7/17 Sun. 天邪鬼

 特に用事がなかったから1日だらっと過ごして22時を回る頃、大事なことに気付いてしまった。


 明日は7月18日。第3月曜だ。ハッピーマンデー制度とかいうやつのお陰で休日なのである。海の日だね。当然、知ってたよ。明日が休みってことはな。


 大事なことってのは本来なら月曜に販売される週刊誌が土曜の時点でもう売られてるってことだ。最悪、もう売り切れてしまってる可能性すらある。


 と言っても買わないんだけどさ。コミックス派だし。そもそも目当ての雑誌だと2種類くらいしか読んでないし。3分くらいコンビニで立ち読みすれば充分だ。


 という訳で最寄りのコンビニにやって参りました。まあ、取り越し苦労だったね。普通に10冊以上も余ってるわ。


 ここのコンビニにいる夜勤のバイトはレジにさえ行かなければ「しゃっせー」の呪文しか唱えない。何も買わずに出たらまた来いよ的なことを言わない実に合理的なバイトなんだ。実に俺好みの人だね。


 では、読書タイムといきましょうか。


 俺は目次を見ずにパラパラめくって目当ての漫画を探す派だ。やりすぎてたまに重大なネタバレをくらう時もあるが、その場合は過程を楽しめばいいだけだしな。


 どっこかなーってパラパラしてたら、がしっと、これで何回目だよっていう肩の束縛を受けた。油野家から徒歩5分くらいだし、宿理先輩かね。


「おひさし」


 振り返り、顔を見た瞬間にノールックで雑誌を返して走り去ることにした。が、相手はそれを見透かして瞬時に背後から抱き付いてきた。


「動くな。さもなくば大声で痴漢って叫ぶぞ」


 銃口を突き付けられるより恐い状況だね。女子に抱き付かれてるのに悪い意味でどきどきしちゃうよ。って思ってたら放してくれた。彼女は俺の正面に回り込んで、


「なんて冗談に決まってるじゃん。そう怯えないでよ」


 そう言って怜悧に微笑むのはパンドラの箱と名高い上条飛白先輩だ。この人の口からは災いしか出てこない。心の底を覗いたとしても希望なんかありはしないんだ。


 こんな時間なのにセーラー服を着てる。塾の帰りなのかな。手ぶらだけど。


「ところで何を読んでいたのかな? エロいやつ?」


 仮にそうだとしてもYESって言える訳がないよね。本当に違うけどさ。


「ただの冒険ものです」


「ほう。冒険に憧れているのかい?」


「ないです。他人が四苦八苦してるとこを見るのが好きなだけです」


「なんてやつだ」


 上条先輩は肩を竦めて首を左右に振った。やれやれって感じだね。


「私と一緒じゃないか」


 ですよね。俺が四苦八苦してるとこを見るのが好きですもんね。


「ところで碓氷少年。名案を思い付いたんだけど、聞いてくれるかな?」


「聞くだけなら」


「私がきみを苦しめ、きみが私に反撃をし、私がそれに報復をしてって繰り返したら幸福の無限ループに入るのではないかな?」


 サイコパスかよ。


「何はともあれせっかくの再会だ。イートインコーナーでしゃべらんかね?」


 断りたい。けど断ったら四苦八苦させに来るに決まってる。


「もう補導されてもおかしくない時間ですけど大丈夫ですか?」


「汝、補導されそうになったら私がそいつに抱き付くからすぐに写真を撮りなさい。さすれば道は開かれん」


 こういう女子高生って立場を武器にする女子ってまじで恐いよね。


「軽食と飲み物を買ってくるけど少年は何か要るかい?」


「俺が出しますよ」


「生意気を言いなさんな。ここはお姉さんに任せなさい」


「先輩に1円でも出して貰うと後が恐いんですよ」


「えー? 出しても出さなくても結果は同じなのに?」


 おいこらやめろ。


「じゃあせっかくだから少年に出して貰いましょうか。女って得だね」


 めっちゃ損した気分だわ。同じ結果なら1円すら支出したくなかったよ。


 上条先輩はパックのミルクティーとドーナツ1個だけを求めてきた。この辺はまともな感覚を持ってんだよな。宿理先輩なら金を持ってるくせに持ち帰り用のスイーツまでねだってきそうなもんだ。


 俺もパックのミルクティーを買い、人気のないイートインコーナーに移動する。上条先輩は席につくなり、


「私と同じものを選ぶだなんて。モテる女はつらいね」


「先輩、モテないでしょ」


 その性格だし。


「いやいや。塾みたいな黙々と何かをしてるとこだとかなりモテる」


 納得。黙ってればモテるかも。顔は良いからね。顔は。


「ところで先輩はその塾の帰りですか?」


「今度は探りを入れようと言うのか。モテる女はつらいね」


 もしかして。これって認めるまで繰り返してくるのかな。


「少年は幸せだね。こんな遅くにモテる女とお茶できるなんて」


 ぐっ。認めたくねえ。けどやっぱ認めなかったらこれの繰り返しっぽい。どうしようか。ここは無難に間を取っていくか?


「先輩がモテるかは置いといて。久しぶりに話せて嬉しいですよ」


「一目散に逃げようとしておいてそれは無理があるのでは?」


 そうだったわ。初手からもうやらかしてたんだった。よし、ゴリ押しするぜ。


「美人と話す時はどうしても人目が気になっちゃうんですよね。それでつい反射的に先輩から距離を取る行動に出ただけですよ」


「要するに、私がモテる女だからこその過剰反応だったと?」


「モテるとか関係ないです。美人なら誰でもそうです」


 もういいわ。絶対に認めてやらん。俺の持つすべての論理を駆使してやる。


「先輩もご存じだと思いますが、宿理先輩とかの件で割と痛い目に遭ってるので」


「ふむ。でも少年は宿理相手に逃げたりはしないよね。美人なら思わず逃げるというのなら辻褄が合わないよ?」


「逃げますよ。少し前に学校でさっきの先輩みたいに背後から肩を掴まれたことがありますが、逃げようとしたら社会的に殺すぞって脅されたので従いました」


「へぇ。宿理にもそんなダークな一面があるんだね。本人に確認してもいい?」


 先輩が挑戦的な瞳を向けてくる。どうせ嘘だろって目だね。


「構わないですよ。技術科棟の渡り廊下でのことです」


 あえて視線を合わせてやる。これは事実だ。退く理由がない。


 これで『碓氷は美人と遭遇したら逃げる』という論理が成立する。お陰で今後も上条先輩から逃げやすくなるな。棚から牡丹餅ってやつだ。


 宿理先輩や水谷さんと遭遇した時も面倒に思ったらこれを利用しようかね。用事がある時は背後から肩を掴むんじゃなくて事前にアポを取るように徹底させよう。


「少年も甘いねぇ」


 だが先輩は笑った。若輩者の浅慮を嘲るかのように。


 なんだ? 俺の論理に矛盾があるか? ないよな。先輩が美人だから俺は逃げた。宿理先輩の時と同じで俺を痴漢に仕立て上げて社会的に殺そうとしてきたから仕方なく逃げるのやめた。けど先輩と話せるのは嬉しいから今も話してる。別に先輩がモテるからじゃない。そこは関係ないって主張を押し通そうとしてるだけだ。


 10秒。20秒と見つめ合って、不意に気付いた。おいおい。この手は卑怯だろ。


 目を逸らしたな。疑わしいぞっていう古典的な論理だ。


 古典ってのはそれだけで説得力がある。特に今回のは小学生でも知ってそうな、いわゆる常識に近いものだ。これは非常にまずい。後ろめたいことがあるから目を逸らしたんでしょ? って言われたらどんな論理を返しても言い訳とされてしまう。


 どうしてこうなった。唐突に上条先輩との睨めっこが始まってしまったわ。


 もうすぐ23時。夜中のコンビニで何をやってんだろね。


 それにしても本当に美人だな。肩甲骨くらいまで伸びたサラっとした髪。宿理先輩のように瞳が大きい訳じゃないが、人の心を引き込む力を宿した切れ長の目。鼻筋は通っていて、禍の門も玉唇と言って差し支えがない。


 これだけ整ってたら心の方がちょっと残念でもお釣りは来るよな。俺も先輩ほどじゃないにしても性格がちょっとアレな方だから不公平を感じちゃうね。


 1分経過。


 えっ。これ本当にこのまま見つめ続けるの? 何の生産性もなくない?


 3分経過。


 いや、生産性はなくてもこの無駄すぎる時間を支払うことで後々に利益を享受できる。これは未来への投資だ。初志貫徹でいこう。


 5分経過。


 女子とこんなに見つめ合うのって初めてだな。てかどきどきしてきた。黙ってる上条先輩って笑ってる宿理先輩くらい魅力的だもんな。


 7分経過。


 あれ。もしかして俺って顔が赤くなってね? なんか暑いんだけど。えっ、意識しちゃってる? 俺、上条先輩なんかを意識し始めちゃってる? やばい。それはリスクにリターンが見合ってない。今からでも降参すべきか? いや、けどもう支払った分の時間は帰ってこない。もう少しで先輩の方が降参するかもしれんし、ここで損切りをするのはさすがにもったいないだろ。


 10分経過。


 観自在菩薩行。深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身。意無色声香味触法。


 15分経過。


「分かった。信じよう。碓氷少年は美人と出会うと反射的に距離を取るんだね」


 勝った。危うく悟りを開くところだった。内炭さん、俺、やりとげたよ!


「仕方ないね。今日のところは痛み分けとしようか」


「……は? 俺の勝ちですよね?」


 ここはさすがに譲れない。断固として俺の勝利を認めて貰う。


 先輩はフッと口元を緩めた。あれ。なんかその仕草にどきっとしたぞ。


「人は4秒以上見つめ合うと心理的にお互いがお互いを避けていない、受け入れ合っていると認識する。そして私達はその225倍もの時間でお互いを認め合った」


 先輩がスカートのポケットから折り畳み型の手鏡を取り出し、パカッと開いて俺の方に向けてきた。そこに映し出されたのはゆでだこのように真っ赤な間抜け面だ。

 

「碓氷少年。きみはおそらく今後のために『碓氷は美人と出会うと逃げだす』という公然の論理を得ようとした。その上で『上条飛白はモテない』という主張までも押し通そうとしたね。これらの一方に尽力を注がれていたら私の敗北だったが、私を相手に一挙両得を狙おうなんざ5年は早い」


 唖然としてる間にパシャリと写真を撮られてしまった。


「どうだい? この15分の間で飛白お姉さんの魅力を存分に理解したよね?」


 先輩がいま撮ったばかりの写真を見せ付けてくる。これは完全に黒歴史だな。


「こんな顔をしといて。まさかまだ私を『美人だけどモテない人』と言うのかな?」


 言えないな。まったくもって説得力がない。てか言ったら写真を拡散される。


「上条先輩は美人でモテるとても素敵な女性です」


「よろしい」


 先輩は満足げに言うとドーナツを食べ始めた。


「もうすぐ寝る時間なのにそんなものを食べて大丈夫なんですか」


 せめて一矢を報いてやろうと思っての一言。


「私より自分の心配をしたらどうだい?」


 俺はミルクティーだけだ。そもそも体重とか気にしないタイプだし。


「少年は甘いねぇ」


 先輩はミルクティーをストローで吸い、蠱惑的に微笑んだ。


「もうすぐ寝る時間なのに。こんなひと時を過ごしたら。夢でも会ってしまうよ?」


 残念ながら、その言葉は予言としか言いようがなく、俺は夢の世界でもこの悪魔と見つめ合うことになった。


 やっぱこの人と出会ったら躊躇なく逃げるコマンドを選択しよう。

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