7/16 Sat. 嫁(仮)VS 彼女(仮)

 よくよく考えてみると休みの日になんで早起きをしないといかんのかねぇ。早起きって言っても8時だけど。


 今日は第3土曜だから優姫が不法侵入を働く日だ。朝から好きな人に会えるのが嬉しいやら、狂ったママゴトに付き合わされるのが憂鬱やらで心が不安定だが、とりあえず洗顔などを済ましてダイニングに行ってみる。


 あれ。優姫さんが神妙な顔付きで食卓椅子に座ってらっしゃる。専業主婦の設定なのに家事を放棄してんじゃないよ。


 いや、主婦も大変だしな。専業だからってなんでもかんでも押し付けるのもよくない。今日はゆっくりして貰うか。ぶっちゃけ俺の方が調理スキルが高いしな。適材適所ってことで。


 まずは食材のチェックだ。俺は冷蔵庫に向かって、


「そこに座って!」


 なんか怒鳴られましたよ。こういうのってやる気がなくなるよね。せっかく労ろうとしたのにさ。


 溜め息を噛み殺しながら優姫の向かいに座る。


「あたしに何か言うことがあるよね」


 なんだろ。


「化粧品を変えた?」


「あっ。分かる? お姉ちゃんに貰って。って違う!」


 朝からノリツッコミとか元気すぎでしょ。


「気付かれてないとでも思ってるの?」


 ふむ。隠し事って意味ならいくらでもあるから心当たりが多すぎて正解を引き当てるのは難しいな。本命は川辺さんの誕生日会。対抗でリフィマでのバイト。大穴で俺の保有する油野の画像のすべてを内炭さんに開示したことか。


「あなた! 浮気してるでしょ!」


 おっと。知らんやつだったわ。そんなん事実無根だから隠しようもねえわ。


「してないけど」


「浮気してる男はみんなそう言うもん!」


 してない男もみんなそう言うだろ。何がしたいんだよ、こいつ。


「あたしに隠れて女と会ってるでしょ!?」


 誰のことだよ。なんかイライラしてきたな。腹も減ってるし。


 俺がこういう埒の明かない会話を嫌ってるって分かってるはずなんだけどなぁ。これがただのロールプレイの延長だったら普通に怒るぞ。


 久保田が言うに、俺の機嫌は目を見れば分かるらしい。デフォで悪い目つきがさらに悪くなるとのことで、それを目の当たりにした優姫は水族館の水槽かってくらい目を泳がせ始めた。俺はそのまま無言の圧を掛けていく。


 1分くらいそうしてたら優姫は俯いてしまい、絞り出すかのように言った。


「……前に言ってた彼女の話を聞きたくて」


 あぁ、紀紗ちゃんのことか。俺(油野)が優姫(嫁)に隠れて交際してたってことね。それならこんな鬱陶しい方法を取らずに直で聞けや。


「もう別れてるぞ」


「……へ?」


「男に付きまとわれて困ってるから一時的に付き合って欲しいって話だった」


「彼氏のフリをしたってこと?」


「いや、本当に付き合った。嘘を吐くのが嫌いみたいだから」


「そうなんだ」


「とりまメシにするぞ」


「はーい。トーストは任せて!」


「マーガリンを先に塗ってオーブントースターな」


「えー。サクっとした食感の方が美味しくない?」


「別々にすりゃいいだろ。面倒なら自分でやるわ」


「もう。怒らないでよ。やりますよーだ」


 結局は優姫もオーブントースターの方にした。女心は分からんね。


 兎にも角にも朝食を終え、今日はどうしようかなって思ったところでLINEが来た。返事を打ってたら優姫は優姫でスマホをいじって、


「夏休みってもう予定が入ってる?」


 気が早いなって思ったが、終業式は20日だからそうでもないのか。優姫はすべての科目で無事に赤点を回避できたから若干浮かれてる感じもありそうだが。


「少しはな。内炭さんと七夕祭りか岡崎の花火大会に行くとか」


「え。デート?」


「友達と一緒に行ったことがないんだってさ」


「……あぁ。思い出作りの方ね」


 あっさり納得されるのもどうかと思うけどね。内炭さん、友達が少ないってイメージが強すぎるからしょうがないけど。


「優姫も来るか?」


「んー、朱里ちゃんが浴衣を着てくるなら行かない」


「よく分からん条件分岐だな」


「女子はね。1人でも浴衣がいると自分も浴衣にしないと負けた気分になるの。でもあたしは新しめの浴衣を持ってないからね」


 浴衣にも流行があるってことか。女子の世界は厳しいね。


「それだけしか予定はないの?」


「何回かはバイトに行くと思う」


「えっ。アルバイトするの? どんな?」


 内炭さんの件と比べて随分と食い付きがいいな。


「厨房だな。先週の土曜も5時間くらいやってきた」


「……最近のカドくんってあたしに隠し事が多くない?」


「どうだろな。知り合いの店なんだけど、遊びに行ったら調理担当が体調不良で休みだったから手伝ったってお話。久保田とか内炭さんも巻き添えにして働いた」


「あたし、誘われてないんだけど」


 むすっとしてる。そんなことを言われましてもね。


「巨乳枠は川辺さんで埋まってたけど、それでも来たかった?」


 優姫の眉間にしわが寄った。事実上の敗北宣言である。


「行くか行かないかは別として、誘われないのが嫌なの」


「来ないと分かってるやつをわざわざ誘うのが嫌なんだが」


 合理的じゃないからね。


「まあ、次は23日に行くことになってるけど、優姫も来るか?」


「川辺さんは来ない?」


「聞いてみないと分からん」


「ならあたしも分かんないや」


 優姫曰く、巨乳は1パーティーに1人まで。男の視線を奪えるのは最も魅力的な巨乳女子となるため、二番手は相対的に貧乳の気持ちを味わわされるらしい。


 プライドがお高いですなぁ。って呆れたタイミングでインターホンが鳴った。


「こんな時間に珍しいね。宅配便?」


「いや、来客」


 俺が席を立ったら優姫も立ち上がった。


「人が来るなら言ってよ。知ってたらもっとおしゃれしたのに」


「ついさっきLINEで言われたんだよ」


「近場の人? 久保田くん?」


 そう思うのも無理はない。だって俺の今の格好って白Tにハーフパンツのだらしない格好だしな。寝ぐせも直してないし。


 待たせるのも悪いから玄関に行く。なぜか優姫も付いてきた。見られたくないんじゃないのかよ。もう朝メシも食ったんだからどっかに隠れて隙を見て帰れよ。


 とにかく開錠してドアを開ける。そこにいたのはパーカーにデニムというシンプルな格好をした中学生だ。ここまでかぶってきたらしいダークブルーのバケットハットを右手で持ってる。


「おはよ、おかみさん」


 紀紗ちゃんは感情の薄い瞳を俺の髪に向けてる。アホ毛みたいな寝ぐせがあるからね。今日の俺のチャームポイントだと思って存分に見るがいいさ。


「おはよ、とりあえず入って」


 招き入れたら施錠し、反転したら優姫が金魚みたいに口をぱくぱくさせてた。


 一方の紀紗ちゃんは優姫の胸部をガン見してる。油野一族は総じて平たいから何か思うことでもあるのかねぇ。


「面識ってあるんだっけか」


 念のための確認。優姫の方は好きな人の妹だから知ってるはずだが、紀紗ちゃんはどうだか分からない。同じ中学だし、1年差だし、もしかしたらって程度だな。


「初見」


 ニコ生の挨拶みたいになっちゃったよ。


「えっ、カドくんと仲が良いの? 聞いてないんだけど」


 優姫が俺と紀紗ちゃんを交互に見ながら驚いてる。


「元カノ」


 紀紗ちゃんの答え方が淡々としすぎてて優姫が小首を傾げてしまった。補足してやるか。


「例の付き合ってた相手」


「……えっ」


 再び俺らを交互に見遣る優姫。


「よく相手が納得したね」


 ほう。釣り合ってないって言いたい訳だね。異論はないぜ!


「してなかったぞ。けど付き合ってるって事実は無視できんしな」


「まあ、たしかに」


「ともあれ立ち話もなんだから上がってくれ。優姫は帰るか?」


「んー、暇だし、邪魔じゃなければ残ってよっかな」


「ならダイニングに戻りますか」


 俺はさっきと同じでオトンの席に座り、優姫はその正面、本来の俺の席に座った。これもさっきと同じだ。そして紀紗ちゃんは迷うことなく俺の隣、オカンの席を選択する。その行いに優姫はどこか納得のいかない顔だ。


「こういう時って女子と男子で別れて座るものじゃない?」


 こいつ、内炭さんとの時もそうだったけど席順への拘りがハンパないな。


「知らない人より知ってる人」


「その考えも分かるよ。分かるけどさ。一般論で言うと」


「どうでもいい」


「……でも」


「どうでもいい」


 紀紗ちゃんって発言の文字数が少ないし、兄に似て不愛想なとこがあるから怒ってるように見えるんだよな。早くも優姫の心が折れそうだわ。


「おかみさん」


「あー、ちょっと待ってね」


 冷蔵庫まで移動して、昨晩に作ったティラミスを取り出す。高木さんの呪いでよく眠れなかったから余ってた材料で作ったんだよ。


 川辺さんの時に使ったおしゃれグラスはそのまま誕生日プレゼントとして差し上げたから、今回は普通のガラス皿とデザートスプーン、盛り付け用の大きなスプーンも持って席に戻る。


 何やら宿理先輩と油野が油野家の食事中にこのティラミスの話をしたそうで、さっきのLINEは食べてみたいって内容だった。それで冷蔵庫にあるって伝えたら今から来るってとんとん拍子で話が進んで、今の状況となってる。


 まだ9時を過ぎたくらいだし、この時間からティラミスは重くないかね。


「おぉ」


 気にしないようだ。一応はホストの俺が皿に分けてあげるが、ここでもまたケチが付く。


「あたしのお皿は?」


 あなたはさっき朝ごはんをモリモリ食べたでしょうが。


「自分で取ってこい」


「なんであたしだけセルフサービスなの?」


「いつもそうだろ」


「公平な対応をお願いします」


 こいつ、帰ってくれないかな。


「おいしい」


 紀紗ちゃんは超マイペースだし。


「お皿!」


「分かったよ」


 そもそもお前の方が戸棚に近いじゃねえか。こういうのを経験すると恋愛対象にすることはできても、結婚をしたいとは思えんくなってくるんだよな。


 紀紗ちゃんと同じガラス皿とデザートスプーンを優姫の前に置いてやる。


「盛り付けて!」


 要介護かよ。てか紀紗ちゃんに対抗しすぎだろ。あっちは何とも思ってないぞ。


「おかわり」


「先に盛り付けて!」


「先におかわり」


 カオスだな。盛り付け用のスプーンがあるんだから自分でやればいいじゃんよ。


「優姫」


「なに?」


「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」


「あたしは妹だから!」


「わたしも妹」


 そういうことを言ってんじゃねえよ。


「紀紗ちゃんってもう誕生日きてる?」


「12月」


「つまり14歳。優姫は15歳。優姫の方がお姉ちゃんだな」


「異議あり!」


 それを聞く意義がねえよ。


「あたしは3月生まれ! この子が12月生まれなら実質的に同い年でしょ!」


「はい、紀紗ちゃん」


「ありがと」


「なんでおかわりを先にしちゃってるの!」


「優姫さんの異議申し立ては棄却されました」


「なんで!?」


 順番とかどうでもいいじゃん。ほらよ。


「わーい、ティラミスだー」


 やっと大人しくなったな。チョロすぎて心配になってくるが。


「わっ、これ、濃厚だね。すごく美味しい。カドくんが作ったの?」


「なんか寝れなくて夜中にね」


 へーって笑顔でテキトーな相槌を返す優姫さん。そこに紀紗ちゃんが、


「誕生日ケーキって聞いた」


 不要な一言をくれやがった。


「カドくん」


 既に優姫の目が笑ってない。


「どこの女? またあたしに黙ってそういうことしてるの?」


 なんで女性って断定すんだよ。女性だけどさ。


「カドくんに誕生日ケーキを作って貰えるのは幼馴染のあたしだけでしょ?」


「あぁ、ジェノワーズにイチゴを雑に寝かした時短ケーキな」


「それはダメって言ったでしょ!」


 しゃべってばっかの優姫に反して紀紗ちゃんはガラス皿を平らにした。


「わたしも食べたい」


「誕生日ケーキ?」


「そう。21日。クリスマスもケーキ欲しい」


 強欲だね。


「だめ! 幼馴染の特権って言ってるでしょ!」


 ある意味で紀紗ちゃんも幼馴染なんだけどなぁ。


「元カノの特権。元カノの方が幼馴染より上」


「元カノって言っても演技みたいなもんじゃん! それを言ったらあたしなんてカドくんのお嫁さんなんだから!」


 俺(油野)の嫁な。ちなみにそれでいくと優姫は紀紗ちゃんの義理の姉になる訳だし、お姉ちゃんなんだから我慢しなさいの流れになるって分かってるのかねぇ。


「? 15歳は結婚できない」


「ママゴトの延長みたいなもんだよ」


 俺が補足したら紀紗ちゃんが鼻で笑った。優姫さん、顔が真っ赤だよ。

 

「カドくん!」


「なんすか」


「あたしと付き合って!」


 えぇ。そういう願望を夢見たことも確かにあるけどさ。これはないわ。


「すぐに別れてあげるから!」


 余計にないわ。俺に何のメリットがあるんだよ。


「元カノの称号をあたしにもちょうだい!」


「じゃあわたしは今カノになる。おかみさん、付き合って」


 ちょっとー、碓氷くんの男心を弄びすぎじゃない? 泣くよ?


「油野チャンとカドくんじゃ釣り合わないよ!」


 そうっすね。


「不服なの?」


 逆だよ。


「おかみさんとあなたは釣り合うの?」


「ていうかおかみさんってなに!」


 今さらかよ。


「あだ名だと思ってくれ」


 そう、って呟いて優姫は膨らみを持ち上げるように腕を組んだ。しばし黙り込み、


「あたしとカドくんって普通に釣り合うよね?」


 あらやだ。そう言われるとちょっと嬉しい。


「釣り合わない」


 紀紗ちゃんが酷いことを言う。優姫もふくれっ面になった。


「おかみさんは大人。あなたは子供。あなたがただ甘えてるだけ」


 核心を突かれすぎて反論が難しいな。てかもう食べないならティラミスを冷蔵庫に戻したいんだが。


「おかわり」


 スクエア皿を持ち上げようとしたら紀紗ちゃんからストップが入った。


「だめ! もう半分くらい食べたでしょ! 残りはあたしの分!」


 優姫からもストップが入った。収拾が付かんな、これ。


「はい、紀紗ちゃん」


「ありがと」


「だから! なんでその子を優先するの!」


「お前はまだ食い終わってないじゃん」 


「早い者勝ち」


 紀紗ちゃんはティラミスを一口頬張り、


「恋愛も。スイーツも。早い者勝ちだよ」


 それはちょっと考えさせられる言葉だね。優姫も一転して真剣な表情になった。


「お互い。後悔しないようにね」


 お互いってのがどの組み合わせのことを言ってるのかは分からないが、なんだか妙に心の中に染み渡った。


 もし仮に。俺がいま優姫に告白したら。こいつはどう応じるんだろね。


 いや、これは買う気のない宝くじに思いを馳せるのと同じだ。実にくだらない。


 論理的じゃない。そう思うのに、なんだか優姫から目を離すことができなかった。


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