7/9 Sat. リフィスマーチ――後編

 店頭の行列が無くなったのは16時を過ぎたくらいだった。15時を過ぎたくらいからはイートインスペースを利用する客の大半がスイーツしか頼まなかったこともあり、俺は川辺さんと共にケーキの仕上げ作業に移った。弥生さんは「碓氷くんになら任せられる」と言って長谷部さんとの30分休憩中も生クリームを塗りたくる作業をさせてくれたが、スポンジケーキの製作の方は許可をくれなかった。


 まあ、店の味だからな。チーズケーキを食った時にクオリティの高さに驚いたのも事実だし、スキルポイントをケーキと焼き菓子に全振りってリフィスの例えもあながち間違いじゃない。やっぱ理想のビルドは2極なんだよな。リフィスや俺みたいなのは確かにオールラウンダーって感じだけど、器用貧乏って言葉もある訳で。


 大抵のものが売り切れてしまったから今日は18時で閉めるそうだ。と言っても弥生さんと長谷部さんは21時までスポンジケーキを大量生産するらしい。こんなことは店舗を立ち上げた直後以来の快挙だってリフィスが言ってた。


 偏にヤドリンエフェクトの恩恵だけどね。だって後で調べたらリフィスマーチがトレンドに上がってたもん。最初に呟いた人のツイートですら3000いいねが、宿理先輩がOKを出してコックコート姿のやどりんをアップした人に至っては12000ものいいねが付いてる。そのうちファンの間で聖地になりそうだ。


「お疲れ様でした。本当に助かりましたよ」


 時刻は16時45分。後は本来のスタッフで充分ってことで俺らはもう着替えを終えてる。休憩室で各々が最初と同じ席に座ってのことだ。


「それでは報酬の支払いです」


 リフィスが白い封筒を1人ずつ手渡していく。労働は約5時間。ケーキを出して貰って、賄いも食べて、喉が渇いたらソフトドリンクも紅茶も飲み放題のドリンクバー状態だった。しかも我々はド素人。今の愛知県の最低賃金って955円だっけか。店長の弥生さんと副店長らしいリフィスの裁量がどれほどかは知らんが、2人ともバイト代は弾むって言ってたし、2割増しの六千円くらいは期待してもいいのかね。


「ご確認を。お金を入れたのが弥生なので間違ってる可能性がありますし」


 この場で確認するのは失礼かなって思ってたが、頼まれたなら仕方ない。リフィスのことだからそわそわしてる俺らに配慮して店長をディスったとも考えられるが。


 封筒を開け、真っ先に五千円札が見えた。紙幣は2枚だから予想通りだな。これで来月のラノベを買うのに抵抗がなくなる。


 助かるわーって思いながら紙幣を取り出し――福沢諭吉と目が合った。


「は?」


 俺は思わず周囲を見回した。久保田と内炭さんの顔にも動揺が窺える。宿理先輩は封筒の中身よりリフィスの顔が気になるようで確認をしておらず、川辺さんは、


「せんせー、美月のお給料、弥生ちゃんが間違えてないかなー?」


 福沢諭吉と樋口一葉を見せての問い合わせ。俺らと一緒だね。


「合ってます」


 リフィスはアルカイックスマイルをやや深めて、


「時給二千の5時間に交通費一千。諸経費で四千の計一万五千円です。能力的にサラを、集客的に宿理をもっと増やそうと弥生は言っていましたが、サラは美月のサポートがあってこそ、宿理は内炭さんとクボの協力がなければ表に出ることはできませんでした。なので一律の数字にしてしまいましたが、いかがです?」


 いかがも何も、俺らは全員が川辺さんと同じで「多すぎる」と判断してた。ケチを付けられるとしたら宿理先輩くらいだろ。きっと1回の撮影でもっと貰ってるに違いないからな。その彼女がお金に頓着を見せてないんだから文句の出ようもない。


 しかし気になる点はある。


「リフィスマーチとしてはこれだけ払って大丈夫なのか?」


「大丈夫どころか真っ黒ですね。特に今日の回転率は異常でしたので、計算しなくても立ち上げ以来の最高売上額だと誰もが理解しています」


 ふむ。メニューのカルボナーラ980円ってのを見た時に利益率がヤバそうだなって思ってはいたが、言われてみれば俺が作った料理の上がりだけで3人分の給料くらいは稼いでそうだもんな。だからって相場の3倍近くを払うのはどうかと思うが。


「シュークリームの試食会は残念ながらお預けとなりましたが、お詫びにシュークリームの詰め合わせをお土産にお渡ししますね」


 おおぅ。本来の目的を忘れてた。って思ったタイミングで気付いた。今回のアルバイトって実はリフィスにとって二重の意味で好都合だったのかもしれないな。


 やつの本命は『違和感を与えずに抹茶のシュークリームを川辺さんに食べさせないこと』だった可能性がある。俺の罪悪感を払拭することも視野に入れてたのなら三重の意味か。今回もまた見事に踊らされたみたいですね。


「帰りはお好きなタイミングでカウンターの方からどうぞ。その時にシュークリームをお渡しします。まだゆっくりしたければそれでも構いませんので、それもまた遠慮なさらずに。本日は本当にありがとうございました」


 リフィスは恭しく一礼して、俺の方を見た。


「ところでサラ」


「なんざんしょ」


「弥生が夜食を作って欲しいと言ってました。お金を払うので頼みたいと」


「金はもう充分すぎるくらい貰ったし、別に作るのは構わんけど、またコックコートを着るのが億劫だなぁ」


「そのままで構いませんよ。冬場の弥生は夕方くらいからヒーターベストを着て厨房に立ってますし」


「自由すぎるね」


「暖房を強めると素材が劣化するからダメとか言ってましたね」


「それは論理的だな」


 という訳で俺はリクエストを聞くために弥生さんの元に行った。他の連中は休憩室で本日の感想を語り合うそうだ。


「お昼がハンバーグだったからお魚か鶏肉かお野菜をメインにしたものがいいかな」


 私服で厨房を訪れた俺に弥生さんは苦言を呈さなかった。ただ、作業してるテーブルにはあまり近付かないで欲しいとのことだ。

 

「あー、でも食べるのって4時間後くらいになるから温め直しても美味しいものって括りの方が助かるかも」


「ならレンジで温めることで完成するやつにします?」


「ん? どういうこと?」


「完成させたものが冷めて、また温め直すと香りや風味が落ちますよね」


「そりゃあね。温め直したスープは不味いって諺がイタリアにあるし」


 それって、後先を考えずに感情だけで友人や恋人との不仲を解決してもまたすぐに上手くいかなくなるって意味のやつだよね。まあいいか。


「なのでレンジでの過熱が仕上げになる料理なら美味しさが保証されるかなと」


「……やはり天才?」


「俺のオカンもやってますし、部活でそれを研究してる子もいますよ」


「研究? 何の部活?」


「料理研究会です。内炭さんも入ってます」


 俺は冷蔵庫の食材を頭の中に浮かべて、


「魚なら白身魚フライ用のタラを使ってアクアパッツァ。鶏肉ならチキンステーキ用なのかな? もも肉のブロックが入ってたから蒸し鶏とか。野菜ならアラビアータ用のナスで麺つゆ蒸しとか。お酒を飲むならそのナスでなめろうっぽいのを作るのもいいですね。あれは冷えても美味しいですし、他に」


「ストップストップ。よだれ出ちゃう」


 想像してるのか知らんが、長谷部さんも手を止めて上の方を見てる。


「もも肉のブロックはたぶん石附ちゃんが賄い用で買ったやつだと思うからやめとこうかな。長谷部ちゃん、アクアパッツァとナスどっちがいい?」


「……迷いますね」


「迷うなら両方とも作ればいいってのが俺のスタンスです」


「ぐっ。糸魚川みたいに心を揺さぶってくるのが上手ね」


 まあ弟子みたいなもんだからね。


「じゃあ今日は記念日みたいなもんだし、パーっといっちゃう?」


「そうですね!」


「じゃあアクアパッツァとナスのセットで。レンジの時間とかを書いたり準備したりするのに時間が掛かるんで先に帰ってくれって友達に言ってきますわ」


「ありがと」


「ありがとうございます!」


 休憩室に戻ったらなぜか着替えを済ましたリフィスも談笑に参加してた。今日は18時で閉店って言ってたよな。まだ17時半前なんだが。


「リフィスもあがるのか?」


「早仕舞いするのならプリンの数はもう充分なので」


「そうなのか。俺は1時間くらい残るからみんなは先に帰っていいぞ」


 リフィスの目つきが悪くなった。


「弥生のわがままに付き合う必要はありませんが」


「違う違う。今日はもうちょっと料理をしてたい気分なんだよ」


「そうなのですか?」


 疑われてるね。さすがに勘が鋭いね。


「どうせならリフィスは女子3人を送ってってくれ。久保田はどうせまだ帰らないだろ? せっかく名古屋に来たし、懐も温かくなったことだし」


「そうだね。こっちに付き合ってくれるならぼくも付き合うよ」


「どこかに行くの?」


 内炭さんが俺と久保田を交互に見ながら言ってきた。そうだな。あまりこういう手口は好きじゃないが、俺は自分に親指を向けて、


「本を買いにな」


 リフィスが神妙な顔付きをした。暗号を読み解こうとしてるんだろね。けどお前みたいな意外と真っ当な思考をしてるやつじゃ解けんよ。久保田は秒で理解してうんうん頷いてくれてる。


 そして意外と真っ当じゃない思考をしてる内炭さんは早々に気付いてしまった。


「あっ、私も行ってみたい」


「じゃあリフィスは宿理先輩と川辺さんを頼むな」


 リフィスが苦虫を噛み潰したよう顔をしてる。普通に悔しいっぽいね。


「では早く出ないと23号が混むので行きましょうか」


 名残惜しいが、リフィスの提案で美少女2人がパーティーから抜けた。3人になった休憩室で最初に口を開いたのは久保田だ。


「内炭氏もお好きなので?」


「好きってほどじゃ。ちょっと興味があるだけで。だから私も」


 内炭さんはやや恥ずかしがりながら続けた。


「ウスイ本を買いにね」


 リフィスは俺のことをサラって呼ぶからな。あの調子だと思考を巡らせながら帰ると思うし、早ければ今日の夜にでも負け惜しみを言ってくるに違いない。


「じゃあ厨房に行ってくるわ」


「了解。メロンは確定として内炭氏の趣向次第でらしんばんとアニメイトもいきましょう。買いにくいものでもぼくがレジに持っていくから安心していいよ」


「久保田くん! 頼りになる!」


 この友情はあまり見たくなかったな。そういう意味じゃないんだよ。友達思いの良いやつって言葉はさ。


 腐った話が展開される前に俺は厨房に向かった。長谷部さんはお手洗いなのかな。いるのは弥生さんだけだった。


 好都合だし、ちょっと聞いてみるか。


「少し確認してもいいですか?」


「ん? 食べる量とか?」


 俺は首を横に振った。


「弥生さんって糸魚川さんの元カノだったりします?」


 弥生さんの黒目が左上に動き、すぐ左下に行った。心理学で言えば、何かを思い出して、感情的な理由で困ったってことになる。


「なんでそう思ったの?」


「理由は3つあります。1つはあいつが弥生さんのことを名前で、しかも呼び捨てにしてることですかね」


「やどりんや美月ちゃんのことも呼び捨てじゃなかった?」


「これは持論ですが、呼び方って温度差で決まると思うんですよ。宿理先輩はあいつをあだ名で呼ぶし、川辺さんは先生って呼ぶ。親しい間柄と言って差し支えがない。だからあいつも呼び捨てにする。同じく俺とあいつはお互いがハンドルで呼び、他で例えれば俺と内炭さん、俺と川辺さんはお互いが苗字に敬称です」


 弥生さんは観念したように肩を竦めた。


「わたしはあいつを苗字で呼ぶ。なのにあいつはわたしを名前で呼ぶ。温度差が大きすぎるってことね。2つ目は?」


「視線です。自覚があるかは知りませんが、女子3人に対する視線がやや厳しかったんです。特に宿理先輩には顕著でしたね。最初は宿理先輩のアンチなのかとも思ったんですが、そもそもやどりんを知らなかったようなので。嫉妬かなと」


 ケーキを持ってきたのが弥生さんだったのも違和感があった。弥生さんの名前を知って、きっと品定めをしにきたんだって思った。


「そして3つ目は店名です。リフィスマーチ。リフィスはあいつのハンドルネームの1つです。そしてマーチは英語で3月。和風月名で弥生も3月。その上で店長と副店長の間柄とくればリフィスと弥生マーチの店とも考えられますよね」


 弥生さんが苦笑した。投了かな? って思ったら、


「元カノなのは認めるけど、その推理は大ハズレね」


 まじか。そこそこ自信があったんだけどな。


 弥生さんは天井を指さした。


「この曲。聞いたことある?」


 昼間に入ってきた時から聞こえてたクラシカルなやつだ。運動会で使われてもおかしくない感じの明るい曲。他のと比べて流れる頻度が高い気がする。


「知らない曲です」


「でしょうね。作曲者はわたしだから」


 驚く俺をスルーして弥生さんは作業を止めた。手を洗い、他のテーブルにあるメモ帳にペンで走り書きをする。MARCH。そう記したメモを差し出してくる。


「こういうことよ」


 どういうことだよ。って思った瞬間に理解した。あぁ、なるほど。


「リフィス行進曲マーチってことか」


「そそ。わたしと糸魚川。康孝やすたかと付き合ってたのは高2の時でね。あいつのハンドルネームを知った時に、ちょーっと思いが爆発しちゃって曲を作っちゃったのよ。さっき碓氷くんが言った意味も込めてね。それがリフィス行進曲」


 メモをくしゃくしゃに握りつぶしてゴミ箱に放り投げ、


「わたしの視線が厳しかったのなら、きっと彼女らじゃなくて女子高生そのものに嫉妬したのよ。あいつがわたしに別れを告げる時に言ったの。小4の子供の家庭教師をすることになったからもう時間を取ることができないって」


 脳裏にリフィスの皮を被った美少女の笑顔が過ぎった。


「年齢的にその子っていま女子高生じゃない。だからちょっとね。女子高生を連れてきたって知って。どんな子なのかなって。どんな気持ちでわたしにその子を会せようとしてるのかなって。むかついて。違ったみたいだけど」


 それで一番可愛いと感じた宿理先輩に敵意を示してたのか。


「碓氷くんは好きな子っている?」


「います。幼馴染です」


「潔いね」


「俺だけ聞いて話さないのはフェアじゃないんで」


「そう。その子とはどうなの?」


「話になりません。宿理先輩の弟に小学校の頃から惚れてるんで。しょっちゅう恋の相談をされてますし、俺をそいつに見立てたママゴトにも付き合わされてますよ」


 弥生さんは一瞬だけ左下を見て、俯いた。


「……つらくない?」


「幸せそうな顔を見られるんで。泣き顔を見るよりはつらくないですね」


 弥生さんが溜息を吐いた。何年も溜め込んでいたような、そんな重さを感じた。


「わたしは無理だった。だってあのバカ。嫌いになったから別れるんじゃなくて、家庭教師をすることになったから別れるって、なにその理由。確かにわたしが告った時に、わたしのことを好きじゃないって言ったわよ。わたしが好きじゃなくてもいいから付き合ってって言いもしたわよ。でも、家庭教師をするからって……」


「まあリフィスは30秒しか温めてないコンビニの弁当みたいなやつなんで」


「……その心は?」


「表面は温かいけど中身は冷たい」


 弥生さんが爆笑した。腹を抱えて笑い、目尻に涙が浮かんできた。


「言えてる。だからこそわたしは碓氷くんみたいに思えなかったのかもね。あいつがその小学生に笑顔を向けてるとこを想像すると腸が煮えくり返るような思いだった。幸せそうな顔をしてるのならぶん殴ってやりたいとも思ってた」


 弥生さんは再び溜息を吐いた。どこか清々しい、そんな顔で。


「ちょっとスッキリした。よかったら今度プライベートで話を聞いてよ」


 よかった。途中から傷を抉ってしまったと思って後悔してたんだ。何せ俺は弥生さんの方がリフィスをふったと思ってたからな。だから弥生さんは苗字を呼ぶことで他人だと強調してるって勘違いしてた。実に浅はかだった。


「いいですよ。リフィスの弱みを握るチャンスなので」


 弥生さんは微笑んでくれた。大人だね。


「じゃあ作業に戻りますか。あっ、おつまみになりそうなものをもう1品よろしく」


「了解。酒量は程々にしてくださいね」


 幸と不幸は表裏一体。誰かの幸せの裏に誰かの不幸せがある。そんなのはよく知ってるし、実際に経験もしてる。だけどなぁ。たまらんよ、正直ね。


 今の俺にできることなんてせいぜい美味い料理を作ることくらいだ。リクエストに答えつつ、米が余ってるからご飯ものも何か作ろうかね。


 よし、がんばるぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る