8/19 Fri. 巧遅拙速――前編

 悲報。リフィスマーチ、大炎上する。


 一昨日にホスト系ウェイター風コスプレイヤーヒハクと、同じくホスト系パティシエール風コスプレイヤーハヤトによる腐女子の乱獲が実施されたが、企画されたのが当日の朝だったせいで数々の不平不満を生み出したらしい。


『アナウンス遅すぎ。公式仕事しろ』


『撮影可なら仕事サボって行ったのに。そこはしっかりお知らせしてくれないと』


『我、都民。15時に早退して新幹線に乗ったのに着いたら店が閉まってた。サイトに20時閉店って書いてあるのに。交通費どうしてくれんの』


『ケーキとプリンの売り切れで早仕舞いなんて納得できない。1人1個の購入制限をしてくれてたらヒハクさまに会えたのに』


 ツイッター界隈では一昨日の夜時点でぷち炎上してたらしい。そこに油を撒いたのがリフィマを満喫できた勢だ。


『公式さんに凸するのはやめてください。ヒハクさまのお姿を拝見できなくなったらどう責任を取るつもりですか?』


『写真目的とか俗物かよ。実物こそ至高。あの2人に出会えたのは人生最大の幸福』


『真の愛がある者は15時早退じゃなくて10時早退してるんだよなぁ。己の不手際を棚に上げてクレームを付けるなんて公式さんかわいそすぎる』


『ハヤトさまのプリン。おいしゅうございました。あれを食べられないなんて憐れで仕方ないです。皆さまは食べましたか? 私は1ダースお持ち帰りしました^^』


『ヒハクさまのマサさまへの壁ドンが最高すぎてケーキ1ホール余裕でした^q^』


『緊急速報。マサさまのハンバーグが美味しすぎなので再び聖魔大戦を起こすことが閣議決定されました^-^』


 この時の俺は油野に介抱されてる最中だったし、目覚めたのは翌日の14時半だからこんなことになってるとは思ってなかった。


 そして最大の火種は昨日にあったらしい。


 油野姉弟の参戦は一昨日の21時頃にやどりんアカウントで発表。遅れてリフィマの公式ツイッターでもその情報を流し、ついでにヒハクとハヤトの連日による参戦もアナウンスしてた。そのせいで当日の開店待ちは200名を超え、大混雑の末になんと15時で閉店する事態となったらしい。


 そりゃそうだ。早仕舞いした翌日なんてまだ在庫が薄いままに決まってる。なのに客寄せパンダを4匹も用意したらパンクしない道理がない。


 目的の人物に会えなくて怨嗟の声を漏らす者。開店して5時間で閉めてしまう運営の不手際を糾弾する者。常連客でただスイーツを買いたいだけなのにそれが叶わなかったと嘆く者。それら不幸に喘ぐ者を嘲る者。その行動を許せない者。


 サバンナかな? ってくらい本能丸出しで言葉による暴力の応酬を繰り返してた。特に酷かったのはやどりん教徒と腐女子の言い争いだ。


 曰く、貴様らが存在しなければ我々は幸福を得られたのだ。


 午前9時。優姫と2人でリフィマに来た俺は温かい言葉をいっぱい貰い、人とのふれあいっていいもんだなぁって感動してたらこの件を教えられ、いつになったら人類史から戦争という言葉がなくなるのかなと哲学の海にダイブしそうになった。


 てか上条先輩と水谷さんがいて、しかも大人が6人もいるのになんでこうなった。少なくともリフィスがいればこんなことにはならんかったって確信できるぞ。


 ところで本日の参戦者はリフィマ勢6人。一昨日からのバイト9人。これに油野姉弟を加えての17人だ。


 病み上がりの俺を除いた男子一同は検品作業で倉庫にいる。最近は専らミーティング室として活用されてる休憩室には男1の女性12名。肩身が狭いどころか魔女狩りの対象になった気分だ。ただ本日の予定を話してるだけなのに、この後にどうせ俺をみんなでいじめるんだろってビクビクしちゃってる。


 一昨日にハーレムを形成してた久保田もこんな気持ちだったのかなぁ。ごめんな。


「ねぇ」


 なん、だと……?


 たった2文字。しかもそう呟いた人物は俺の方を見ていない。


 なのに。それは耳に心地よく、胸に染みわたるかのように俺の魂へと届いた。


 まさか。この環境で始まってしまうのか。内炭トークが!


 左隣にいる内炭さんはスマホをいじってる。この子が部室で俺に話し掛ける時は窓を見てることが多いし、それと比べたら随分と自然な行いに思えるね。


「どうした?」


 7六歩に対して3四歩。この受け答えはそのくらいしっくり来る。


「これ。天野さんじゃない?」


 スマホに表示されたツイッターの画面を見せられた。


 あぁ、間違いないわ。愛知県在住。現役女子高生。尊敬する有名人はやどりん。固定されたツイートに『とうとう念願のモデルデビューをしました! やどりんかわいい!』ってあるし、何より宿理先輩にフォローされてるみたいだからな。


「そうだな」


「現在進行形で腐女子とレスバトルしてるんだけど」


 まじかよ。あの人、なにやっちゃってんの。


「天野さんの手綱を握るのは碓氷くんの役目でしょ? しっかりしてよね」


 あ? こいつ。さては夏休みに入ってからカースト上位と接することが多くなったことで自分の立場が上がってると勘違いしてやがるな。


「悪かった。では罰を与えよう。廊下に立たせるのは可哀想だから、2学期が始まったら休憩のたびに天野さんを内炭さんの席の前で仁王立ちさせてやるわ」


「……ごめんなさい。許してくれませんか」


 誰への罰かを理解したらしい。俺らみたいなモブは謙虚さを忘れちゃいかんよ。


 一応は内容を確認してみる。ふむ。普通に裁判を起こされそうなことを書いちゃってるね。今日にでもネットリテラシーの重要さを説いてみるか。このままだと宿理先輩に火の粉が降りかかりそうだしな。って、あれ?


「この天野さんに応援のリプを送ってるのって蒼紫じゃね?」


「えっ。……ほんとだ。あの子、なにやってんのよ」


「お姉ちゃんが説教すると反発するかもだし、俺から言ってもいい?」


「お願いします。相変わらず頼りになるわね」


「紅茶マイスターの内炭さんほどじゃないけどね」


 照れてるよ。褒められることに慣れてないから簡単に喜んじゃうんだね。


 とにかく天野さんにDMを送っておこう。


『やあ。ケンカを売ってるようだけど。商売を始めたんなら俺の反感も買っとく? 今なら安くしとくよ? 今を逃すと高く付くから後悔しないようにね?』


「……その身震いしそうになるような皮肉がさっと出てくるのがすごいわね」


 ちょっとー。見ないでよー。


「蒼紫にはマイルドにしとくよ」


「是非ともお手柔らかにね。あの子、イキってるけどメンタルは弱いから」


「了解。内炭さんも意外とお姉ちゃんしてるよね」


 また照れてるよ。どんだけ褒められない人生を歩んできたんだよ。


 個人的には内炭トークをするなら『私、油野くんのことが』ってとこまでやって欲しいけど、さすがにこの大人数でそれをやるのは難易度が高い。ならミーティングの内容に耳を傾けようか。って気にならんのも問題だが。


「弥生さん。何度も言いますが、本日の宿理は出番なしにするのが最良かと」


 ヒハクスタイルの上条先輩が腕組みをしながら憮然と言った。


「だから! もうツイッターで告知しちゃってるんだってば!」


 それに対して宿理先輩は激高してる。これに対するギャラリーの反応は2種類だ。


 おろおろするか。見て見ぬふりをするか。


 内炭さんみたいにスマホをいじってるのも少なくない。ヅッキーなんか後列にいるのをいいことにさっきからあくびを連発してる。


 意外にも水谷さんは前者だ。きっと両方が正論を言ってる上に、リフィスにとって都合のよくなる選択がどっちか計りかねてるからだろね。


「宿理。いい加減にしてくれ。きみの私情をここに持ち込むな。我々は碓氷少年を介してとはいえリフィスさんのために、いや、リフィスマーチの皆さんのために集っている。これ以上、リフィスさんの帰る場所を荒らしてはいけない」


 ド正論。浅井以外はバイト代を二の次三の次って考えでここに来てるしな。特にネトゲ時代からの付き合いがあるやつらは二つ返事でOKをくれたし。


「だから! あたしもりっふぃーのために来てんの! あんたらが初日に赤字なんか出したから! 初日にサラがツイッターで宣伝すんなって言わなかったら回避できたかもしんないのにさ! アンチなんかほっといて最大戦力でやればいいでしょ!」


 こっちも正論。一部は結果論だけど、手段として見れば間違いじゃない。


「あのね。この商売は水物だ。食事と違ってスイーツは食べるか否かをその日その時の気分次第で決めるからね。年中黒字というわけじゃないんだ。得点をあげる回もあれば失点を犯す回もある。今日1点を失っても明日1点を得れば帳尻が合うんだ。それに初日は千早の負担も大きかったからね。少年の選択は正しかったと断言できる」


 論理性の強い正論に宿理先輩が歯噛みした。それでも大きく口を開け、


「だから!」


「だからだからと喧しいよ」


 背筋が伸びる。上条先輩の目はさながら鋭利な刃物のようだ。


「千早はプレッシャーの余りに手が震えていた。冷静さも欠いていたし、美月が言うに食欲も失せていた。それでもいま持ち直せているのは碓氷少年による機転と客足の鈍さが主要因だ。一昨日は残念ながら赤字になったけど、あれがなければ昨日の黒字はなかった。きみの言い分は尤もらしく聞こえはしても的を射てはいないよ。それどころか千早や少年の努力を軽視しているようでとても不愉快だ」


 宿理先輩はハッとしたような表情を見せ、視線を水谷さんに向けた。


「ちがっ! そんなつもりじゃなくって!」


「大丈夫。やどりんの気持ちは分かってるから」


 悪手だな。水谷さんは宿理先輩を気遣って笑顔を作ったんだと思うけど。上条先輩の刺し傷はそんなもので覆るほど浅くない。


 宿理先輩は瞳を彷徨わせ、


「サラも。あたしはそんなつもりで言ったわけじゃなくて……」


 尻すぼみに声が小さくなっていく。


「分かってますよ」


 大丈夫だよ。本当に。みんな分かってるから。


「宿理先輩がもどかしく思ってたのも通じてますから。1日でも早く手伝いたかったこともね。俺らも宿理先輩がいてくれて心強いですよ」


「……サラぁ」


 だから泣きそうな顔をしないで欲しい。そこで舌打ちしそうな顔をしてる悪魔も加減ってもんを考えろや。あんたの言葉はぐさぐさ刺さるんだよ。


「えっと。碓氷くんの意見を聞いてもいい?」


 弥生さんが唐突に振ってきた。求めてるのは両者が納得する結論かね。ねえよ。


「意見って今日の方針のことですか?」


「そうそう。混乱を避けるためにやどりんを外すか。また早仕舞いをしてでも全力でいくか」


「それは責任者が判断することでしょ」


 俺の火の玉ストレートに内炭さんが頬を引き攣らせた。上条先輩は笑ってる。


「まぁ、そうなんだけどさ。こういうのを決めるのって苦手で」


 弥生さんが頬を掻く。それも分かるけどね。


「判断はともかくとして言いたいことはありますけどね」


「え? 例えば?」


「時間の無駄だから水谷さんは内炭さんと久保田を連れてプリンを作ってよ」


 出たよ。この効率厨め。って顔をしたのが4人もいるのが心外だね。


 けどそのことを最も気にしてたと思われる水谷さんは微笑み、


「そうね。どっちにしてもプリンは必要だし」


「時間は有限だからね。オープンまでの時間に至ってはもっと限られてる。合理的に効率よく使わなきゃ損ですよ。ってことでヅッキーも茹で卵やっといて」


「……私。イートインのリーダーなんだけど」


「なら俺の指示はいらないね?」


「茹でてくりゅ!」


 ヅッキーが走り去り、苦笑した水谷さんと内炭さんが後に続いていった。


「ヅッキーは聞き分けがよくて助かりますね」


「……本当に糸魚川に似てるよね」


 失礼だな。弥生さん、失礼だな!


「長谷部さんも準備をお願いします。優姫と川辺さんはヅッキーの補助に。伊藤さんと矢作さん、奥谷さんはちょっとそこの百均までお遣いをお願いしようかな」


「……どういうこと?」


 弥生さんが首を傾げた。おや? 珍しく上条先輩も分かってないようだ。


「さっきリフィスに似てるって言いましたよね?」


「言ったけど?」


「リフィスならこうするかなってのが思い当たるんですよ。今後も役に立つかもしれないんで、いっそのこと今日からどうかなって。ぶっつけ本番になりますけど」


 という訳でざっくりと説明してみた。


「きみと一緒にいるとやっぱり才能って卑怯だなって思うよ」


 弥生さんは感心するように何度も頷き、すぐにホール組にお遣いの指示を出した。やめてよ。最近の俺は卑怯って言葉に敏感なんだよ。


「なるほどね」


 上条先輩は心底楽しそうに頷いてる。ぶっちゃけ恐い。


「確か前にも言ったね。きみは冷蔵庫にあるもので料理を作れと言われたら特に困ることはない。または、これを食べたいと言われて作ることが可能かを判断することも容易い。つまり、スタートが定まっていればゴールを導き出せるし、ゴールが定まっていればスタートを逆算することができる。論理的思考の基本だ」


「はい。パーツはほぼほぼ揃ってましたのですぐに思い付きました」


「……ならなぜ言わなかったんだ」


「上条先輩ならすぐに気付くだろって思ってたんで」


「ご期待に沿えず申し訳ございませんね」


 あれ? 普通に悔しがってる? 宿理先輩との口論は冷静そうに見えて感情的になってたからね。左脳さんをもっと使ってやらんとだよ。


「それに思うとこがあったんで」


 俺らみたいなモブは謙虚さを忘れちゃいかんよ。って思った直後だったしな。舌の根も乾かぬうちに出しゃばるのもどうかと思ったんだよ。


「ってことで宿理先輩。頼りにしてますからね?」


 宿理先輩は魅力的な笑顔で俺に駆け寄ってきて、


「まかセロリ!」


 バシーン! と思いっきり背中を叩いてきた。なんでやねん。なんで叩かれなあかんねん。普通に痛かったわ。こちとら病み上がりやぞ。こんなんやる気も失せるわ。


「あっ、それ私もやっていい?」


 上条先輩が素振りしながら近付いてくる。


「よくないに決まってますよね」


「そんなん当たり前っしょ!」


 ダメだって当たり前に分かってることをなんでやったんだ、あんたは。


「かすりんは昔から頭が固いかんね! たまには考えるより先に動いてみんさい!」


「私に言わせればきみの頭は柔らかすぎるよ。しかしそうだね。参考にしよう」


 さすがは幼馴染。仲直りの仕方は心得てるみたいだね。


 それにしても。便利な世の中になったもんだね。


 俺は天野さんからの謝罪DMに返事を送りながらつくづく思った。


「っ! いったっ!」


 背中に唐突な衝撃。振り返れば悪魔がいる。


「善は急げだ。早速だが参考にしてみた」


「……バカなの?」


 みんなが一斉に笑った。いや、笑えねーし。


 弛緩した空気の中、俺は背中をさすりながら美少女の先輩どもを睨み付ける。


 俺の背中は太鼓じゃねえし、ましてやあんたらの仲を直すマジックアイテムでもねえんだよ。


 覚悟しとけ。これは高く付くからな?

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