10/5 Wed. 空気は読まない方がいいこともある――前編

 新米。やばい。


 正しくは、農家の新米がやばい。


 新米と古米の定義は曖昧で、米穀年度で言えば11月1日を基準に新古が切り替わるが、収穫時期は地域や品種で違うからどれもこれもがそうって訳じゃない。


 田中家の場合は8月末から9月頭に収穫するらしい。新米は水分の含有量が多いから水加減に気を付けなくちゃいけないって話を聞いたことがあるし、今回の場合は間に入ってる業者がゼロ、農家からダイレクトで届けられたものだから余計に水分が多いはずだが、コロッケが言うには普通でいいそうだ。大して変わらんとのこと。


 昨晩、実際にウチの炊飯器で炊いてくれた。おじいちゃんと一緒に軽トラでやってきたんだよね。コロッケに似て気さくなじーちゃんだったよ。


 一番に驚いたのは匂いだった。古米は脂質の変化や表面の酸化などを原因に嫌な臭いがするって話は知ってたが、普段から嗅いでる匂いだから別に気にならんかったんだよな。精米の仕方でも変わるらしいけど、田中家のはほぼ無臭だ。


 俺は内炭さんほど味覚に優れてる訳じゃないから何がどうすごいのかってハッキリとは言えんけど、心なしか甘さを感じる。あと柔らかい。ふっくら感が違う。昔の人が白米をご馳走って捉えてたのも頷けるような?


 という訳で、今日はテストの終了後に部員全員が集まったから炊いてみました。


 田中家、改めコロッ家の新米と碓氷家にあった古米の食べ比べを実施。


 その結果、


「こんなに違うものなんだね」と愛宕部長。


「今まで食べてたお米が本当にお米なのか不安になってきた」と皆川副部長。


「私は古米がいいかもー。柔らかすぎて食べ応えがなーい」と夏希先輩。


「お米が甘いってこういうことなんですね」と中島さん。


「私もお姉ちゃんと同じで古米の方がいいかも」と稲垣さん。


「んー、利きごはんができそうなくらいには違うね」と優姫。


「どっちもおいしい!」と川辺さん。


 そして最後に内炭さんが、


「ジャポニカ米とインディカ米ほどじゃないですけど、用途はそのくらい極端に変えた方がいいかもしれませんね。この新米はとにかく柔らかく、弾力があります。噛めば噛むほどに甘味が出てきますし、おにぎりや手巻き寿司みたいなシンプルなものだとより美味しくいただけるんじゃないかと。逆にチャーハンや炊き込みご飯みたいなものはちょっと気を付けないと水分過多になってベチャっとしてしまいそうですね」


 オタク特有の早口ってやつを披露してくれた。愛宕部長はそうそうって感じでコクコク頷いてたけど、夏希先輩はだらっとしながらあくびをしてたね。


 まあ、それはともかくして、油野攻略の切り札として扱うのは微妙なのかな? 


 味覚って本当に人それぞれだもんな。油野が新米を好むのかって話だ。


 俺は美味いと思うけど。これは趣味ってか拘りの範囲っぽい。例えば久保田に選ばせたら「え? そんなことよりおかずは?」ってなるに決まってるしさ。


 そりゃあ米が美味いに越したことはないよ。けど食べ盛りの男子なら米の甘味なんかより、濃い味付けの具材に惹かれるに決まってんだよな。新米の塩むすびよか古米のツナマヨおにぎりのが断然いいわ。


 要するに、新米に合う料理の研究をするとこからになるね。内炭シェフの今後に期待ってとこだな。


 てな訳で本題のスタート。予定より早く保健所の許可を得られたから文化祭で出すものの試食会をする。ブルスケッタの方はスーパーで販売されてるバゲットを流用する形だ。


 今日は調理台を4つも使える。よって、


「じゃあペアになってやろっか」


 ぼっち虐殺ワードを愛宕部長が口にした。


「基本は2年と1年で組んでね。碓氷くんだけ1年とってことで」


 それはいいけどね。この天然部長、大事なことを忘れてないか。


「今って部員が9人いるんですけど」


「あっ」


 川辺さんの眉が下がった。こういう時は先手を打つに限る。愛宕部長に謝らせることなく、川辺さんを落ち込ませることなく、さっさと話を詰めてしまえ。


「俺のとこだけトリオってことでいいですかね?」


「え。そこは部長の私が2人を見るべきだと思うんだけど」


 責任感と罪悪感を要らん方向に働かせてくれますなぁ。


「川辺さんに調理を最初に教えたのは俺なので、弟子みたいなものですし」


 川辺さんの眉がぴこぴこ動いてる。乗ってきていいのだよ。


「そう! わたしは碓氷くんの弟子みたいなもの!」


「だからセットってことで」


 このメンツならこんな大それたことをしてもケチを付けそうなのは優姫くらいだからな。夏希先輩がによによしてるのは腹立つけど。


 とりあえず喧しいことを言われる前に視線を優姫に飛ばしとく。このくらいの意思の疎通ならアイコンタクト1つで充分だ。カモン。


「あたしも碓氷クンと一緒がいいなー」


 こうなれば愛宕部長も引くしかない。夏希先輩は妹の稲垣さんと組むとして、後は内炭さんと中島さんなんだけど。両方とも典型的なモブだからな。


 どっちかと言えば大人しい雰囲気の愛宕部長がいいはずだ。皆川副部長は色々と派手だし、リーダーシップと自己中心を履き違えてるようなとこがあるからなぁ。


 ちょっと空気が怪しくなってきたね。


 失敗したか、これ。拙速が過ぎたかもしれんな。


 積極的に発言しようとしない1年が2人。そのことを分かってる2年が2人。


 2年が相手を指名したら1年は嫌でも従うことになる。文化部でも上下関係って割と大きいからね。だけどそれってパワハラみたいなものだしさ。せっかくエンジョイ勢を満喫するために調理部から抜け出したのに、そんなことをしたら本末転倒ってもんだ。ゆえに2年はどっちも1年の動きを見守ることになる。


 とはいえ、やっぱモブはモブである。空気を読むのが得意というか、選択するのが苦手なんだよな。その後に起こる様々な事象を想像すると気が引けちゃうもん。


 仮に内炭さんが愛宕部長を選んだらどうなるか。まず中島さんが縮こまる。その上で指名されなかった皆川副部長がちょっとイラっとする。へこむんじゃなくてイラっとする。そのせいで中島さんはさらに委縮して、内炭さんも罪悪感でへこむ。


 内炭さんの立場が中島さんになったところで同じことだ。愛宕部長なら余りものになっても態度は変わらないと思うけど、問題はモブっ子に皆川副部長を指名する勇気がないことだね。ぶっちゃけ詰みな気もするんだけど。


「あのー」


 先に動いたのは内炭さん。中島さんが肩を落としたが、


「私、皆川先輩に教えて欲しいことがあるんですけど」


 まじか。これに驚かなかったのってたぶん皆川副部長と川辺さんくらいだと思うんだけど。


「そうなんだね。よし、じゃあブルスケッタと並行してそれもやっちゃおうか」


 選ばれた副部長は露骨に嬉しさを見せちゃってる。一方で選ばれなかった部長の方はホッとしてた。次のリフィマでこの辺のことを話した方がいいかもな。


 そんなこんなで4チームに別れたら調理の開始だ。内炭さんが何を知りたいのかは知らんけど、こっちはこっちで集中しないとね。


「優姫は芋だっけか」


「そそ。里芋ね。バゲットにねぎ味噌を塗ってー、里芋を乗っけてー、ピザ用のチーズを置いて―、オーブンレンジで焼いて―、七味を振って完成って感じ」


「おいしそう!」


 俺も川辺さんに賛同するけど、酒のつまみって感じがするな。


「川辺さんは?」


「ベーコンチーズ!」


 ふむ。分かってたことだけど、チーズ率がめっちゃ高くなりそうだな。


「美味そうだね」


「むっふー! 後で食べさせてあげるね!」


 それってくれるって意味だよね。あーんって意味じゃないよね。そんなことしたら優姫がぷんすかしちゃうよ。その上で真似するよ。


「カドくんは? 炭水化物って言ってたけど」


 優姫はもう里芋の泥を落とし始め、次の工程のためにコンロで水を張った鍋に火をかけてる。茹でて、皮をむいて、ぶつ切りなのかな。チーズを乗せるって話だから輪切りしたものを寝かすのかもしれんけど。


「あー、それな。今は2択で迷ってる」


「どんな?」


「最初はマカロニグラタンを乗せようとしてた」


 優姫と川辺さんが手を止めてこっちを見てきた。


「それ絶対においしいやつじゃん」


「食べてみたい!」


 じゃあベシャメルソースを作るか。川辺さんのやつはコンロを必要としないからもう一口を使わせて貰おう。


 リフィマでやるならお金を取るからガチでいくけど、これは部活だし。試食だし。テキトーでいいよな。


 よし。まずは鍋にバターを投げて弱火で溶かす。薄力粉をばさーって追加して、泡立て器でカチャカチャして、またばさーってやってカチャカチャして。溶かしバターと薄力粉が上手いこと合体してクリーム状になったら牛乳の出番だ。ダマができないように泡だて器でカチャカチャ。頃合いを見て塩こしょうで味を調えたら味見する。


 悪くないね。この時点でもう川辺さんはオーブンレンジを動かしてる。バゲットにオリーブオイルを薄く塗って、パックのハーフベーコン、とろけるチーズを乗っけるだけだから本当に簡単だね。単価が気になるけど。


 優姫も里芋を茹でながらねぎを刻んでる。やっぱ俺が一番時間かかるな。


 別に時間制限がある訳じゃないからいいけどね。ベシャメルソースさえ完成すれば後は連続で作れるしな。だから気にせず弱火と中火の狭間で焦がさないようにかき混ぜ続ける。ひと煮立ちさせたら完成だ。


「マカロニ茹でよっか?」


 里芋を回収した優姫が気を利かせてくれた。


「頼むわ」


 俺の準備が終わる前に川辺さんのブルスケッタが完成した。慎重に包丁を入れて3分割したものを皿に乗っけて、


「たべてたべて!」


 川辺さんが包丁まで普通に使えるようになってるのを目の当たりにすると若干の感動を覚えるね。フライパンを落としちゃってた頃が懐かしい。


 味に予想を付け、ふーふーしてから口の中に放り込む。チーズあっつ。けどやっぱ美味い。ベーコンの塩気が良いアクセントになってる。


「美味い」


「美味しいね」


「やった!」


 ベーコンチーズって火を入れるともうそれだけでビジュアル的に美味そうに感じるんだよな。川辺さんみたいな可愛い子の手料理なら尚のことにね。


 ブルスケッタの作業工程は基本的に少ないせいか、他のチームも次々と完成させてるようだ。俺のも後はマカロニとベシャメルソースとチーズを乗っけて焼くだけ。


 ふむ。グラタンを乗っけりゃ美味いかなって単純な考えだったけど、これ、食べ応えが微妙かもしれんな。しめじくらい用意すりゃよかったかもね。


 とにかく実食だ。みんなはどんなものを用意してるかな?


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