8/16 Tue. 今日は人の身――中編

 本日の開店待ちは20人ほど。いつもと同じくらい、もっと言うと連休明けにしては少ないってヅッキーが嬉しそうに教えてくれた。この人、給料さえ貰えれば会社の収支なんかどうでもいい系女子なんだね。


 イートインは開店直後に全席が埋まったものの、空いてるから座ってみたって感じのお客さんもいる。前回のスタートラッシュが壮絶だったから拍子抜けだわ。助かるって思うよりも8人も連れてきちゃったことに焦りを覚えるね。


 緊急時とはいえ赤字にはしたくないなぁ。とか思ってたらイートインの注文が入った。プリンって文字が見えたせいか、水谷さんの表情が少しだけ強張る。


 こっちで作るのはサンドイッチを3皿。さて、リーダーの采配は?


「3人で作って」


 ヅッキー、初手から職務放棄でございます。部下を持たせたら働かなくなる典型的なクソ上司タイプのようだ。乳袋を腕組みで支えるようにしながらふんぞり返ってるよ。小者感がほとばしってるね。


 まあいいけど。上司の指示には従うよ。


「じゃあやりますか」


 作るのはハムタマ2のツナタマ1。火を使うとこは俺がやるとして、優姫に玉子フィリングを作って貰うか。茹で卵はもうヅッキーの手によって作られてあったし、潰して味を調えてくれるだけでいいし。


「じゃあ耳をちょっきんしますかー」


 俺の意に反して優姫さんが食パンに殺意を向けてしまってる。それは今まで川辺さんの仕事だったから、我らの女神が挙動不審になっちゃってるよ。


「優姫、食パンは川辺さんの担当だから玉子をやってくれ」


 川辺さんは他にできることがないし。適材適所でいかんと効率が悪い。


「そうなんだ。あたしも食パンをよく担当するから勘違いしちゃった。ごめんね、みっきー」


 あー、土曜の朝は確かにこいつがトーストをやるな。


「こっちこそごめんだよ。できる仕事が少ないから」


 その川辺さんの申し訳なさそうな苦笑いに思うことがあったのか、


「じゃあ一緒に卵やろっか」


「え。わたしにもできる?」


 川辺さんの一人称がすっかり変わってしまったな。将来を思えば早く正した方が良かった要素ではあるけど、なぜかしら罪の意識を感じちゃうね。


「できるできる。できなかったら教えるし」


「……じゃあ、お願いします! 優姫先生!」


 なんと、優姫さんが生涯で一度も使われる予定のなかった言葉を浴びてしまった。顔がみるみるうちにどやどやしてくるね。


「あたしの教えは厳しいよ。ついてこられるかな!」


 ものを教えたこともないくせによく言う。


「がんばります!」


 そして巨乳バイト2名が茹で卵の殻を剥き始めた。巨乳上司がそれを見てうんうん頷いてる。そこに巨乳店長がやってきて、


「石附ちゃん、暇なら卵白でメレンゲ作ってよ」


「あっ、でも今日の私はこっちのリーダーで……」


「石附ちゃん、糸魚川がいなくて大変なの分かるよね」


「……作ります」


 巨乳の世界は厳しいね。よく考えるとこの中だと優姫が最小になるのか。5年続いてるバトル漫画くらいパワーバランスがインフレ傾向にあるな。


 とにかくツナフィリングだ。まずはツナ缶を開けて油分を取り除く。久保田の腹を保つための必需品でもあるから勿体なく感じるが、油野の仲間だと思えば気兼ねなく滅却できるから助かるな。


 フライパンを温める間にたまねぎをみじん切り。水にさらして放置したらフライパンにバターを投げる。溶けてきたらパン粉をどばっと。へらを使ってこんがり焼き焼き。良い感じになったらボウルに移して冷ます。


 見れば優姫が剥いた茹で卵を千切りにしてた。川辺さんが興味津々で凝視してる。


 たまねぎの水気を切り、ボウルにシュート。ついでにツナもシュート。マヨネーズも投入し、優姫がボウルに茹で卵とみりんを入れたからそっちにもマヨを搾る。すぐさま優姫が塩と胡椒を振って、混ぜてるこっちのボウルにも胡椒を軽く振ってきた。


「みっきー、あと混ぜるだけだからやってみる?」


「え? あっ、うん。やってみる」


 川辺さんが玉子とツナのボウルを交互に見てる。こっちも混ぜたいのかな。いや、味見をしたいのかな?


「あたし、食パンやっとくね」


 優姫が食パンの迫害を始めたくらいで俺がハムに火を入れた。あっ、一時避難用の皿を用意してないわ。って思ったらキッチンペーパーを敷いた皿を優姫が近くに置いてった。無事に避難完了。


 きゅうりを刻みながら川辺さんが混ぜてるボウルを確認してみる。


「そんくらいでいいよ」


 各具材を調理台に移し、それを見計らったように優姫が皿を並べた。


 さあ、サンドを始めよう。


 って感じでやってたら時間は過ぎていき、特に忙しさを感じることもなく14時を回った。今年の盆休みは13日から21日の長期にする企業が多いって聞いたけど、カレンダーで言えば平日だからかもね。昼時も平和なものだった。


 幸か不幸かリフィスのプリンはまだ半分以上も残ってる。水谷さんは作業速度の低さを懸念して作る手を止めなかったから、現状で水谷産なめらかバニラの在庫は100。3時のおやつをメタって追加するか悩ましいところだ。


 メンタルのケアも兼ねて水谷さんから休憩をとって貰うことになり、弥生さんの計らいで川辺さんと内炭さんもセットにした。


 そういや、川辺さんの誕生日会でも、プール掃除でも、ボウリング大会でも、七夕のタコパでも、リフィスの誕生日会でも、内炭さんと水谷さんがしゃべってる場面を目撃した覚えがないな。


 水谷さんのことだから酒臭さには気付いてるはず。かと言って警戒するほどの相手じゃないし。内炭さんに気遣って話し掛けるのをあえて避けてんのかな。


 弥生さんと長谷部さんご希望のロコモコ丼のハンバーグの種を捏ねながらあーだこーだと考えてたら、作業台に置きっぱにしてたスマホが通知音を鳴らした。


 リフィスからのLINEかもしれない。そう思って手を洗い、確認してみたら、


『休憩室の空気に耐えられないんだけど』


 内炭さんからのメッセージだった。今日の彼女らのお昼はエビ天丼の玉子とじ。女神みっきーが飽きもせずに申し付けてきた。


 ふむ。水谷さんと川辺さんが親友オーラ全開でずっとしゃべってるから疎外感を覚えてるってことかね。ぼっちめしは得意技なんだから我慢なさいよ。


『悪魔のいびりに屈することなかれ』


 勤務中に私的な用件を済ますのはよくないが、友達の心をケアするのは大事なことだ。胸中で弥生さんにお詫びを申し上げつつも送信してみる。


『逆よ。悪魔が重圧に屈しそうになってるの』


 思いのほか簡単に納得した。リフィスもそうだけど、あの師弟って想定外なことに対する精神的なバリアが脆弱すぎるよな。


 在庫が捌けなかったらどうしよう。プリン作りが間に合わなかったらどうしよう。お客さんに「いつもと味が違う」って言われたらどうしよう。その上で「質が落ちたな」って思われたらどうしよう。さらに「もう買いにこねーわ」ってツイートされたらどうしよう。どうしよう、どうしよう。ってなってんだろね。


 ならば俺が答えよう。


 どうにかしろ。できないなら帰れ。俺がどうにかするから。


 なんてね。そんなことを言ったらケンカになるわ。


 だから、そんなことを言わずにケンカを売ってしまおうか。


 今は何の注文も入ってないしな。入ってもヅッキーにやらせりゃいい。


 てな訳で現場の責任者に突撃してみる。


「弥生さん、1回だけプリンを作ってもいいですか?」


「ん? いいけど。上手く作れないんでしょ?」


「上手く作れませんよ。けど、上手くやります」


 一礼して久保田の元に向かう。心の友は口の端を僅かに上げた。


「碓氷。アレをやるんだな?」


「分かっちまうか。さすがは相棒だぜ」


 まず間違いなく分かってないと思うけどね。俺もアレってよく分からんし。


「腕が鳴るな」


 久保田が右腕をぐるぐる回す。鳴ってるの肩ですやん。5時間くらいずっとハンドミキサー使ってたもんね。肩も凝るよね。


「そんなら卵黄と砂糖を混ぜてよろしゅう」


「相わかった。しばし待たれよ」


 内炭さん不在なので久保田が手ずから卵を割った。余った卵白はメレンゲ製造機と化したヅッキーに配達する仕組みになってるが、


「それも後で使うから置いといてくれ」


「なんだと? アレまでやると言うのか」


「おうよ。アレだよアレ」


「……雑に返すくらいなら乗らなくてもええんやで」


 天パがいじけてしまったわ。ごめんて。


 とにかくプリンを作る。俺もレシピは知ってるし、水谷さんがメモをここに置きっぱなしにしてるしな。


 プリンの素を詰めたカップを蒸し器に投入して湯煎を始めたら、今度は卵白の入ったボウルでメレンゲを作ってくとしよう。


 オーブンを100度に設定して予熱を始めたらハンドミキサーでかき混ぜる。ちょいちょいグラニュー糖を入れてはまぜまぜ。プリンの火加減を気にしながら気分でレモン汁も入れてまぜまぜまぜ。良い感じになってきたら泡だて器に持ち替えて具合を確認してみる。いいね。


 メレンゲを絞り袋に入れて、どうしようかな。まあ文字とか図形とかテキトーにいくか。


「プリンじゃなかったの?」


 アートに目覚めてたら店長に見つかってしまったわ。優姫もやってきた。


「わたしにもやらせてよ」


「あたしもやりたい」


 共犯あざっす。久保田と長谷部さんもアートに興味がありそうだったからやらせてあげた。ヅッキーはもうメレンゲを見たくないって感じになってるからほっとく。


 オーブンにぶち込む前にプリンが出来上がった。かき氷じゃない方の氷水で粗熱をとる。それも時間が掛かるから先にメレンゲアートをオーブンに入れ、そろそろぬるくなってきたかなってとこでプリンを冷蔵庫に移動した。


「碓氷くんってレシピの幅が広いよね」


 弥生さんが調理で褒めてくれる時っておおよそリフィマへのスカウトに繋がるから喜びにくいんだよな。


「知識は広く浅くを心掛けてるんで」


 料理を極める気はないとはっきり申し上げておく。


 さて、料理に戻りますかね。その前にスマホを確認するか。ってなんだこれ。内炭さんからめっちゃメッセージが来とるわ。


『水谷さんが溜息をつきながら突っ伏しちゃったんだけど』


 ほっとけ。


『美月ちゃんも元気ないなぁ』


 エビ天がもう1本欲しかったとか?


『ちょっと上条先輩の様子を見てくるわね』


 気遣いと見せかけた逃避ですね、分かります。


『既読にならないんだけど……』


 仕方ないじゃん。仕事中なんだもん。


『注文が入って忙しいのかしら?』


 さーせん、アートに目覚めてみんなで遊んでました。


『受領品の片付けは終わったみたい。今は発注の内容を考えてるらしいわ』


 さすがは上条先輩。男どもはもうただの置物と化すね。


『あの、美月ちゃんが倉庫のほうに来て相談してきたんだけど』


 相談とな?


『碓氷くんと相山さんが言葉を交わさずに連携してるのがショックだったみたいで』


 え。


『わたしがいない方が作業が捗るのかなって落ち込んでる』


 マンパワーは多いに越したことはないでしょうに。


『フォローしとくわ』


 想定してない部分で川辺さんを傷付けちゃったんだな。あれは付き合いの長さによる以心伝心ってのもあるが、川辺さんが料理の知識を持ってないことも大きな原因だと思うんだよね。たぶん水谷さんも能力的に同じことができるし。


 困りながらもロコモコ丼を完成させ、弥生さん、長谷部さん、レジの奥谷おくやさんを休憩室に送る。休憩は1時間ずつずらして取る予定だったけど、客足が鈍いから夕方を見越して前倒しにしていこうという店長の計画だ。


 倉庫の3人にはもう賄いを出したからまだ食ってないのは俺と優姫と久保田にヅッキー、カウンター兼ホールの伊藤いとうさんと矢作やはぎさんか。ホールとキッチンは最低限の戦力を保持したいから次は久保田とヅッキーとホールのどっちかになるかな。


 俺と優姫が一緒に休憩をするとまた外野が喧しくなりそうだから久保田を後回しにしてもいいけど、こいつもう満腹度がピンチっぽいもん。ほっとくとキッチンにある素材を食い始めそうだもん。肩もかなり疲れてるっぽいしさ。


 おっと、またスマホが鳴ったよ。内炭さんもコミュ力あがりましたね。


 って思ったらリフィスだ。LINEの内容は業務連絡に等しい。


『父の手術は成功しましたが、急変の可能性がありとのことで本日中の帰還は困難かと思います。病院と母の話によると容態を診ながら意識が回復するのを待ち、その後に各種検査を行って、入院を続けるか自宅療養をするか決めるそうです』


 ホッとしていいのかいまいち分からんな。医療系のドラマなら高確率で悪い流れになるシチュエーションに思えるし。


 あまり考えたくないことだが、もしものことを考慮すると最後まで付き合わせたいと思うんだよな。それで言うと本日の帰還なんてもってのほかだ。愛知に戻った矢先に急変なんかしたら後悔してもしきれないと思う。


 交通事故の発生件数は年間で約30万。死者は2600人にのぼる。


 不謹慎だが、日割り計算で毎日7人が亡くなってる。リフィスの父親がそれに該当しないとも限らない。もっと言えば俺が明日そうなる可能性だってある。


 今日は人の身の上ってやつだ。続く言葉は、明日は我が身の上になる訳だが、リフィスはいま何を思ってるんだろうね。


 俺はさ。ちょっとだけ思っちゃったよ。


 もしも明日は我が身に災いが降り掛かるのだとすれば。


 せめて。この胸に秘めた想いくらいは、伝えておきたいかなってね。


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