ。
『第九師団』との戦いで獲た勝利がくれた、つかの間の休息時間だ。楽しまなくてはならない。
戦いにも、仕事にも、関係のない会話をした。何だって、いいわけだよ。空を流れる雲の形だとか、その雲と風が含む湿度から察するに、遠からずこの土地に少しばかり雨の時間が訪れることになるとか、昼間に市庁舎で出されたメニューの味だとか、すれ違う農夫の抱えているトマトがたっぷり入ったざるが魅力的に見えただとか。
全くもって、他愛のない。
しかし、大切な『家族』の時間を会話しながら過ごす。
馬車の旅は、やがて小川を見せてくれるんだ。人工的な水路でもある。農地に水を引くために、従来あった小さな川を延長して作ったものだ。だから、まっすぐに大地を走っている。流れのなかには、ひもで吊るした野菜がところどころにあって、冷やされていた。
晩飯にかじるためだろう。八月を涼しく過ごすには、冷たい野菜を晩飯にかじるのも良いことだったから。近くの農家が晩飯のとなりを馬車が過ぎていき、人工的な川の果てには林がある。風に鳴る葉の擦れる音が、心地よい。
「ガキどもはカブトムシでも採りに来そうな林だな」
「男の子って、ああいう虫が好きですよね。ソルジェさんもですか?」
「好きだよ。カッコいいからな。ガンダラも好きだろ?」
「巨人族は、虫採りを好みませんよ」
「マジかよ。楽しいのに」
「どこがでしょうかな」
「……子供のころは、好きなんだがね。特別な虫だったよ。カッコ良かったんだ。飛ぶし、なんか強そうだし?」
「団長は好きそうですな」
「好きな方だったと思うぜ。兄貴たちも、好きだったけど……ああ。雨が降らない夜であれば、久しぶりに採りに行ってもいいんだが……あいにく、雨が遠からず降る。長雨にはならないだろうが、遊びに出かけたい気持ちにはならないだろうよ」
「ふむ。ならば、しっかりと休まれるか、読書に励まれる時間とすればいい」
「あらためて言っておく。読書は、やめておくよ」
「では、しっかりとお休みしましょうね、ソルジェさん」
「ああ、『楽しみ』だ」
「も、もう。エッチな目で見ないでくださいよう」
「見えてきましたな」
「ん。そうだな、あれか……」
林の先には湖がった。大きな湖で、穏やかな水面は鏡みたいに夕焼けを映している。その湖のほとりに、屋敷があった。三階建ての屋敷……帝国貴族たちに接収されていた、『モロー』の商人の別荘。
オレたちが、今夜、泊ることになる屋敷だよ。色々ともてなされる予定でもある。その屋敷の庭には、『白夜』がいて、こちらを見て首を高くしてくれた。飼い葉を食べるのをやめて、出迎えてくれている。
「ゼファーは、まだ戻っていないみたいですね。では、ミアたちも……」
「夕飯までには、到着するよ」
「グルメなミアが、一流シェフの作るディナーに遅れることはないでしょうからな」
「そういうことさ」
猟兵は、『プレイレス』の各地に散って仕事をしている最中だよ。キュレネイとククリとククルは、『ペイルカ』の西で山賊狩り。リエルとカミラとジャンは、『モロー』で復興作業を手伝っていた。
レイチェルは、『トルス』入りした『イルカルラ血盟団』のドゥーニア姫の護衛を勤めてくれながら、治安維持のために『トルス』の街を監視中。『イルカルラ血盟団』と『トルス』市民が衝突しないように、してくれている。ミアとゼファーは、海賊退治だ。
あちこちバラバラではあるが、これも『プレイレス』の平和のためだ。あちこちに火事場泥棒が現れてもいるし、極右勢力も火種となっている。大きな災いにならないよう、早めの対処が必要だ。大きな戦はなかったとしても、戦いの日々を我々は過ごしている。
「全員大集合という形ならば、文句なしではあるが……仕方がないな」
「我々も多忙な身ではありますからな。一流シェフの作る料理を食べられない、キュレネイが知れば、後から文句を言って来るに違いありませんが……」
「『ペイルカ』チームにも、今度、良いメシをおごるさ。あるいは、久しぶりにオレが腕を振るうのも良い」
「どちらでも、とっても喜びますよ」
「だと思うぜ。とくに、キュレネイは、最近、良い顔をする」
「キュレネイが、ですかな?」
「ああ。無表情だが、分かるのさ。成長しているよ、みんながね」
「頼りになることです。ガルーナの将来的には、幹部ですからな。多くの仕事をさせておけば、国家の運営も楽になる」
気が早い。
とは、言えないね。冬の訪れるよりも先には、ガルーナを奪い返す予定だからだ。それもまた、オレたちを忙しくさせてもいる。だが、今夜は……のんびりとしよう。
『ヒヒイイン』
「ただいまです、『白夜』」
『白夜』に出迎えられる。屋敷から、声も聞こえた。
「ソルジェ、ロロカ姉さま、ガンダラ!お疲れ様だー!」
元気なリエルの声を楽しみながら、オレたちの乗った馬車は止まった。
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