序章 『雨音は湖畔の屋敷に響く』 その12


「さてと。三人に祝いの酒でも振る舞うよ。ここのラウンジはやっているんだろ?」


「あ、ああ。やっているよ。あそこに、併設されている個室があって、そこを予約もしているんだ」


「さすがはお義兄さんです、そこでお義姉さんと食事をなさる予定で……って、オレたち、邪魔しちゃいますよねっ」


「いいのよ。私もね、誰かいた方が、その、落ち着くし」


「ということだから、気にしないでくれ」


「じゃあ、行きましょう!……ストラウス卿、案内をお願いしますね。場所、知りませんから」


「任せておけ」


 仕切りたがりの赤毛のケットシーと親族となった三人を引き連れて、この演劇の場を後にする。ちょっとした移動のあいだにも、リサは『パイプ役として派遣された理由』を発揮してくれたよ。


 『聞き上手』……『聞き出し上手』と呼ぶべきか。『十大大学』で習う知的な技巧なのかもしれない。短時間のちょっとした移動なのに、素早く的確に『情報収集』を行ってくれる。カイが、愚痴をこぼす相手に選んだのも、仕方がないことかもしれん。


「―――なるほど、奴隷たちの解放の戦いに、危険を顧みず参加したわけですね。その姿に惚れた、と……美しいことですね!極限状態では、ヒトの本質が露呈すると言いますから、ロバートさんは勇敢で、そして、やさしい方だったと。見た目も良いし!」


「そ、そうね。私には、ちょっと、もったいないかもしれないけど」


「そんなことはないよ」


「……っ」


「いやあ。良いタイミングで、言葉を使いますね。さすがは、役者です」


「そ、そうかな。クロエといるときは、役者の仮面を外したいんだけど……」


「しなくていいわよ。どうせ、ムリだし」


「うっ」


「仕事熱心なところも、好かれているんですよ、ロバートさん」


「な、なるほどっ?」


「……ばらさないでよ、おしゃべりなケットシーね……」


「伝えておくべきことは、伝えておくべきです。仕事熱心な方は、それと生きるしかありませんから、ムリに『職業の仮面』を脱ぎ捨てるなんて目指すべきじゃありませーん」


「……そうね。ムリした姿なんて、つ、妻に見せなくてもいいんだから」


「なるほど。わかった。良い役者であることは、私の夢だし、クロエを養うことにも直結する。良い役者であることを、目指すよ」


 ……ああ、役者の本領を見たぜ。気配が一瞬で変わっている。背筋を伸ばし、自信を充たした顔になった。『初対面』のときと、全くの別人だ。レヴェータに『生きた小道具』として、舞台装置の一つに使われていたクロエを心配し、化粧が乱れるほど泣きじゃくっていた。


 善良ではあるが、強さも威厳もなかったのに。


 今この瞬間は、ベテランの戦士のようだ。変わるものだよ。オレは、化粧に隠れた顔で判別などしない。鍛えられた体格は、だいたい記憶している。どんな動きがやれる体なのかを察知できるのは戦士としての必須の感覚だからね。


 武術の達人である猟兵の感覚を、ロバートは越える。人格だけじゃなく、体の気配までも変えられるんだ。実際の強さは変わらないはずだが……ここまで認識に変化を起こせる。とんでもない達人だよ。


「役者は、やはり役者として生きるべきだな。自分の本質を否定しても、いいことなど何一つなかろう」


「らしいから、がんばるよ」


「お義兄さんの劇、これからは全て見させていただきますねっ!」


「ああ、ありがとう、カイくん」


「頼りになるわね。応援は言葉じゃなくて、お金でもお願いね」


「当然ですよ、芸術を応援し、世の中に希望を与えるための金持ちですから!」


 いい『家族』になりそうだよ。それと、つながりを持てるのはありがたいことだ。とくに、ガルーナの野蛮人は芸術を理解していないから、芸術家と触れ合う機会を増やしたくもある。


 知識と同じように……猟兵の力として、使えそうだからね―――という考えをしているうちは、どうにも不順な動機過ぎるが、ユアンダートとの戦に勝たねば、人間族と亜人種の恋物語の結末は暗い。


 アリーチェと同じように、『パンジャール猟兵団』はそういう愛のためにも勝利せねばならん。良いことさ。復讐だけじゃ得られない感情が、力をくれる。


 良い酒をおごりたくもなるというものだ。


 扉を開き、ラウンジへと入る。音楽と出会えたな。


 ……十数名の客がいる。誰もが、この音の虜らしい。『ピアノの旦那』にも負けず劣らずの腕前を持つピアノ弾き、テレーズは今夜も神がかった技巧をその細指に宿らせて、鍵盤を叩いていたな。美しいドレスと、美貌も健在。


 彼女も無事だったか。最高の芸術家が、あの戦闘に巻き込まれて命を落としたりしてなくて、本当に良かった。あいさつしたくもなるが、演奏中である。邪魔すれば、ファンに恨まれるだろうからね、今回は、友人たちの結婚を祝うとしよう。


「こっちだよ、皆」


 ロバートに招かれて、その小さくて豪華な個室に向かう。小さいのは、あえてさ。距離を狭めるほど、心も近寄れる。建築というものは、ヒトの心理も操るようにデザインされるものだ。


 二人分の椅子と、小さなテーブルがある。いかにも、オレとカイとリサは邪魔じゃあるけれど、長居するつもりはない。大人だからね。意地悪なところがあったとしても、ちゃんとわきまえている。


 オススメの白ワインを頼み、祝杯のグラスをぶつけ合った。


「素晴らしい『未来』に」


 その言葉を選んだよ。いい酒だった。支払う銀貨の枚数が、まったく惜しくないほどに。




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