8/20 Sat. 二律背反――前編
そこそこ広いとはいえ2DKで7人も寝泊まりするのは無理がある。
3:4で別れたらどうにかなるけど、男女比が2:5なんだよね。片方の部屋に5人を詰め込むのはさすがに厳しい。それなら男どもをダイニングキッチンに転がした方が建設的だ。ってことで俺と久保田は毛布を敷いたフローリングで寝た。
日本では男女差別の是正を求める声がまだまだ大きいけどさ。ならこれを女子にやれって話になったら怒るよね。けど男子がやる分には当然ってツラをするよね。
その辺はどうなのよ。ウチの女子は「本当にいいの?」って配慮してくれたよ? 水谷さんはポーズだけだと思うし、優姫は「カドくんとクボくんとあたしの3人で1部屋でもいいよ?」って下心満載だったけど、弥生さんと川辺さんと内炭さんは本当に心配してくれたよ。内炭さんなんか「私はお風呂でもいいですよ? よく寝ますし」って本気なのか自虐なのか分からんことも言ってたよ。
そんなこんなで太陽が出勤してきて朝メシの時間だ。本日は第3土曜だけど、さすがにママゴトはおあずけらしい。
まあ、公然と油野(俺)との夫婦ごっこなんかしたら内炭さんが今晩にでも丑の刻参りをしかねないし、幼馴染(俺)との夫婦ごっこなんかしたら川辺さんが使わないフライパンを優姫の足元に落としかねない。
だから朝メシは俺のソロで作った。久保田は連日の戦で肩を痛めてしまっているからな。振動するものをひたすら持ってるからばね指の心配もあるし、今日のところは大人しくして貰った。
そんな中、わかめと豆腐の味噌汁を啜った弥生さんが、
「前にも思ったけど。碓氷くんと一緒になったら座ってるだけで美味しいご飯が出てくるのよね。どう? お姉さんとの結婚を考えてみない?」
地雷をピンポイントで踏み抜いてきた。おいおい、昨晩のアルコールが抜けてないのかよ。
水谷さんと内炭さんの箸が止まったのは昨晩の内容を知らされてるからかね。
「わー、弥生さんは大胆だなぁ。今晩にでもせんせーに報告しなきゃー」
「胸が大きいとそんなに大それたことを言えちゃうんですね。憧れるなぁ」
川辺さんと優姫は純然たる棒読み。弥生さんは不穏な空気に愛想笑いを浮かべた。今さらになって川辺さんの気持ちのことを思い出したらしい。
「やだなぁ、冗談だよ。どしたの? 朝から不機嫌モード? 嫌な夢でも見た?」
「低血圧なだけー」
「低血圧なのでー」
便利だな。低血圧設定。俺も機会あればその言い訳を使ってみよう。
そんなこんなで本日もリフィスマーチへGO。
弥生さんのメンタルは水谷さんによってケアされたからミーティングが始まった時にはすっかり笑顔だった。その手腕を見習いたい。
今日の方針は基本的に昨日と同じ。方針以外の点なら違うとこもある。
「それじゃあ石附ちゃんは朝一から茹で卵をお願いね」
弥生さんの業務命令にヅッキーは不敵な笑みを浮かべた。
「はっ! この売上ナンバーワンチームのリーダーにおまかせをっ!」
調子ってもんが土台だとしたら3つは重ねて乗ってるね。
「あー、うん。任せるわね」
「承知! いやぁ、まいっちゃうなぁ。でもこれもナンバーワンリーダーの背負うべき宿命ってやつ? はっはー、頼られるのって大変だなぁ」
いや、5つは重なってるっぽい。ついでに鼻が天井に届きそうだ。邪魔だし、折るか。この小者感ハンパないやつのせいで弥生さんの目が据わってきてるしな。
「なぁ、ヅッキー」
「なんだい、碓氷くん。リーダーに何か相談かい? ダメだよ? 私に頼ってばっかりいたら成長できないよ?」
よし。折るなんて生ぬるい。鼻を引っこ抜いてやる。
「実際に頼りになるからしょうがない」
「ほっほー。きみ、分かってるね。出世するタイプだね!」
「俺、前にリフィスからティラミスを作って弥生さんに味見して貰えって言われてたんだよね。だから今日はそうしていい?」
「……え?」
「え?」
「えっと。それってつまり?」
「リーダーを頼るってことだね」
「頼るって。碓氷くんの仕事。あれをぜんぶ私が?」
「まあ元々はヅッキーの仕事な訳だし。成長できなくて悪いけどさ。頼っていい?」
「……茹でてくりゅ!」
逃げやがった。まだミーティングの途中だっての。
小さく息を吐いて前を向いたら弥生さんが親指を立ててた。そんなにイラっとしたのかって思ったら伊藤さんと奥谷さんも同じことをしてる。連帯感あるね。
ミーティングが終わって厨房にいったらヅッキーが寸胴鍋の前に置いた椅子の上で体育座りをしてた。ヅッキー、まじ小者感あふれる。
「なぁ、ヅッキー」
耳を塞ぎやがったよ。小賢しいね。
「やっぱ先にハンバーグの種を作るわ」
「ほんと!?」
聞こえてんじゃん。満面の笑みを浮かべてんじゃねえよ。
「9時半になったらティラミスを作るけどね」
そして絶望するヅッキー。緩手を晒して油断させたとこで急所を突く。これぞリフィススタイル。
「ど、どれくらい掛かる?」
「家で作った時は4時間掛かった」
「よ!?」
「え。あれってそんなに掛かるんだ」
川辺さんが嬉しそうな顔をしてる。優姫は微妙な表情だ。隠し事を無くすために誕生日会の話はしてあるからな。
「スポンジから作るとそんなもんになるね。ウチには業務用の設備がないし。けど今回は弥生さんが1個だけジェノワーズをくれるって話だからそんな掛からんよ」
「ならどのくらい!?」
ヅッキー、必死だな。
「2時間半かな」
「……スタートラッシュを乗り切ればなんとか」
「つっても2時間は冷蔵庫で冷やすだけだからオープンまでに終わるけどね」
「っ! そういうとこ! そういうとこがほんとに副店長そっくり!」
「作るのが1個だけとは言ってない訳だが」
「……碓氷くん。私達はさ。一緒に働く仲間じゃん。協力しようよ」
とうとう泣き落としをしてきた。お灸を据えるのはこれで充分かな?
「まあ1個も2個も作る手間は変わらんけどね」
「じゃあ今日もナンバーワンを目指してみんなでがんばろ! おー!」
足りてない気もしてきたけど、まあいいか。おー! って巨乳2人が乗っかっちゃったしな。まずはハンバーグからいこう。
という訳で本日もリフィスマーチ、オープンです。
昨日の評判の良さと、明日以降のヒハクとやどりんの予定は未定って情報のせいで今日は昨日以上の列ができてた。信者の皆様、本日もありがとうございます。儲けさせていただきます。
特にアクシデントもなく時計の短針は天辺まで進み、手が空いたタイミングで冷蔵庫からティラミスを出してきた。茶漉しで純ココアを振って、合間を縫って用意しといた三日月型のホワイトチョコをまぶしていく。ジェノワーズのサイズがそこそこあったからスクエア皿で4個用意したけど、仕上げるのはとりまこれだけでいいや。
さて、さすがにプロのパティシエにいきなり持ってくのは勇気がいるし、一皿目は味見用にしようかね。スポンジが自分のじゃないから想定してる味からズレてるかもしれんしな。ってことで、
「はい!」
お皿を差し出してくる金髪っ子。まあいいけど。
盛り付けてあげたら自分用の皿に移して、
「ありがと」
幼馴染に強奪された。まあいいけど。
代わりの皿を取りに行き、
「これめっちゃ美味しいね」
戻ってきたらヅッキーがつまみ食いしてた。まあ許せんな。
「その試食はリーダーとして? ヅッキー個人として?」
「……なんで私にだけそんな冷たいの?」
好感度が0に近いからじゃないかな。
「大丈夫。俺は浅井にも冷たい」
「それ。何も大丈夫じゃないよね。絶体絶命のピンチだよね」
「まあ冗談はさておき」
「本当に冗談だよね? お姉さん、もうちょっとで心が折れちゃうよ?」
まだ折れてなかったのか。意外とメンタル強いな。
「ヅッキーにも試食して貰おうと思ってたんだよ。どんな感じで美味い?」
「んー、ウチのティラミスより味が濃い。チーズのコクが強いっていうか。でもコーヒーの味は弱いね。その分だけココアが強く感じるかな。お子様向けって言ったら失礼かもだけど、これならコーヒーが苦手なお客さんでも美味しく食べられるかも」
へぇ。
「さすがリーダー。頼りになるね」
「っ! やめてよ! 今度はどう落としてくる気なの!」
「本心なんだけど」
「またそうやって油断させようとするんだから!」
俺への信頼度が底を叩いちゃったみたいだな。自意識過剰かとも思うが、同じチームで働いてるせいで距離を近く感じてたし、これはこれで好都合だ。
「どう? ゆうっきー。すっごく美味しいよね」
「……みっきーがどやることじゃないじゃん」
「ふふん。これ、ビューティフルムーンって言うんだよ!」
「……あー、そういう」
優姫は眉間にしわを寄せながらティラミスをパクパクいってる。
「みっきー。友達のよしみで教えてあげるけどさ」
「んー?」
「そういうの。カドくんは嫌がるよ」
「……え」
こっちを見ないでください。
「みっきーが嬉しいのは分かる。あたしも本音を言うと嫉妬してる。けどね。カドくんはそれに愛情なんて籠めてないの。だからそうやって過剰に喜ばれるとカドくんはどう反応していいか分からなくて困っちゃうんだよ」
こいつ、対俺に関しては水谷さんレベルの洞察力を発揮するな。
「まあ百歩譲ってただ喜ぶならいいよ。でもカドくんの厚意を利用してあたしにマウントを取るのはやめた方がいい。なんでか分かる?」
川辺さんは途端に落ち着きがなくなった。
「こんなことならティラミスを作らなきゃよかった。そう思われちゃうよ」
「……それはやだ」
「でしょ? せっかくの思い出のケーキなんだから。ただ美味しくいただこうよ」
「……うん。ごめんね」
「いいよ。あたしもそんな感じになることもあると思うから、その時はみっきーが止めてね?」
不思議と優姫が大人に見えるな。
「ゆうっきーは大人だね」
川辺さんが代弁してくれた。
「わたしはなんか嬉しい! ってなると他のことが考えられなくなっちゃうよ」
「あたしも基本的にはそうだよ。でもそれじゃダメって経験したからね」
これ以上は聞いてちゃいけない気がするな。とりあえずはヅッキーの評価も得られたし、油野と久保田も前回は失敗作を食わせちゃったから感想を聞くとして、先に近場の堂本に食って貰いますかね。男同士だから同じ皿でもいいよな。
「碓氷くん、碓氷くん」
行動の寸前でヅッキーがコックコートを引っ張ってきた。
「あの2人って碓氷くんのことが好きなの?」
デリカシー滅亡してんのかよ。堂本は見て見ぬフリしてノーパソ触ってんのに。
「そうですよ」
「そうですよって。随分と余裕だね」
そんなもんあるかっての。売ってたら買いたいくらいだわ。
「その辺も副店長に似てるなぁ。どっちつかずっていうかさ」
「そうかな?」
やっぱ一応は聞いてるんだな。堂本がこっちに目を向けてきた。
「奥谷さんもリフィスさんが弥生さんとシュクのどっちを選ぶのかなって楽しそうに言ってたけど。そんなの分からないよね」
せっかくだからティラミスを盛った皿とスプーンを差し出す。堂本は一礼して一口いった。
「美味しいね。けど僕はもうちょっとコーヒーが強い方がいいかな」
「そこは分かれるとこだよな。堂本はプリンにカラメル必須派か?」
「必須派だね。カラメルのないプリンは甘い茶碗蒸しを食べてる気分になるから」
「分からんでもないな。つっても俺はカラメル不要派だけど」
「うん。まさにそれだよね」
堂本の言葉に、俺とヅッキーは首を捻った。
「プリンにカラメルを求める人もいれば求めない人もいる。恋人もそうじゃない?」
「あー」
ヅッキーとハモってしまったわ。
「リフィスさんは少女漫画のヒーローじゃない。必ずしもヒロインとくっつく必要はないんだ。もしかしたらまだ見ぬ誰かと恋に落ちる可能性だってある」
正論としか言いようがない。非情で、冷酷で、無慈悲だけど。
「僕も明美と会うまでは運命の出会いなんてないって思ってたからね」
と思ったら惚気かよ。惚気るための布石だったのかよ。
「お前、変わったよな」
「そう? だとしたらその犯人は恋だね」
きざったらしいねぇ。ヅッキーは気に入ったみたいでうんうん頷いてるけど。
「あっ、イートインでハンバーグの注文が入ったみたいだ。ノーマル1、チーズ1、ペッパー2。おっ、追加で弁当も2。さすがは昼時だね」
「おっけ。そんじゃ焼きますかね」
定位置に戻りながら自分でも味見をしてみる。
へー、やっぱスポンジが違うだけでかなり印象が変わるな。余裕でこっちの方が美味い。さすがはリフィマの看板を背負ってるパティシエだ。レベルが違う。
ココアはちょっとまぶしすぎたな。堂本がコーヒーの強化を求めたのも分かる。
甘さと苦さのバランスか。それはさながら恋のように複雑だ。
さっき堂本がきざったらしいことを言ったせいかもな。そんなことを思った。
それでも俺は思うけどね。苦いよりは甘い方がいいってさ。
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