9/20 Tue. それぞれの選挙戦――碓氷
いつもは苦しい視線の銃弾も、今だけはどうにか耐えられた。
腹の内側、いや、胃なのかもね。もやもやしたものを感じるのは慣れないことをしてるストレスのせいか、或いは未来に対する不安なのか。
まあ、どうでもいいけどね。
友人知人は俺のことを手先が器用とか、頭が良いとか、口が達者とか、畏敬の念を込めた感じで評価してくれるけど、俺にとっての最大の長所はこれだと思うんだ。
論理的な割り切り。
どうでもいいと考えたら、どうでもいいと思える。
要らんもんは要らん。必要経費なら即払い。悪魔にだって魂を売るよ。悩む必要がどこにあるんだ?
という訳で、演説を始めようか。
最初の一言を発した瞬間から時計は動く。だからせいぜい心を落ち着かせよう。
マイクを使って話したことがないから距離感が分からんし、そもそもちゃんと声が出てくれるかって問題もあるが、その辺は気合と根性でカバーだな。非論理的にも程があるけど。
深呼吸を1回。そこで、目が合った。
ありがとう。勇気が出たよ。我に女神の加護ありってね。
腕時計の秒針が天辺に来るのを見計らい、
「初めまして」
よし。声が出てくれた。ちょっと大きい気がするからほんの少しだけ下がる。
「1年8組の碓氷才良と申します」
視線が痛い。心臓がチクチクする。胃もだな。
俺を見てるのなんざいいとこ4割だ。無名の陰キャなんかどうでもいいもんな。隠れてスマホをいじってた方が有意義に決まってる。その気持ち、分かるよ。
それにしても。約4割。およそ400人でもこれだけつらいのか。
まじかー。今から10割になる予定なのになー。
「応援演説の原稿は以上です」
手にしてた原稿を伏せるより先にどよめきが起こった。
ほらね。10割じゃん。2000近い目ん玉が俺を捉えてる。
いやはや、手足が震えちゃうね。まあそれもどうでもいい。声さえ震えなきゃね。
『ご静粛に願います』
まだまだざわついてるが、こっちもタイムキープが難しいから失礼するぞ。
「原則として、応援演説は事前に提出した原稿の内容以外について話すことを禁じられています。が、今回はその原則から外れていいと教頭先生の許しを得ています」
よし。一時的とはいえ約7割の視線が教頭の薄毛に向かった。
「実はですね。昨日、源田先輩に推薦人の必要書類を持って上条先輩と生徒会室まで来るように指示されまして、なにぶん、急なことだったので、既に予定がありましたし、上条先輩のご厚意で書類を届けてくれることになったんですが、『上級生を使いっぱしりにするなど言語道断』と僕の代わりに叱責をされたようでして、ああ、僕はなんて失礼なことをしてしまったんだと、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、予定をキャンセルしてお昼前に上条先輩と登校したんです」
めっちゃざわついた。「なんだそれ」って声すら聞こえた。
「生徒会に到着し、一言二言しゃべって気付いたんですが、源田先輩は話し相手のことを『お前』と言うが癖あるようでして、上条先輩が『不愉快だからやめて欲しい』とお願いしたら『目下を相手にお前と言って何が悪いと言うんだ?』と仰いました。目上が相手なら嫌なことをされても我慢するのが社会の常識なんですね。社会経験の乏しい僕は、ああ、そういうものなんだと感銘を受けたものです」
背後から「碓氷!」と聞こえた気がするけどシカト。それ以上に会場の方が喧しいからね。
「問題はその後です。僕が提出した原稿をその場で読み始めたんですね。検閲を行うのは先生との話でしたが、さっきの、なんでしたっけ。誰に頼まれる訳でもなく、そういうことを率先してくれる、非常に気が利く人物でしたっけ。あと責任感がとても強く、ほかのみんなが嫌がるような仕事も引き受けてくれる、トップに相応しい人物でしたか。源田先輩もそんな感じなんでしょう」
『静粛に! 静粛にお願いします!』
選管のタイムキーパーさん、申し訳ないね。てか思ったより教師が動こうとしないな。教頭に音頭を取らせたのが功を奏したというよりは、下手に触れて生徒の反感を買いたくないって感じなのかね。さすがは公務員様としか言いようがない。
けどね。次でもっと煩くなるよ。
「上条先輩はそれは良くないことだと抗議しました。その結果」
俺は原稿を持った手で壇を叩いた。
「こんな感じで。原稿を叩き潰されました」
背後から肩を掴まれた。物凄い力で後ろに引っ張ろうとしてる。知ったことか。
「源田先輩は仰った。お前の推薦人は頭が悪い。このゴミはオレの方で捨てておいてやる、と。ああ、僕の文章がド下手で読む価値がないから怒らせちゃったんだなって思って、凄く反省しました。けど新しい内容を書くには時間が足りなくて」
おっと。これ無理だな。力つえーわ。耐えられんね。だからちょっと下がるべ。
そして見遣れば源田先輩の鬼のような形相がある。
「どうしました?」
俺は平然と尋ねてみる。
「どうもこうもあるか!」
「ふむ。よく分からんですけど、演説の感想は後にしてくれます? 今って俺の演説の時間なんですよ。これって選挙の妨害じゃないんですか?」
「妨害してるのはそっちだろうが!」
「はぁ? 俺はただ源田先輩に社会の常識を教えて貰って有難かったって話をしてるだけですよ? 頭が悪いので上手く伝えられてるかは分かりませんが」
というか、
「いいんですか? 全校生徒の皆さんが邪魔をするなって超怒ってますけど」
そりゃそうだ。度重なる横暴な対応を受けたと告発したやつが、現在進行形でまた横暴な態度を取られてるんだから、話の真実味が増しちゃったんだよな。
基本的に、今の世代は炎上大好き。特に偉そうな態度を取ってるやつが失墜する様を眺めるのは楽しくてしょうがないんだろう。しかもそいつは目下の人間をコケにして、人としてやっちゃいかんことも平気でやるときてる。
率直に言えば、悪者を退治する大義名分ってやつを与えちゃったんだ。正義に燃えた彼らを抑えるのには骨が折れると思うよ。
「弁明したければどうぞ。席を譲りますよ」
ライブ会場かな? ってくらい盛り上がってるね。早くコールアンドレスポンスでもしてやれ。
源田氏はやや気後れした感じでマイクの前に立った。正義感の強い何人かは立ち上がって抗議してる。それに対して、
「違います! 僕はそんなことをしていません!」
272。
「その、僕はただ、上条さんの推薦人が書類の提出を済ましていないと聞いて、上条さんが立候補するための手伝いをしようと思っただけなんです!」
284。
「都合の良いことを言ってんじゃねえよ!」
「じゃあなんでその子の原稿を捨てたのよ!」
「碓氷くんはバカじゃないもん!」
聞き慣れた声が混じってた気がするけど今はスルーしとこう。
「いや、だから、違うんです!」
290。
「僕は! 書類に不備があったら上条さんが困ると思って! それで!」
297。
「それはてめえの仕事じゃねえだろ!」
「どうせ不都合なことが書いてあったから捨てたんでしょ!」
「絶対に許さない!」
「そんなことはありません! 僕はそんなことをするような」
そこで俺は前に進み、マイクをひったくった。
「は?」
源田氏の抗議に耳など貸さない。俺は淡々と申し上げる。
「選挙管理委員会の方。ただいま源田先輩は先程と合わせて301秒の演説を行いました。立会演説の規定違反により退場処分を命じてください」
一転して体育館に静寂が降りた。
「お疲れさまでした。あなたの発言権は失われたのでステージから降りてください」
握り拳を作るのが見えた。ぶっちゃけ。これを一発貰えば形勢は決まるんだけど。
大きく後ろに下がった。源田氏は拳を振りかぶっていたが、どれだけ頭に血がのぼっていても届かないのは分かったはず。
「クソッ!」
選管が判断を迷ってる間に自ら壇上から去った。
俺は何食わぬ顔でマイクの前に戻り、
「選挙管理委員会の方。すみません、残り時間が分からなくなったんですけど」
『え、えっと……』
教頭に視線を送る。自分で言うだけあって随分と便利な駒だな。ステージまで上がってきてくれた。
「えー、先程の碓氷くんの演説ですが、あれは原稿を失った経緯の説明であって、応援演説とは言えません。なので演説は最初からやり直し。その前に再度、原稿を失った経緯を話していただきます」
という訳でコントを始めます。
「実はこの学校って女性の生徒会長が過去に1度も誕生したことがないんですよ」
意外と知られていないようで感心するような声が上がった。
「言われてみればそうかもしれないね」
「だから女性の社会進出や男女平等についての原稿を書いてたんですけど」
「へぇ。若いのに随分と立派な内容を書いたんだね」
「生徒会長にはゴミと言われましたけどね」
「えー、ゴミは酷いよ、ゴミは」
生徒から同情の声が多数あがった。
「初の女子生徒会長。男女平等。女性の躍進。そう言った強い言葉に踊らされて上条先輩に投票する生徒が多くなるんじゃないかと源田先輩は心配していました。それではただの人気投票であって、生徒会長として相応しいかとは話が変わってくると」
「うーん、それは確かにそうだね」
「さながら客寄せパンダ。由緒ある生徒会の歴史に泥を塗る行為だとも」
「それは言いすぎだよ。客寄せパンダって」
ブーイングの嵐。ステージの下で待つ源田氏は身を縮こまらせてる。
「上条先輩も怒りましたよ。女子の代表としてきっちり抗議しました」
「それは素晴らしいね」
「けど僕の方が先に折れちゃったんです」
「どういうことだい?」
「上条先輩が取り乱してしまったので。これはもう。僕が原稿を捨ててしまった方が丸く収まるのかなって」
「……きみも大変だったんだねぇ」
教頭の三文芝居に合わせてどこか同情的な空気が流れた。
「それで帰ってからまた違う方向で書こうと思ったんですけど。なかなか思い付かなくて。それで今朝、昇降口を歩いてたら教頭先生に声を掛けられて」
「あー、碓氷くんの顔色が悪かったからね。何かあったのかなって思って」
「それで生徒指導室で話を聞いていただいて」
まあ、入室後の第一声は「碓氷くんって株は詳しい?」だったけどな。
「原稿のことはいいから。思ったことを話しなさいと。仰ってくださったんです。あの言葉でどれだけ心が救われたか。本当に、ありがとうございました」
「いやいや、僕は教師として当然のことをしたまでだよ」
ほら。株を上げてやったぞ。これで我慢しろ。
もうこれで勝ち確みたいなもんだが、一応はトドメでも刺しとくか。
「ところで、昨日の生徒会室には織田先輩もいたんですけど」
また生徒達がざわついた。俺は背後を振り返って問い掛ける。
「どうして何も言ってくれなかったんですか?」
織田氏は口をパクパクさせて、立ち上がりもしない。
「織田先輩はリーダーシップもあって、生徒会で強い存在感を示してて、慕われてもいて、責任感がとても強いとのお話でしたが、目の前でいじめられてる女子生徒を助けようともしないのがあなたのリーダーシップや責任感なんですか?」
また生徒達がヒートアップしてきたが、俺はそんなのどうでもいい。
「他のみんなが嫌がるような仕事も率先して引き受け、頼まれたことを最後までやり遂げた結果が、いじめを見過ごすということですか?」
上条先輩と宿理先輩の目が険しい。あれは俺を批難する眼差しだ。
「ただ源田先輩に頼まれたら断ることができないだけ。みんなが嫌がる仕事でもしなきゃいけない。生徒会室が整理整頓されていないと怒られるから誰に頼まれずともやってる。つまり、あなたも源田先輩から実質的ないじめを受けているのでは?」
肯定も否定もしない。まあ、それならそれでいいや。それこそどうでもいい。
俺はまた振り返り、マイクに声をぶつける。
「では応援演説を始めます」
テーマはいじめ。
この学校にいじめが蔓延ってることを伝え、上条先輩ならそれを排除してくれると力説した。
実際に上条先輩がそうしてくれるかは分からん。けど、今回の演説で大半の生徒が色々と考えたんじゃないかね。
いじめをしたら叩かれる。今回みたいに晒されるかもしれない。そしたら今度は源田氏や織田氏のように自分も酷い目に遭うかもしれない。
少なくとも、碓氷才良とかいうやつはそういうことを平気でやる。
そういう認識を植え付けた。いやあ、友達が減りそうだね。元からほとんどいないけどさ。内炭さんとのランチもやめた方が彼女のためになるかもしれんね。
真剣みが伝わったのか、俺の演説は源田氏や織田氏より大きな拍手を貰えた。
席に戻る最中、いくつかの冷たい視線を感じた。
上条先輩。宿理先輩。愛宕先輩。皆川先輩。夏希先輩。武田先輩や玉城先輩も。
優姫。牧野。水谷さんや天野さんまで。俺を睨むような目で見てた。
そりゃそうなるわな。こんなん真っ当な選挙戦じゃないし。
けどね。そんなのもどうでもいい。
ほら、トロッコ問題ってのがあるじゃんか。
トロッコが制御不能の状態で爆走してて、このままだとその先にいる5人が轢き殺される。けど俺の目の前には分岐器があって、それを操作すれば1人しかいないレールに進路を変更できるんだ。5人死ぬのと1人死ぬの。どっちがいいか。
俺は秒で後者を選ぶね。だってその方が合理的だから。
けど、その分配器に自爆装置が付いてて、それを押すことで自分が死ぬ代わりにトロッコを爆破できるのなら、俺はそっちを選択すると思う。
まあ、実際にその状況になったら恐くて何もできないんだろけどさ。
俺が言いたいのは、そういう思考を持ってるってこと。
だから今回のことを後悔したりはしない。
いじめられて泣いてる姿なんかもう見たくないしな。
いじめられて怒ってる姿も同じくらいにね。
まあ、そういうことだから。
嫌いたいなら勝手に嫌ってくれて構わんよ。
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