9/28 Wed. 内炭朱里の苦難
人の噂も七十五日。善きも悪しきも七十五日。世の取沙汰も七十五日。
とにかく75日が経てばその話は流行から外れるってことだ。
この75日が何かって言うと陰陽の話に入っちゃうからざっくりいくが、本来、季節は四季じゃなく五季。春夏秋冬+
俗に言う季節の変わり目。立春、立夏、立秋、立冬の前にそれぞれ18日くらいずつ土用がある。合計で72日。365日を五季で割ると73日になるから近似値だ。キリの良い数字にすればおおよそで75日とも言える。
てかそもそも春夏秋冬の各日数にばらつきがある訳だし、1クール=約75日って解釈でいい。野菜も種まきから収穫までが75日前後ってのがそこそこあるし、1つの季節が過ぎれば噂の種も育ち切って刈り取られるよって感じだな。
とはいえ、消えない噂ってのもある。
例えば油野のゲイ疑惑。水谷さんと付き合うことで下火にはなってるものの、シノブちゃんの存在感が大きすぎるのと、男の嫉妬とか、女の自尊心とか、まあ色々な要素があって収穫直後にまた噂の種を撒かれちゃうんだよな。
ある意味で有名税みたいなものだし、もはや有名ブランドの作物だとでも思うしかない。需要があるんだよ、需要が。年中栽培する必要があるんだろ。知らんけど。
それと比較すれば今回の内炭さんに対する噂は軽いもんだ。さっきと同じ言い方をするなら、需要がないんだよ。今は鮮度が高いからちょっと騒がれてるだけ。ただの時事ネタだ。他に大きな噂が出たらすぐに見向きもされなくなる。
ニュースと同じだね。朝の情報番組で「昨夜、大きな事故が発生しました」って大騒ぎしても、その日の日中に凶悪な殺人事件があれば次の日のテーマはそっちになるし、内閣の支持率が一気に10ポイントも下がるような大問題が発生すれば殺人事件すら後回しになる。よりセンセーショナルな情報を人々は求めるからね。
だったらさ。そのセンセーショナルな情報ってやつをまけばよくね?
そうしたら誰もモブ炭さんの話なんかしないよ。みんなが次の話題にいってるのにそんな話題を振ったら総スカンを食らうよ。いつまでそんな話をしてんだよ、空気を読めよって睨まれるよ。
という訳で、その情報が本日の12時ジャストに更新されました。
ベストカップリングコンテスト。エントリー情報。
他薦 2年1組 油野宿理(男装) 1年1組 油野圭介(女装)
推薦 1年8組 碓氷才良
他薦 2年2組 上条飛白(男装) 1年8組 碓氷才良(女装)
推薦 1年1組 油野圭介
お互いの首を絞め合ってる感がハンパない。候補の合意がないと推薦できない仕様だから、仲良しって解釈される可能性の方が大きいかもしれんけどね。
とにかくこのせいで昼休み開始直後に教室内が大騒ぎになった。けど俺が集めた視線は全体の2割もないくらい。
まあ、せっかく堂々と女装できる場を用意できたからね。誘ったんだよ。
自薦 1年8組 大岡静香(男装) 1年8組 大畑純一(女装)
まさかの自薦である。
自薦 1年8組 天野絵麗奈(男装) 1年8組 浅井良太(女装)
紆余曲折を経てこいつらも参加することになった。さらに、
自薦 1年3組 水谷千早(男装) 1年8組 川辺美月
自薦 1年2組 牧野佳織(男装) 1年2組 相山優姫
ここまで来るともう男子がエントリーするには女装するしかないって感じになってくるね。いいぞ、リベンジに来いよ、源田先輩よぉ。
油野が道連れを所望したせいで随分と大事になってしまったが、これなら話題のネタとしては充分だろ。むしろ過剰なくらいだわ。
この状況でわざわざ内炭さんのとこに行って嫌味を言う男子がいたら、そいつは単純に内炭さんのことが気になってるって判断をしてもいいと思う。陰口を叩く女子も内炭さんに何かしらの嫉妬をしてるって考えるのが妥当じゃないかな。
だってわざわざ言わんでもいいことを言うんだから。状況やら空気やら流れやらに乗って言う訳じゃないんだから。はっきりと、自分の意思で言うんだからね。
という訳で技術科棟に行きますかね。内炭さん、空気に戻れてるといいけどなぁ。
まあ大丈夫だろ。って思ったのに。
部室のドアをスライドさせたら、内炭さんが長机で突っ伏してた。まじかよ。
急いで自分の席につき、弁当箱も出さずに尋ねる。
「ダメだったのか?」
現れてしまったというのか。内炭さんに気のある男子ってやつが。
内炭さんが顔を半分だけ上げた。目しか見えないけど。むすっとしてるのが分かるね。これは女子による陰口の線かな? 相手によっては印籠を出しても構わんが。
「今日の昼休みが始まった後も嫌味を言われたりしたのか?」
「ぜんぜん」
おっと。一気に訳が分からなくなりましたよ。
「予定通りみんなの視界に入らなくなったわ」
悲しい表現だけど。俺らにしてみれば理想の状態だからね。
「じゃあその体たらくはなんなんだ」
「それが……」
うおっ。目が潤み始めた。俺? 俺じゃないよね?
「宅配便がね……」
「は?」
「通販で注文したものが、出荷されなくて……」
俺はリュックから弁当箱とほうじ茶を取り出した。
「ちょっと! なんでランチタイムに入ろうとしてるのよ!」
「え。ジョージ・マロリーのファンなの? なら答えよう。今が昼休みだからだよ」
「なぜ山の話をしてるんじゃないわよ!」
えぇ。ちょっと引くくらいに怒ってんだけど。
「よく分からんから起承転結を踏まえた上で説明してくれ。こういう時こそ論理的にいくべきだ」
「そうね」
内炭さんが上体を起こした。腕組みをして、弁当箱の蓋を開けた俺に厳しい視線を送りながら言う。
「明日って油野くんの誕生日でしょ?」
起で充分だった。その誕生日プレゼントを通販で買ったのに届かない訳だな。
論理的に考えるのなら「どうしようもないから諦めろん」って言うことになるが、そんなことしたらマスクメロンを顔面にぶつけられかねないくらいに内炭さんはおこの状態だ。ここは素直に頷いておこう。
「私、言ったじゃない。金曜日のお買い物デートの帰り道に、私が聞きたかったことを上条先輩が代わりに聞いてくれたって」
そんなこともあったな。ほぼほぼ聞き流してたけど。言ってた気がするわ。
「もうすぐ誕生日だけど何か欲しいものはあるかい? って言ってくれたの」
どストレートだな。もうちょっと迂遠にいけばいいのに。合理的だけどさ。
「でも油野くんって慎ましいし。その気持ちだけで充分ですって返したのね」
いや、それはむしろそう言わせるために上条先輩が直球を投げたんだと思われる。誕プレ代が浮いちゃったぜーって心の中ではしゃいでそうだよ。
「私はがっかりしたんだけど、上条先輩が続けて言ったの。その回答は質問に対して不充分だ。さっさと白状しなさいって」
言ってることは論理的だけど、本当にめんどくせえ人だな。
「それでね。こないだテレビでやってた和歌山のお菓子が気になってるって」
ふむ。それは俺も気になるな。テレビなんか滅多に見ないし。どんなのだろ。
「後で聞いてみたら上条先輩は違うものを渡すって言ってて。だから私がそれを通販で注文したんだけど。サイトには翌日発送って書いてあったのにいいぃぃ」
「テレビの影響で品薄になっちゃったのでは」
「そんなの分かってるわよ!」
えぇ。これで怒られるのはまじで理不尽なんだけど。
「用意してたのって菓子だけなのか? 川辺さんみたいに形に残るものとかは?」
「……一応はハンドタオルを用意してるけど」
無難だね。引っ越しの挨拶くらい無難な感じがするね。
「そんなことより『あれ? 内炭って俺の気になるものを聞いてたはずなのにタオルなのか。随分と安いもので手を打たれてしまったな』って思われないか不安で!」
「油野はそんなこと思わんだろ」
「ほんと?」
「あれ? とは思うかもしれんけどな」
「ほらぁ!」
「だって上条先輩も買ってないなら、せっかく欲しいものを教えたのに誰もくれなかったってことになるじゃん。そりゃしょぼーんだよ。肩透かしだよ。期待外れだよ」
「うぅ……」
「てかどんなやつなん?」
さっさと話に決着をつけてメシを食いたい。
「えっと。これなんだけど」
内炭さんがスマホの画面を向けてきた。やっぱ初めて見るな。和歌山の銘菓って書いてあるから有名なんだと思うけど。
ふむ。とりあえず自分のスマホでも検索を掛けてみる。確かに大手通販サイトだと品切れ中ってなってんな。
ただ、1つだけ気になることがあった。
LINEを立ち上げ、メッセージを飛ばす。あっちもランチタイムだからすぐに既読になった。
「……どうしよう。油野くん、やっぱ期待してるよね」
内炭さんの溜息をBGMにLINEのやり取りを繰り返し、
「明日の午前中でもいいか?」
俺の唐突な問いに、内炭さんは顔をしかめた。ほんと機嫌が悪いね。
「何が?」
「この菓子が届く時間」
「……え?」
ポカンとしちゃったわ。
「え。え? どういうこと?」
「説明は後だな。要るか、要らないか」
「要る!」
「おっけ」
その旨をLINEの相手に送った。ってことでメシを食おう。
「愛知県の名物とか。もっと言えば安城の銘菓とかって食ったことある?」
聞きながら弁当箱を差し出してみる。はい、今日はプチトマトでーす。どうぞ。
「あるわよ? 小さい頃に1回か2回だけ」
ひょいパクってしてくれた。あざっす。
「そう、銘菓って基本的にお土産で贈るものであって、日常的に食わないじゃん。当然、食う人もいる訳だけどさ。何かの記念とか祝い事で食うのがせいぜいじゃね?」
俺も5年以上は食ってないと思う。食おうと思えばいつでも買える距離で販売されてるしな。
「だから思ったんだよ。これ、通販サイトやその販売会社は品薄になってるけど、現地の百貨店とかって普通に置いてあるんじゃねえの? って」
消費期限40日って書いてあるしね。多少くらいは在庫も抱えてそうだ。
しかし現金だね。さっきまでの不機嫌さがもう見る影もないよ。
「それで? あったの?」
「和歌山の知り合いに連絡したらちょうど道の駅の近くにいたみたいで、普通に平積みされてたってさ。ほら、写真」
「えぇ! あるとこにはあるのね!」
「金と同じだな。まあ、空港とか駅ならともかく、田舎の道の駅だと売る方が大変な気もするし。東名阪から外れすぎてるもんで旅行客をターゲットにするのも難しそうだしな。今回はそのお陰で助かったけど」
「そうね! さっすが碓氷くん! インターネットってすごいわ!」
恐る恐るで玉子焼きを食べてみる。おお、文句を言われない。にっこにこだ。白米をかっ込んでもクレームが来ないぞ!
当たり前のことに喜びながらもぐもぐしてたら、
「あれ? でもどこに届けるの? 碓氷くんの家?」
ほうじ茶の出番だ。栄養の塊をお茶にのせて胃袋まで送ってやる。
「学校にした」
「は?」
「教頭宛てで2箱お願いしたから大丈夫だ」
「えぇ? 碓氷くん、そんなに教頭先生と仲がいいの?」
今は一緒にオンラインカジノをやらないかって誘われてるね。
「甘いもんが好きだし。お礼に1箱を渡せば大丈夫じゃないかなって思ってね。一応は後で伝えとくよ。もう注文した後だからどうしようもないってこともな」
「実質的に拒否権がないなら受け入れるしかないわけね」
内炭さんは揚々とグレーのランチボックスに手を掛け、
「ねぇ」
今さらそれですか。
「どうした?」
「私、油野くんのことが好きなんだけど」
それこそ今さら。
「だから本当に助かったわ。恋コンのこともそうだけど、私って本当にお世話になってばかりよね。少しくらいは恩返しをしないとバチが当たりそう」
「プチトマトとブロッコリー食ってくれてるじゃん」
「……私の助かったっていう気持ちとそれを等価に捉えるのはちょっとね」
「まあ、困った時はお互いさまってことで」
できれば理不尽な怒り方をするのはやめて欲しいけどね。
「分かったわ。じゃあ碓氷くんが困りますようにってお祈りしないと」
「おい」
内炭さんは笑いながら弁当に手を付けた。俺も苦笑してメシを食う。
文化祭の直前なのに来週の火曜から中間テストが始まるし。恩返しって名目で優姫を押し付けるのもありっちゃありなのかなぁ。
こっちの進捗状況によってはちょっと相談してみましょうかね。
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