8−4 雨と虹




 今井は、前髪を左へかきながし、

 うつむき加減で、机の上を見ていた。

 ぼくは、左方に席に座る彼女に言った。


「寿命は別だけど。

 たしかに死は、自分の意志で選べる。

 能動的なものだな」


 今井は顔を上げ、ぼくを見た。

 視線が重なった。

 ぼくと今井は、見つめ合った。

 三秒間。

 耐えきれず目をそらそうとしたら、

 先に彼女がずらした。

 ぼくは、何もなかったように話をつないだ。



「あのさ、思ったけど、

 自殺したい人は、

 本当は、生きることを望んでいないか」


「上杉くん、それ、どういう意味?」


 彼女の問いに、ぼくは返した。


「辛い現実を受け入れられない。

 けれど、

 自分の理想が叶うなら、生きたいはずだ」


 今井は眉をひそめて、

 左だけを、ピクリ、ピクリ、ピクリ、

 と器用に上下させた。



「上杉くん。

 鳥の、足を、

 揚げる話はやめてよ!」


 語調には歴然たる怒りがふくまれていた。

 鳥の、足を、揚げる?

 言っている内容が分からず、ぼくは考えた。

 そうか。


「今井、まさか、揚げ足取り。

 って言いたいのか」


「それそれそれよ、知ってた。

 足の、鳥の、唐揚げの話をしてるんじゃない!」


 見下した言葉遣い、

 小馬鹿にした顔つきでこちらを見ながす。


「わるかった」


 確かにぼくの発言は、揚げ足取りだった。

 理想どおりの人生なんてあるはずもない。



「あれっ、忘れちゃった」


「なにを?」


 ぼくはきいた。


「次に話したかったこと!

 上杉くんの唐揚げのせいで。

 忘れたの。

 ねえ、なんだったか教えてよ、教えて!」


「すまん」


 素直に謝った。めんどくさいから。

 今井は目をつぶって思い出そうとしている。

 そんな無防備になった彼女を、

 空席を一つ挟む、2メートルの距離から、

 ぼくは盗み見た。

 しろい肌、クルッとした長いまつ毛、

 ちいさくて、うすい花びらのような唇。



「あっ、思いだした。

 さっき言いたかったこと、いくわよ」


 ぴんと口元が一変した。

 今井は椅子を引き、姿勢を正した。



「そう、上杉くんも言うとおり、

 死は、自分の意志で選べる。

 でもね、

 死を望んでも、肉体を破壊するのが、

 おっかないの。

 こわいでしょう?」


 今井は指を伸ばして、

 右から左へ、

 自分の首を切るジェスチャーをした。


「首を切ったり、しめたり、

 高い所から、ジャンプするの、

 こわいでしょう?」


 昨日の事件を思い出した。ぼくは胸が痛んだ。


「ああ、死ぬのは、怖くないけど、

 死ぬまでが、怖いな」


「わたしもよ。痛いのとか、血とか、イヤ」



 それから、

 超然とした態度で今井は言い切った。


「だから、自殺管理法が必要なの。

 死にたいという希望を、

 叶えるために。

 天国にいくように、

 安らかに、死ねる。

 そんな施設が必要なの」




 今井の論理でいけば、

 自殺管理法を賛成するのは納得できた。

 彼女の発言をパソコンに入力した。

 しばらく、ぼくは考えていた。

 それから素朴にたずねた。



「今井、君には、なにか、

 悩み事があるのか?」


 ここまで強く、生を否定し、死を肯定している。

 何か、特別な理由があるのだろうか?

 疑問に感じたのだ。



「うん……」


 今井は、ゆっくりと席を立った。

 そして窓辺に歩み寄り、

 しおらしく外の世界に頭をむけた。

 5階から見える風景、

 青空はない。




「上杉くん、

 わたしの秘密……。

 教えたら、助けてくれる?」



 しろい指先を下唇にそっとあて、

 おもわせぶりな、少女めいた手つきだった。


「ぼくにできることなら」


 悲しげに額をガラスにくっつけ、

 今井は口をひらいた。



「ちかごろ……。

 我が家の、カナちゃんと、ブンちゃん。

 元気がなくて……」


「だれのこと?」


「カナブン。

 虫カゴのすみで、うずくまって動かない」


 ぼくは返事に窮した。

 カナブン。昆虫かよ、

 むずかしいなと頭の中で唸る。


「おまけに、

 消費税が25パーセントに上がったのに、

 お小遣いが上がらない。

 理不尽だよ、この世は」


 窓辺に立つ、彼女の後ろ姿をながめた。

 しろい指で窓ガラスをこすり、

 キュッキュッと音をたて遊んでいる。


「今井。

 もしかして君は、幸せだろ?」


「上杉くん。幸せって、

 毎月、いくらで買えますか?」


 後ろを振りむき、

 肩越しに今井はにっこりした。

 質問の意味がよく分からないけど、

 つられてぼくも笑った。
















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