序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その14
「それでは、私とカイさんは、街の方の会議場に向かいますね」
「……オレは」
「おいおい。顔を出そうとか、しなくてもいいよ。すぐ終わるようなスケジュールで動かないよ。賢い人たちだけじゃなくて、予算を出してくれるかもしれない銀行家だとか、商人だとか、色々と顔を出すし。間違いなく、やたらと長くて……クソ地味な会議になると思う」
「ん。派手な会議って、あるのか?」
会議の道はシロウトだからね。数少ない経験から言わせてもらうと、ピンと来ない。いや、思い当たるものも、なくは、ないか―――。
「―――交渉相手や議員たちを『脅す』ってのは、迫力があって、楽しいかもしれんな」
「うわあ。そういうのは、会議って言ってもいいのかなあ」
「歴史上には、『そういう会議』もありましたけれど。現代の『プレイレス』においては、一般的な所業ではございませんので、ご遠慮くださいね」
「だってさ。総大将の出番はない!……今回は、派手な恫喝もいらないよ。だってね、『ツェベナ』の保守的かもしれないアーティストが、ああなんだぜ。きっと、十日前だったら、義姉さんがあそこにいることは、出来なかっただろうに。それぐらい、今は、劇的に変わっている」
「……アリーチェの『奇跡』が、それほどまでに皆の認識を歪めてしまっていると思うか?」
「……素直に、言うよ。それが、友情だと思うから」
「ああ。嘘は、友情には相応しくはない」
「……ここまで、劇的な変化は、そうだよ。間違いないね。強烈な変化が、あった。不自然ではある。これは……きっとね、呪術の一つ。自然な力とは、言えないよ」
『プレイレス』で生まれ育った男の意見は、旅人であるオレの認識よりも正しいはずだった。差別が『消え過ぎている』。悪くないはずで、倫理観の上では理想的な変化ではあるが、『弊害』と呼べるものもあった。
知っている。見ているぞ。
職人たちが、城塞を崩してまで、歴史的建造物の美の修復しようとする傾向がある。それさえも、『アリーチェ現象』が作っているのかもしれない。
どうにも、『敵意』が消え過ぎている。
それは、生物として間違ってもいるんだよ。過度で拙速な融和が、外敵への備えさえも崩してしまっているのかもしれない。アリーチェは、正しい。しかし、正し過ぎる環境も、バランスを欠いてしまう。それが、ヒトの残念な本能だった。
ヒトは、『普通の状況』を求めるものだよ。現状は、普通よりも良すぎる。だから、少しばかり『狂った行動』を取っているのかもしれん。過度に正しく振る舞っている。だが、そうなれば、違和感がたまっていくだろう。己の行いに矛盾を覚えれば、ヒトは『普通』に戻ろうとするものだ。
人種差別の、復活さ。
『自由同盟』の勢力が、多くいるこの状況で……?
……何が起きるのか、考えると恐ろしい。失望と怒りが、『仲間』となったはずの我々に内部衝突を招くかもしれん。歴史的な因縁がある、『イルカルラ血盟団』だって、この土地に来ているんだからな。
インテリたちは、その『破滅的な共食い』を教育で防ごうとしているわけだ。『普通の状況』を、教育により改善する。かつてより高いモラルへ人々の意識を高めるのさ。そうなれば、この『異常』さえも、人々は受け入れ、そのうち慣れてくれるのではないかと……。
良いこともあれば、悪いこともある。
大きな力というものは、そういうものだ。無垢すぎる正しさを受け止められるほど、世界もヒトも良く出来ていないんだ。
「なあ、総大将……機嫌、悪くしていないかな?」
「もちろんだよ、友よ。素直な回答に感謝する。すべきことが、見えてくるからな」
「うん。オレも、がんばるぜ。学問でも、商いでも、芸術でも……『奇跡』を、ちゃんと刻み付けてやるんだ。二度と、変わっちまわないほどに!」
「軍事力でも戦う。オレは、『奇跡』を守るぞ。ユアンダートの首も、その周りの連中も殺してな……」
戦士にしか、いや、『パンジャール猟兵団』にしか、それは成し遂げられない。死んでも戦い抜いて、世界を暴力で変える。それ以外に、答えなど、やはりないのだ。平和は、敵を滅ぼしてから築かねばならん。9年前のガルーナで得た教訓がある。負ければ、何もかも失う。
「……役割分担ですね。私たちの欲しい『未来』は一つ。そのために、それぞれの得意分野で、がんばりましょう。ストラウス卿は……今は、しっかりと休んでくださいね」
「……ああ。休まないと、暴力を使って敵を皆殺しにしてやることも出来んからな」
「ですね!では、ストラウス卿……よい夜をお過ごしください」
「じゃあな、総大将!今日は、本当にありがとうなー!!」
……あっち方面の仕事では、若者たちを働かるほかない。無学なガルーナの野蛮人が、『新しい学校』を建てるための会議などに参加したところで、良いアイデアを出せるはずもないのさ。
理解しているよ。自分が成すべき範囲は、そういう方面ではない。大人しく引っ込んでおくべきだから、計算高くもあるリサ・ステイシーはオレを解放している。あっちの戦いでは、鋼を自在に振り回す技巧は役に立たない。
ならば、戦士は、戦士らしく。
ここは素直にすべきことをしよう。戦場に備えて体を休ませるんだ。妙な焦りは覚えているが、どうにもならん。一日でも早く、レヴェータとの戦いのダメージを抜く。それが、次の敵に備える最良の方法だ。いつまでも、戦わずにいられるはずもない。ユアンダートは、まだ健在なのだ。
夕焼けに染まっていく街に向かった二人に背を向けて、市庁舎の裏手へと向かった。そこには馬車が用意されている予定だよ。
金持ちごっこをするつもりじゃないが、豪華な場所に乗って……お出かけする。湖畔の近くに建てられた、大きなお屋敷だ。『モロー』の商人たちからの、接待でもある。ラフォー・ドリューズが主体となって、用意してくれたんだ。
だが。休暇だけが、この小旅行の目的ではない。屋敷の近くにアトリエを構えている、彫刻家に出会うためでもあった。仕事を、依頼するために。もちろん、アリーチェの像を作らせるためにだ。
芸術を、頼る。
もとい、芸術家を頼るんだ。
オレにはやれない仕事をしてもらう。『奇跡』を成した少女の像が、あちこちにあれば……現状が普通の範囲に定着してくれるかもしれないからな。あとは、アリーチェを、たんに偲びたいという個人的な感情からでもある。それだけでも、十分な動機だ。
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