9/7 Wed. 狼に衣

 腐れ縁って漫画やアニメだと悪友くらいポジティブな意味合いで使われてるけど、正しい日本語で言えば、絶縁状を叩き付けてもなぜか関係が続いてしまうような好ましくない関係のことを示す。悪い意味で運命ってやつだな。


 どうやら。俺にもそれがあったらしい。


 リサーチにクボ1の情報収集能力を求める必要すらなかった。


 だってそうだろ。我がクラスには女子にだけ特化した情報通がいる。


 だから聞いてみたんだ。浅井よ、浅井、1年2組で1番可愛いのはだあれ?


「牧野じゃねえかな。牧野佳織。あれ、碓氷と同じ中学じゃなかったか?」


 その名前を聞いた時に俺は思った。えっ、誰だっけ。


 そして油野に問い合わせてみたら溜息を吐かれましたよ。お前は俺の話を聞いてなかったのかって。


 違う違う。ほら、あの時ってさ。吐いて気を失ってたし、記憶がね。ほら。分かるでしょ? 精神的なストレス過多による記憶障害みたいな? そんな感じだよ。


 とにかく! それが昨日の午後のお話。


 何と言うか。本当に久保田の出番がないな。


 だって牧野の弱み。つまりは印籠って俺みたいな陰キャのことが好きだったって過去じゃね。例の『私が優姫ちゃんの代わりになるよ』を告白として解釈するなら、俺は『お前なんかが優姫の代わりになる訳ねえだろボケ』って態度で応じてる訳だし、これって俺なんかにふられたって黒歴史を背負ってるって言えるよな。


 まあ、黒歴史って言うと優姫もそうなるし、何よりガンダムヲタの久保田が誤用だなんだと突っ掛かってくるから撤回しとこうかな。あいつ、熱くなると煩いし。


 という訳でね。一応は中学の卒業アルバムで顔の確認はしたけど、呉下の阿蒙に非ずって言葉もあるからね。


 まだ3限が終わったとこだけど、ちょっと油野に会いにいこう。あいつは1組だからな。2組の前を行き来するタイミングでチェックしようか。


 俺の机が陽キャの椅子になっていませんように。


 祈りを捧げて教室を出た。遠いからちょっと早足でいこう。


 5組を通り掛かったとこで内炭さんもチェックしてみた。おや。3バカと普通にしゃべってやがる。高倉とも普通に話してるじゃん。青春を謳歌してますなぁ。


 4組を通り掛かったら垂れ目女子が堂本の机の前にいた。あんま教室内でイチャイチャすると反感を買うからやめた方がいいと思いまっせ。


 3組は見ない。だってニーチェが言ってるもん。怪物と戦う者はその過程で自分自身も怪物になることのないように気を付けなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだってさ。


 水谷さんとしゃべってると俺の性格が急速に悪くなっていく気がするんだよ。それは性格の悪い水谷さんとバトってるせいじゃないかな。高橋さんと久保田には悪いけどさ。俺は余程のことがない限り3組に来ないよ。絶対にだ!


 そして目的地の2組を通過する。


 ふむ。剣呑な空気が流れちゃってるね。教室の真ん中くらいの席で優姫らしきゆるふわヘッドが机に突っ伏してる。それを遠巻きに他の生徒がにやにやしながら見てる感じだ。って、いかんいかん。見過ぎたら怪しむやつが出てくるかもしれんし。


 せっかくだしな。イケメンクソ野郎のツラでも拝みにいくか。


 いや、やっぱいいや。戻ろ。


「待ちなさい」


 チッ。深淵に見つかってしまったわ。


 3組の中も確認しとけばよかった。油野の席に水谷さんがいるわ。しかも手招きしてるよ。これは逃げたら追い掛けられるサスペンスモードに突入しそうだな。


 仕方ない。近寄って挨拶でもしよう。


「いやはや相も変わらず大変お美しいですね。その神々しきご尊顔を拝見できた幸運に我が身が打ち震えてしまいますよ。これを本日の糧として学業に励みますね」


 舌打ちされましたわ。丁寧にお世辞を申し上げたのによぉ。


「お前と碓氷って意外と仲が良いよな」


 油野の目が節穴だと発覚。水谷さんも鼻で笑った。


「眼科の名医を紹介しましょうか?」


「……なぜ怒る」


 いや、怒るだろ。相変わらずのセイクリッドピュアハートだな。


「お前は人前で滅多に感情を出さんだろ。だが碓氷が相手の時は容赦なく牙を剥く訳だ。その碓氷も極度の内弁慶なくせに千早を平然と煽っている。これはお互いに心を開いているという証拠じゃないのか」


 言われてみればそうだな。見解も論理的だし納得できる。水谷さんも頷いてるわ。


「確かにお前よか水谷さん相手の方が心を開いてるかもしれん。お前よりかはな」


「私もあんたより碓氷くん相手の方が心を開いてるかも。あんたよりかはね」


「……2人揃って俺の心を閉ざしに掛かるのはやめてくれ」


 しょうがねえな。時間もないから勘弁してやるわ。


「ところで碓氷くんは圭介に何の用事かしら」


「へー、彼女って彼氏の交友関係にまで首を突っ込むんですねー」


「本当に口を開けば皮肉が出てくるわね」


「皮肉ってか、水谷さんって意外と束縛するタイプなんだなーって」


「そうよ? 知らなかった? 今も碓氷くんの首を狙っているのだけれども」


「ごめんなさい。そこは縛らないでください」


 素直に一礼して、上体を起こしたついでに身体の向きを油野に合わせた。


「牧野を観察するための名目でここまで来たってだけだよ」


「牧野?」


 小首を傾げる水谷さんに対し、油野は露骨に渋い顔を見せた。


「碓氷と相山の因縁の相手だ」


「なるほど」


 口を出すべきじゃないと判断したのか、水谷さんはそれしか言わなかった。


「今もなんかいじめられてる感があるんだよな。文化祭のことでひと悶着あったみたいでさ。優姫は何もしなくていいって言ってんだけど」


「いじめ」


 水谷さんは忌々しげにそう呟き、教室から出ていってしまった。


「川辺さんのことを思い出させちゃったかね」


「あいつは仲間意識が強いからな」


「だな。てかお前って水谷さんのことが好きなくせに美的センスおかしくね?」


「どういうことだ?」


「だって見た目が良いって言ってたじゃん」


「お前。今さらっと凄いことを言ったな」


「正直な感想しか言ってないぞ」


 油野が絶句してる間に予鈴が鳴り、ついでに水谷さんが戻ってきた。


「おかか」


「たらこマヨ」


 まさか乗ってくるとは思わなかった。ちょっと嬉しい。


「あれはよくない状態ね」


「だよなぁ」


「相山さんっていつもお昼はクラスの友達と食べてるの?」


「わかんね。もしかしたら昨日からぼっちなのかもしれんけど」


「その心は?」


「それなりに時間が経ってからランチのお誘いをしたのに食べ始めてなかったし、即答でOKをくれたから」


「そうなのね。圭介」


「いいぞ」


「こっちで引き取る予定だったんだけど」


「碓氷くんに心配させたくないんじゃないかしら」


 そうかもな。まあ、そうかもね。


「じゃあ頼むわ。そろそろ俺は戻る」


「私もそうするわね」


 油野が不愛想に手を振ってくれたが、


「いや、一緒に行くのはまずい」


「相山さんは伏せてたわよ?」


「水谷さんと一緒に歩くのが嫌だ」


「……私は腕に抱きついたっていいのよ?」


「おい、彼氏。彼女が不穏なことを言ってるぞ」


「俺は彼女のしたいことを応援することができる包容力のある男だ」


「さすが圭介ね」


 ああ、油野が水谷さんの深淵を覗いたせいで正気じゃなくなってるよ。


 という訳で観念して水谷さんと歩き、3組で久保田に一声かけてから8組へ。


 それから考え事をしながら授業を受け、昼休みになったら部室に行った。


 今日も内炭さんはグレーの弁当箱に箸を突っ込んでた。ぼっち飯が板につき過ぎてるせいで1人で食べていても何の違和感もないな。


 俺はいつもの席に座り、いつもと同じく弁当箱とほうじ茶を卓上に置き、いつものように弁当箱を開け、いつも通りに赤と緑のチェックをして、


「あいつらぶちのめしていいかな」


 いつもの態度を取れなかった。


「……どうしたの?」


 内炭さんが箸を置いた。


「優姫が昨日の一件で孤立してる」


「え」


「ハイカーストにバカにされたからな。周りが同調してんだよ」


「今は?」


「水谷さんと油野が捕まえて一緒に食ってるはず」


「そうなのね」


 内炭さんはじっと俺を見つめてる。


「4つ。手は考えた」


「聞くのが、恐いわね」


「なら言うのはやめとく。俺の人間性を疑われるかもしれんしな」


「人間性を疑うようなことをしようとしてるってこと?」


「いや、1番強力なのは準備に時間が掛かるし。切り札として残しとく。効果が見込めるかは分からんけど、まずは明日にでも発動できる手を打とうかと」


「そう」


 内炭さんが姿勢を正した。陰キャとは思えないほどまっすぐな目で言ってくる。


「私にできることはある?」


「部活の時間にできるだけ構ってやってくれ」


「わかったわ」


「分かったついでにブロッコリーを頼む」


「……しまらないわね」


 森の譲渡が終わったらメシをかっ込んだ。その間にもスマホはいじりっぱなしだ。


 大まかなプランはさっき言ったように4つある。


 A:優姫以外の2組全員を連帯責任で懲らしめてやる。


 B:牧野とその取り巻きを懲らしめてクラスから孤立させる。


 C:取り巻きだけを懲らしめて牧野を孤立させる。


 D:単純に優姫の立場を向上させる。


 内炭さんに話した手ってのはDのことだ。印籠を集める必要がないから手っ取り早く行えるが、地位が上昇する確証はなかったりする。


 水は低きに流れ、人は易きに流れるって言うし、勝算は小さくないけどな。


 特にあんな主体性のない連中のことだ。より強い力が働けば水流の向きなんて容易く変わるに違いない。


 って、なんか内炭さんがそわそわしてるな。ねぇ。って言ってもいいんじゃよ。


「どうした?」


「あー、うん。今日のお昼に話そうと思ってた話題があって」


「まったく。そんな頻繁に言ってたらいつか油野に聞かれちゃうぞ」


「……それじゃないわよ。まあ、私、油野くんのことが好きなんだけどね」


 結局は言うじゃん。


「今日って後期生徒会役員選挙の公示日でしょ? 昇降口のポスターは見た?」


 そういや朝のHRで12時に張り出すって担任が言ってたな。


「見てないわ。それであんなに1階が混んでたんだな」


「明日からお昼休憩の間に各立候補による放送演説があるらしくて」


「へー。宿理先輩って今年も出るのかな」


「それなんだけどね」


 内炭さんがスマホを差し出してきた。画面に映ってるのは選挙ポスターの写真。


 議員のと違って本人のツラがないのも多いから一見だとよう分からんね。ルックスに自信がないからって気持ちは理解できるけど、顔が分からんと人となりってもんが見えてこないんだよな。見える化の波がここにも訪れて欲しいね。


「は?」


 会長の立候補者が2名いる。織田おだ悠真ゆうま。そして、上条飛白。


「世界が終焉に向かってく足音ってこんなにハッキリと聞こえるもんなんだな」


「……選挙ポスターを見た感想とは思えない内容ね」


「的確だろ。てかこの織田悠真ってどっかで聞いた名前だな」


「調理部の部長でしょ」


 ああ、あのメガネか。美術部に依頼したのかなってくらい上手な線画で似顔絵が描かれてるんだけど、その似顔絵だとメガネを掛けてないんだよね。


 一方の上条先輩は似顔絵なし。てか文字しかない。


『おもしろき こともなき世を おもしろく』


 2年2組、上条飛白。それが書道で言うとこの飛白体ひはくたいで書かれてる。


 白背景に黒文字。手抜きに見えて、なぜか魅入ってしまう。悪魔の所業だな。


「上条先輩のって高杉晋作の辞世の句よね」


「だなぁ。上条先輩らしいというか」


「そうよね。破天荒な人だから本当に学校を面白くしてくれそうで期待しちゃうわ」


 ん?


「内炭さんってさ」


「楽しいです! 今は碓氷くんのお陰で友達もいっぱいできて毎日が楽しいです!」


 そいつは結構なことだけど。呼び掛けるだけで防衛本能が働くってすごいな。


「そうじゃなくて。塾でも五七五の上の句までしか教えられないのかなって」


「え? どういうこと?」


「下の句があるんだよ。上の句だけで面白くない世の中を面白くしようって解釈するのは誤用ってこと。尤も、下の句を用意したのは高杉じゃないみたいだけど」


「……習わなかったわね」


 受験に関係のない話だからなのかな。ネットの仲間にもこれを勘違いして恥を掻いたってのがいるんだけどな。


「おもしろき、こともなき世を、おもしろく。すみなすものは、こころなりけり」


 おっと。内炭さんがノートを出したよ。真面目だねぇ。


「下の句の意味はそのままだ。するのは心だよってことな。要するに、面白くない世の中をどう感じるかは己の心次第である。般若心経の一節に近いのがあるな」


「なるほど。確かに意味がまったく違うわね。面白くないなら面白くしてみせる! って話じゃなくて、面白いか面白くないかは心のありようですって話なのね」


「あくびが出るようなクソつまらん映画も油野と一緒ならどうよって話だね」


「そんなのあくびなんてしてる場合じゃないわ! 映画がつまらないことに変わりはないと思うけど、それは面白いと言って差し支えのない状況だと思うわね!」


「そうだろね。だから俺は上条先輩らしいって言ったんだよ」


「え。どういう意味?」


「内炭さんみたいに上の句しか知らない人があれを見るとさ。この人は学校を面白くしてくれるんだ! ってなるじゃん」


「そうね。実際に私もそう思ったし」


「けど上条先輩は下の句を持ち出してこう言う。え? 面白く思うかどうかはきみの心次第だよね。私は生徒会長という肩書が欲しいだけだから何もする気がないよ?」


「……上条先輩らしすぎて身震いしたんだけど」


「あの人の行動には常にマイナス方向の裏があると思った方がいい。何回も言ってるけど、他人が四苦八苦する様子を高みから見物するのが大好きなんだ」


「恐ろしいわね」


「ああ、だから例の放送演説とかいうのも実に恐ろしい」


 というか。他の立候補の構成も恐ろしいな。


 副会長に、宿理先輩と玉城先輩。


 会計に、夏希先輩。


 書記に、皆川副部長。


 広報に、武田先輩。


 庶務に、愛宕部長。


 先輩だけでも知ってる人がこれだけいた。1年も何人かは立候補するらしい。


「生徒会役員と部活動って両立できるもんなのかね」


「ウチくらいなら大丈夫じゃないかしら」


「否定はしないけど、料理研の2年全員が生徒会に入るってのもなぁ」


 あれ。まさか。


「これって上条先輩の策略なのかね」


 内炭さんは腕組みをして考え込み、やがて苦笑いを見せてくれた。


「生徒会に料理研のメンバーをねじ込んで合法的に家庭科室を奪うってこと?」


「愛美、安心するといい。あのボスメガネの相手は私に任せてくれて構わないよ」


「言ってそう!」


「生徒会長の肩書欲しさだと思ってたけど、ただ殴り合いがしたかったっぽいな」


 他に知ってる人はいないかな。学力1位の水谷さんと3位の内炭さんは不参加みたいだが、2位と噂の神崎かんざきくんはどうだろ。あったわ。書記だ。


 大学の推薦に有利って聞くけど、それにしても立候補者が多いな。50人はいる。


「これって全部で何人が通るんだっけか」


「えっと、会長1、副会長が男女で計2、書記3、会計3、広報3、庶務12ね」


「じゃあ半分近くは生徒会に入るのか。割と緩いんだな」


 特に庶務は枠も多いし、多少でも名前が売れてればそれだけで当選しそうだ。水谷さんとかなら選挙活動なしでもいけるんじゃね。


 生徒会役員ってもっと威厳のあるものだと思ってたのにな。ネトゲの称号とかトロフィーとかと変わらんのかもしれん。ファッションの1つみたいな。


 だからかね。その名前がそこにあっても自然と受け入れることができた。


「学校をより良い環境にするため、粉骨砕身の思いでがんばります、か」


 笑わせてくれるね。上等だよ。その身を砕いて骨まで粉々にしてやる。


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