序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その15

 

「ソルジェさん。お疲れ様です」


「ああ、ロロカも、お疲れ!」


 四頭引きの馬車の前にはロロカ先生とガンダラがいた。馬車の屋根に荷物の入ったトランクを乗せながら、ガンダラが質問してくる。


「レブラート家の息子は上手く仕事を成しましたかな?」


「もちろん。上手く行ったよ。色々と、面白い土産話も作ってくれたぜ。道すがら教えてやるよ」


「それは、楽しみですな。では、さっそく、参りましょうか」


「久しぶりの休暇ですから、しっかりと休みましょうね、ソルジェさん」


「もちろんさ。さあ、ロロカ」


 馬車に乗るのならね、妻に手を貸すよ。騎士道の体現者だからな、オレは。微笑んでもらえる。こういう気配りは、大切だし……してて、オレも嬉しいんだよ。夫婦らしい行いをするってのは、幸せなことさ。


「仲睦まじいことで」


「仲良し四人夫婦の愛の絆は堅固だからな。それで、ガンダラ。どっちが馬を?」


「むろん、私の方ですよ」


「悪いな。気を遣わせているか?」


「馬の背中を見つめるのも、嫌いじゃないですからな」


「そうか。御者席とのあいだに、小さな窓もある。おしゃべりが聞こえない作りじゃなくて助かるぜ。カイについての笑い話は、お前とも共有したい。あの二人が感じている違和感についてもな」


「……興味深そうですな。では、参りましょう」


「おう。頼むぜ。バカンスだ」


 完全に仕事を忘れることも出来ないがね。市庁舎の裏手にある門から、ガンダラに操られた馬車がゆっくりと出て行く。豪華な内装の馬車のなか、美しくて機嫌が良い妻と一緒に座るのは、男を大人物の気持ちにさせてくれたよ。まあ、ちょっと違和感もあるがね。


「……『王無き土地』の文化も、不思議だな」


「そうですね。市庁舎の裏手から出て行く……公務以外では、基本的に表門を使わないという思想です。権力を管理しようという試みが、生きています」


「王さまを廃止した文化は、複雑だよ。オレたち『自由同盟』の『外交官』でも例外はないわけだ。仕事の一種のはずなのに……」


「いい機会ですな。学べる」


「身をもっての学習ってのは、たしかにガルーナ人向きの方式か。学ぶ。そうだな、良い試みだよ。ちょっとは、知恵をつけたくもある」


「うふふ。本を、読まれますか?」


 『レフォード大学』から送り届けられた本が、馬車のなかにもあった。ロロカ先生は本当に勤勉だな。でも、今は、いい。


「今度にしましょうね。そんな顔していますから」


「ありがとう。だが、怠けるつもりもない。馬車から、『モロー』の夕日に焼かれる街並みを見ながらだって、多くを学べるしな」


 建築の方式だとか、どんな労働者がいるかとか。『アリーチェ現象』の影響につかった、違和感さえ覚えられる融和の光景だとか……もろもろのハナシを、ロロカ先生とガンダラにしていく。


 二人の意見も、カイとリサと同じだった。


「亜人種への差別が、異常な勢いで消えています。これは、あの子の力ですね」


「機会でもあるわけですな。世界をより良くするか、あるいは……また元通りになるか」


「そう。それだけじゃなく、敵意の喪失も気にはなる。こっちは、オレたちが本職だが」


「戦力の整備は、十分……とは言い難いものの、整えてはいますね」


「ああ。だが、十分とは言えない。そもそも、帝国とは絶対的な戦力の数が違う……」


 平和な夏の夕焼けがあった。『レフォード大学』の学生街で見たような光景さ。甘ったるいほどの融和。悪くない。正しい。しかし……。


「心配性になったかな、オレは」


「心配しすぎることはない状況ですからな、それで良いのですよ、団長」


「ええ。皆で懸念を共有している。それについて、前向きに動いていますから。それは、焦りが成し遂げた生産的な現象です」


「そうか。どうにか、アリーチェの遺してくれたものに、応えたいんだ。オレも、皆もか」


 ……仕事のハナシは、それぐらいにしておく。共有できたのならば、十分だ。


 喜劇が、役に立ったよ。


 恋人との結婚を許してもらおうとお義兄さんに会いに行ったら、お義兄さんが恋人にプロポーズしている現場に遭遇した。エルフと人間族のカップルだ。それぞれ、男女の差があったけれどね。


 いい思い出話が一つ増えた。


 カイ・レブラートの滑稽な態度は、ロロカ先生はもちろんのこと、あのガンダラさえも笑わせてくれた。大人はね、ちょっと意地悪な喜劇も好きなもんさ。とくに過酷な戦いの日々を過ごす者たちからすれば、ユーモアは大きな癒しとなる。


 夕焼けの古い街並みを進み、やがて街の東端にたどり着いた。衛兵たちには、ハナシが通してあるからね。馬車に対して敬礼するだけで、中をあらためようとしたりはしなかったよ。敬礼と、「サー・ストラウス、万歳!」という言葉で見送られた。


「人気者になっちまっているぜ」


「英雄ですからな。自覚を深めていくべきでしょう。ガルーナの王になられる男だ」


「……ああ。品格や、知識もつけたいところだよ。だが……今日は、やめておこう。会議で疲れた。殺し合いをするよりも、疲れる」


「フフフ。そうですね。とくに、『王無き土地』の……『プレイレス』の議員たちは、ある意味ではまどろっこしい論戦を好み過ぎますから。支配者がいないため、意志決定に時間がかかってしまう。戦闘中でもなければ、あれだけ細かな仕事をする」


「慣れない仕事で疲れた、赤毛のアタマを撫でてくれよ、ロロカ」


「はい。甘えん坊さんのソルジェさんのアタマを、ナデナデしてあげますねー」


 年寄りの猫みたいに、やさしく頭を撫でられることを楽しむ。独占欲の強さを見せながらな。もっと撫でてくれと、すり寄るんだよ。ああ、コミュニケーションに、癒される。


 ……ガンダラがいなかったら、もっと夫婦ならではのことをしたい気もするけど、夫婦の愛情が表現される場所を目撃されるっていうことが、いかに滑稽なのことかを、『ツェベナ』で学んだばかりのオレは彼らの二の舞は踏まないよ。




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