9/5 Mon. 朱にまぜまぜして赤くしよう

 無事に4限が終了。モブ力を最大まで引き上げて空気に混じり込み、誰にも気付かれることなく教室から立ち去る。川辺さんと目が合ったのはきっと気のせいだ。


 さて、部室に行きますかね。って思ったら前方のドアから大畑くんが出てきた。気のせいじゃないくらいしょんぼりしてるね。


 どうやら浅井にシカトされてるらしい。俺が命じた訳じゃないぞ。俺の不興を買ったからってことで浅井が気を利かせて避けてる訳でもない。きっと浅井の中で女装ってジャンルは受け入れられないものだったんだろね。


 俺としては出る杭を凹むまでぶっ叩いたに過ぎないんだけど、


「やあ」


 話し掛けたらめっちゃ嫌そうな顔をされた。けど逃げたりはしない。弱みを握られてるからね。更なる苦難を想像すればそんなことできやしない。


「……碓氷って何者なんだ?」


 中2度の高いセリフだな。実はな、ってありもしないことを言いたくなるわ。


「ただの陰キャだけど。そう見えないか?」


「見える」


 正直者だな。他の人がどう思うかは知らんが、好感が持てるわ。


「けど得体の知れない感じがする」


「ふむ。まあ、大畑くんが望む回答もしてやれるけど」


「……例えば?」


「俺は浅井の飼い主だ」


 ドン引きですよ。言い方がアレだったのは認めるけどね。


「俺と同じで浅井の弱みも握ってるってことか?」


「そんな感じ」


「けど浅井ってお前を嫌ってるように見えんってかむしろ懐いてるよな」


「飼い犬に餌を与えるのはご主人様の義務だしな。その餌が美味いんだろ」


 普通、こんなことを言われたら引くと思う。人間性を疑うとかね。


 けど大畑くんは違った。期待。彼の瞳には確かにそれがある。


「餌って。どんな」


「それはプライバシーに関わるからね」


 大畑くんは考え込むような仕草をして、


「もしかして天野と大岡もか? あいつらもお前と廊下でひと悶着あってから超大人しくなったし。そっからお前とも親しくしてる感じがするし」


「よく見てるんだな。まあ、俺の支配下にいるメリットを理解してるってことだよ」


「じゃあ川辺もか?」


「川辺さん、だ。さんを付けなさい」


「あぁ、悪い」


「浅井もそう呼ぶようになってんだろ? それともあいつは俺の知らないとこで川辺さんを呼び捨てにしてるのか?」


 大畑が目を泳がせた。それが事実だからか、俺の目が鋭くなったからか。


「いや、LINEでも敬称を付けてる。確認するか?」


「それならいい。俺は浅井を信じてるからな」


 まじか。絶対に俺の前だけだと思ってたわ。あいつ、意外とやるじゃん。


「川辺さんは別枠。共通の知人がいることが最大の原因かね」


「それって油野とか水谷……さんのことか?」


 水谷さんに敬称は要らないかなぁ。まあ付けるなとは言わんけど。


「いや、水谷さんの中学の頃の家庭教師が実は俺のネット仲間だったんだよ」


「すげえな。そんな偶然もあるのか」


「日本は広いようで狭いみたいだわ。同じ学年にもネット仲間がいたし」


「まじかよ。どいつ?」


「4組の堂本真治。ネトゲで油野の相棒をやってたやつなんだわ」


「分からねえな」


 大畑くんが笑った。調子に乗らなきゃ割とまともなやつじゃん。


「そういや油野の父親が何をしてるか知ってるか?」


 率直な質問だったが、変化球だと思ったらしい。


「……あぁ」


「蒸し返そうとしてる訳じゃない。単純な質問だ」


「知ってはいる。スタイリストだよな」


「そう。それで昨日の昼にちょっとだけ化粧を教えて貰った」


「まじで!」


 めっちゃ食い付いてきた。


「まじで。水谷さんも一緒だったんだけど。2人ともダメだったわ。水谷さんは自分にやるのと他人にやるので感覚が違いすぎるからどうたらこうたら言ってた」


「ああ! そうかもな! ほら! 自分にやる場合は触感で強さとかが分かるけど、相手にやる場合は手に伝わる感触で判断しないといかんし!」


「ちょっとばかしトーンを落とそうか」


 想定内の反応だったが、テンションの方が想定を超えてた。お陰で周囲の目がこっちに向いちゃってる。珍しい組み合わせだから特に気になるみたいだ。


 けどまあ。やっぱこういうことを話せる相手が欲しいって思ってたんだなぁ。


「わりぃ」


「いや、まさにそれだ。水谷さんのメイクに対して油野が痛いって文句を言ってたからな。俺は俺でくすぐったいって言われたけど」


 耳かきに近いかもな。あれも自分でやるのと他人にやられるので違うし。


「油野で練習とか豪華だな。あんま化粧映えするとは思えんけど」


「元がいいからな」


 スマホをいじって画像を出す。


「これが水谷画伯の作品」


 ウィッグのお陰で女子っぽく見えるけど、


「ほぼほぼ油野だな」


 そうなんだ。見分けが付くレベルなんだよ。


「これが俺の作品」


「これもほぼ油野だな。けど個人的にはこの淡い感じの方が好みだ」


「油野本人もそう言ってたな。水谷さんのは悪く言うと、けばけばしい」


「だなぁ。油野は素材がいいから余計なことをする必要がないんだよ」


 分かったようなことをどや顔で言ってくれるね。


「そんでこれがシノブちゃんの作品」


「……これ。やどりんじゃないのか」


 食い入るように見てくるからスマホを渡してやった。部分部分を拡大して色々とチェックしてるみたいだが、何をしたいのかはさっぱり分からん。


「まじで油野か?」


「ガチで油野だ」


 ほら、感情が死んでるじゃん。宿理先輩のツラはこんなに大人しくないよ。


「……これが化粧でメシを食ってる人の力ってやつか」


 感動したらしい。俺もここまで変わるのかって思ったもんなぁ。


「また水谷さんと教育を受けることになってるけど、大畑くんも来るかね」


「いいのか!?」


「その道に進む気があるのなら将来の役には立つと思うけどね」


「ぜひ! 頼む!」


「じゃあ連絡先の交換だな」


 ささっとLINEの登録を済ます。


「俺、碓氷のことを勘違いしてたわ」


 直後にそんなことを言ってきた。


「カースト上位の浅井に対してデカい口を叩くなよって思ってあんなことを言っちゃったけど、お前はただ面倒見がいいだけなんだな。よく考えればあれは丹羽のためにしたことであって、浅井が悪いんだもんな」


 また丹羽くんにペアを組んで貰うために貸し付けただけですけど。まあいいか。


「そうだ、すべて浅井が悪い。後で大畑くんにも謝らせるわ」


「……そんなこともできるのか?」


「我、飼い主やぞ」


「8組のボスって実はお前なんじゃ……」


「寝ぼけたことを抜かすな。ウチのボスは川辺さんだ」


 我は女神みっきーの忠実なるしもべぞ。


「お前がそう言うならそれでいい。それで1つ相談なんだが」


「油野の写真ならやらんぞ」


「……誰にも見せないって約束するから」


「むしろ俺の方が誰にも見せるなってきつく言われてんだよなぁ」


「……見ちゃったけど」


「前にあいつの彼女がさ。契約は双方の合意が必要だって言って俺の善意を無いことにしやがったんだよね。それで言えば俺は見せるなって命じられただけで、はい分かりましたって承諾してないし。契約は不成立じゃないかなって」


 うん。すべて水谷さんが悪いね。油野は水谷さんを恨んでね。


「そういう訳だから次の機会に撮らせて貰え。欲張るといいことないぞ」


「そうだな。次を楽しみにしとくわ」


「そんじゃ俺は部室に行くもんで。またな」


「おう! ありがとな!」


 いやあ、油野ってすごいね。油野のイケてるフェイスのお陰でまた1人の悩める少年が前向きに生きてくことになっちゃったよ。


 てな訳で部室に到着。ドアをスライドさせて入ってみる。


 あれ。内炭さんが長机に突っ伏した状態から物凄い勢いで上体を起こした。


「どうした?」


 なんか嫌なことでもあったのかね。今のトレンドで言うと文化祭のだしものか。


 いつもの席に座って弁当箱とほうじ茶を卓上に置き、そこで内炭さんのサンドイッチが手つかずなのに気付いた。もう昼休みに入って15分近く経つのに。


「何かあったのか?」


 ジト目が飛んできた。


「碓氷くんが来ないから。本当はまだ怒ってるのかなって思って」


 犯人は碓氷でした。えー、その件は土曜日で終わったじゃん。


「それでちょっと凹んでました。それだけです」


 むすっとしてらっしゃる。ごめんて。


「そうですか。それは大変申し訳ございませんでした」


 俺はスマホをいじって、


「おっと手が滑った」


 スマホが内炭さんの方にズサーって滑ってく。わざとらしすぎる行動に、内炭さんは逆に何かを察したように画面を見つめ、小首を傾げた。


「宿理先輩の写真?」


「油野家の三女の写真」


「紀紗ちゃんのってこと? へー、化粧をするとこんなに大人びた感じになるのね」


 弁当箱の蓋を開ける。おお、土日に尽くした甲斐があった。赤玉や森がない。


「このたび紀紗ちゃんは油野家の四女になりました。それは圭介くんの真の姿である圭子ちゃんです」


 おいおい。顔を近付けすぎだよ。ド近眼でも逆にそれじゃ見えんだろ。


「くわしく」


「油野パパにメイクの基本を習いに行きました。都合の良いマネキンが油野くらいしかなかったのでそれを利用しました。楽しかったです、まる」


「いい作文ね。私が国語の先生なら花丸をあげてるわ」


 内炭さんは鼻息を荒くしてスマホの画像を拡大したり縮小したりしてる。


「油野くんの写真ってフリー素材なのよね」


「だがそれはあげられない。いま脳裏に焼き付けておくれ」


「そんな殺生な! 絶対に自分だけで楽しむから!」


 何をどう楽しむんだよ。紀紗ちゃんに貰ったらしい寝顔の写真と、俺があげた半裸の写真でもう半年は色々とできるだろ。


「それがね。今回は人質を取られてんだよ」


 大畑くんには黙ってた情報だ。あいつはまだ信じ切ることができんからな。


「人質って?」


「……俺も化粧されちゃって」


「くわしく」


「あのハゲ。俺みたいな顔の方が化粧映えするからって。それなら久保田を呼ぶからちょっと待てって言ってたのに」


「碓氷くんって自分のためなら平気で友達を売り渡そうとするわよね」


「私はただ久保田くんを仲間に入れて差し上げたかっただけなのです」


「リフィスさんの口調になると尚のこと怪しく感じるんだけど」


「どうせなら道連れが欲しかった!」


「唐突な本音にびっくりするわね」


「いやあ、苦楽を共にしてこそ友達ってもんじゃないかな」


 内炭さんは目をパチパチとして、ふっと微笑んだ。


「そうね。最近はそういうのが分かってきた気がするわ」


「最近の内炭さんはリア充に片足を突っ込んだ状態だからな」


「私の青春を棺桶みたいに例えるのやめてくれる?」


 そう言いつつも内炭さんは機嫌良さそうにサンドイッチの包装を解いた。あの、俺のスマホ、返して欲しいんですけど。


「油野くんが恋コンに出たら優勝するんじゃないかしら」


「それは俺と水谷さんも思ってる。水谷さんに至っては女としてのプライドを守るためにハヤトで出るか悩んでるみたいだしな」


「気持ちは分かるけど。同じ土俵から降りちゃったら敗北宣言と同じでは」


「公に敗北しなきゃいいんじゃない。現に俺らの中で油野の方が上になってるし」


「なるほどね。それで碓氷くんの写真はどのフォルダにあるの?」


 こいつ。普段は俺に興味なんか見せないくせに。


「……分かったよ。分からないようにしてあるからそれ返してくれ」


 スマホを受け取り、俺はそれをそのままズボンのポケットに入れた。


「ちょっと!」


「俺は返してくれって言った! そして返された! 実に論理的!」


「分かったって言ったじゃない!」


「クボってフォルダに入ってます! はい! どのフォルダか答えました!」


「……実に論理的ね!」


 とても納得してるような顔には見えないけどな。


「論理を持ち出されたら碓氷くん相手じゃ分が悪いし、ここは諦めるけど。それって美月ちゃんは知ってるの?」


「水谷さんが裏切っていなければ知らないはず」


「優姫ちゃんは?」


「あいつに知られたら夜な夜な俺の部屋に不法侵入してはスマホをいじってパスワードを突破しようとするから絶対に教えない」


「なるほど。これは良いカードを手に入れたわね」


「ふっ。そのカードを切るとき。我々の縁もまた切れると知れ」


 内炭さんの頬が引きつった。冗談じゃないって通じたようで何より。


「碓氷くんに口で勝てる気がしないわ」


「勝たなくてよろしい。けど内炭さんは真っ向勝負より側面から殴る方が合ってる気がするぞ。七夕とか脱出ゲームの時にそう思ったわ」


 内炭さんに出し抜かれる時は、俺に対しての不意打ちかつシナリオを既に完成させた状態でスタートを切ってる気がする。どれだけ俺が瞬発力を発揮しようとしても、それがもう定められたレールの上なら勝負のしようがないしな。


「とにかくメシを食おうか。腹が減っては戦ができぬからな」


「……碓氷くんと戦う気はないんだけど」


「内炭さんじゃない。クラスの出しものについて話し合いをするらしいんだわ」


「あら。放課後に?」


「みたいだね。部活や委員会がある人は欠席していいらしいけど」


 内炭さんはサンドイッチにかじりつき、俺もその隙に玉子焼きと白米を頬張る。もぐもぐが終わるのは内炭さんの方が早かった。


「今日の部活は碓氷くんにも参加して欲しいんだけど」


 なんでだろ。今日は実習日じゃないはずだけど。


「今日から美月ちゃんが部活に入るんだって」


 あらまぁ。川辺さんも教えてくれたらよかったのに。


 予想できる目的は3つあるけど。って考えながらほうじ茶を飲み、


「川辺さんはクラスの話し合いをスルーして部活に出るつもりなんかね」


「どうかしら。その話し合いっていつ決まったの?」


「4限の終わり」


「じゃあ困ってるかも。私が聞いたのって昨日だし」


「なら話し合いが終わってから俺と一緒に行くって愛宕部長に話しといて」


「分かったわ」


 そこから数分くらいはお互いにメシを優先して、先に食べ終えた内炭さんが不思議そうに言ってきた。


「美月ちゃんが入部することに何も言わないのね」


「ん? 歓迎するってくらいは言えってことか?」


「逆よ。嫌がるのかなって」


「部活の参加は個人の自由だろ」


「そうだけど。碓氷くん目的っていうのは分かってるわよね」


「3割くらいはそうじゃないかなって思ってた」


「8割はそうでしょ」


「んー、リフィマで働いてる時に料理を楽しそうにしてたし、イートインチームが売上1位になった時もはしゃいでたし、3割くらいは単純に今後のためとかで覚えたいって気持ちで動いてると思うけど」


「……言われてみればそうかも。先入観で勝手なことを言っちゃダメね」


「どっちが合ってるかは分からんけどね」


「ちなみに碓氷くん予想の残りの4割って何なの?」


「優姫への対抗心」


「あー。そっか。そこが1番大きいって言われる方が納得いくかも」


 内炭さんがうんうん頷いてる間に最後の一口をかっ込んだ。


 本日も美味しゅうございました。手を合わせて、弁当箱を片付ける。


「久保田も誘ってみようかなぁ」


「いいんじゃない? 腕は確かだし」


「そんなのどうでもいい。男女比を少しでも改善するために道連れにしたいんだ」


「……またそれなのね」


 内炭さんは苦笑したけど、本当に大問題だよ。5月頃に辞めようとしたことだってあるんだからさ。愛宕部長に長々と説得されたから踏み留まったけど。


「仕方ない。浅井にサッカーを諦めて貰うか」


「本当に容赦ないわね」


 冗談だけどね。だって笑顔でこっちに来そうだもん。弱小サッカー部のくせに随分とハードなことをしてるみたいだし。


 それなら女子に囲まれながら穏やかにデブっていった方がいいと思うんだよ。ガツガツきたら冗談ってことにして真意を探ってみましょうかね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る