記号ではない、ひとりの生身の人間として

お話のページをめくる時、読者は物語に何を求めているだろう。

気分を変えてくれること?
考えを深めてくれること?
新しい視点を与えてくれること?

いま自分がレビューを書こうとしているお話は、ちょっと変わっている。
そういう「求め」の全部を満たしてくれるけれど、読みなれたお話とは少し「満たし方」が違うのだ。
そこについて、もう少しくわしく書こうと思う。

この作品――『油彩画・夜明けのミモザ』は(登録ジャンルが示すように)恋愛小説だ。
主人公・澪と、不思議な少年・彗の未明の出会いから始まるお話で、一人の少女が世の中に出ていくまでのひとときを描いた青春小説でもある。

このお話の特徴は、キャラクターたちが一風変わった「リアルさ」を持っていること。
「生々しさ」とはちょっとちがう。
むずかしい例えになるけれど、絵柄や作画がリアルなのではなくて、描かれる心の動きがリアルなのだ。

主人公はおりに触れて「記号」という言葉を使う。
人にレッテルを貼って、別にその人じゃなくても当てはまるようなキャラづけで相手をわかったようになる、そういう見方を誰かがしている時、澪は「あの人は相手を記号として見ている」と感じる。

私は私だ。
しっくりくる、うまく言い表す言葉がない方が自然ですらある。
私は私。

でもそれはつらいことでもある。
自分って何なのか、どの言葉をながめてもピンと来ないということでもあるから。

未来は開けていて、自分は何になることもできる。
でもそれは言いかえれば、「○○になれる保証」をひとつも持っていないということでもある。
自分には何もない。可能性があるといえば聞こえはいいけれど、今のところ特に何もない、からっぽ。
それは苦しく、がんばる気力を削がれてしまう感覚だ。

主人公の澪はひどくリアルなその“感じ”に悩まされながら、先の見えない時間の中を必死に生きていく。

そんな不透明さの描き方が等身大であることが、『ミモザ』の一番の特徴だとおもう。
レッテルがしっくり来ない自分、そのあやふやさを「ひとりの生身の人間であること」だと感じる澪をとおして、彗をはじめとする周りの人たちもまた「生身」で描かれていく。

澪より先を生きている読者は、昔を振り返るようにして。
澪より手前か、同じくらいの時間を生きている読者は、自分の生き方と重ねて。
そうやって読んでいくなら、『ミモザ』はきっと何かを読む人の中に残していってくれるお話になると思う。

第四章を経て、仕事を持つひとりの大人として現れる澪にどんな「あなた」で出会ったか、読み終えたらレビュー欄をたずねて分かちあうのも楽しいかもしれない。

エピソードは章ごとで区切りのつくものとなっていて、全四話(四巻?)からなる物語とみることもできる。
ひとつひとつのエピソードの読後感がさわやかで、「すごくいい感じで終わったけど、ここからどう次の話が始まるんだろう?」と毎度思えるまとまりの良さも魅力だ。

高校~大学の時間に、どこか拾いきれない、あるいはまだ拾っていない何かがあると感じる方には特におすすめ。

興味を持たれた方は一章だけでも。
幻想的な未明の時間に出会う少女と少年の物語は、それだけでもとても大きな満足感を与えてくれるはずだから。

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