6/29 Wed. 自分の常識は他人の非常識

 悲報。川辺美月、3日連続でお休み。


 我々男子は太陽を失ったに等しい絶望を味わっていた。日照不足がもたらす弊害は深刻で、彼女を擁する我がクラスは死屍累々だ。何のために8組に所属してるのか分からなくなってくる。あのつまらない現国の授業だって川辺さんの方をチラっと見るだけで眠気が吹き飛ぶくらい元気になるというのに。


 月曜から不在というのは堪えたが、絶望の只中だからこそ見える希望もある。明日はそのお姿を拝めるはず。その思いで2日は乗り切れた。けど3日は無理だ。だって土日を挟んで5日連続だぞ。いつもなら5日連続で見ることのできるのに、その逆の状態になってる。もはや8組男子は生ける屍と化してしまった。


 8組女子はこの状況にイライラしてるようで、そこかしこから男子を罵倒する声が聞こえてくる。それは別に構わんのだが、たまに頭のおかしい女子が川辺さんの悪口を言うからみっきー教徒の我々は余計にストレスが溜まってしまう。太陽の恵みへの感謝を忘れた蛮族どもめ。だからモテないんだよ。嫉妬より先に自分を磨けや。


 未曾有の厄災のせいで弁当の味も感じない。さながら砂を食んでるような気分だ。内炭さん曰く、どんな環境であっても摂取する食べ物に含まれたグルタミン酸やイノシン酸の量は変わらないらしいのに。なぜこんなに味気なく感じてしまうのか。飢えているのが腹じゃなく心のせいだろうか。


 ついでに言えば油野もお休み。予想通りの自主的な謹慎らしい。一応は慈善活動もしなきゃならんらしいが、その内容はまだ未定とのことだ。


「ねぇ」


 そうだった。部室だった。自分の殻に閉じ籠ってたせいで内炭さんがいることを忘れてた。何気にこれにレスポンスするのって今週は初めてじゃないかね。


「どうした?」


 内炭さんは長机を2個挟んだ先でスマホの画面を見てた。身体は既にこっちに向けてる。口元が緩んでるのは視線の先にあるのが油野の画像だからっぽい。


「油野くんの写真ってもうないの?」


 果たして人類史においてこれほど無価値な問いはあっただろうか。


 内炭さん、きみはいま歴史を塗り替えたよ。とんでもないことをしたよ。


「まあ、あるね。去年の暮れまではそこそこ一緒に遊んでたし」


 内炭さんが目を輝かせた。いいなぁ。俺もそんな感じにキラキラしたいなぁ。


「あと何枚くらいあるの?」


 この話はおし枚。って答えたらぶん殴られるだろうか。しゃあない。調べるか。


「ちょっと待ってくれな。確認するから」


「っ! 一緒に確認したいんですけど!」


「NO。油野に関してはフリー素材みたいなもんだからいいけど、他に人が映ってるのは俺の独断で見せられないな」


 画像のフォルダを開いてみると、1匹見たら100匹はいるってくらい油野の写真がある。気持ち悪いなぁ。


「……前から思ってたけど。碓氷くんって油野くんに辛辣よね」


「そうか? どの辺が?」


「その、貰っておいてなんだけど。勝手に写真を人にあげるとか」


「今後はもうあげない方がいいって解釈でOK?」


「先程の発言を撤回させていただき、お詫びを申し上げたく存じます」


「政治家かよ。てか油野の肖像権に関しては本人も納得済みの話だぞ?」


「え。そうなの?」


「ギルドメンバーの中に関東住まいの主婦がいたんだが、イケメンは世界の宝だから世に発信しないのは人類の損失だって言っててな。それが発端になってなんやかんやで油野の人権がなくなった」


「碓氷くんって大事なところでそうやって濁すわよね。なんやかんやって何よ」


 なんやかんやは、なんやかんやです! って言いたいとこだが、


「実はあいつも宿理先輩と同じでモデルみたいなことをやったことがあるんだわ」


「えっ! それってまだバックナンバーとかで買えたりしないの!?」


「雑誌じゃなくて通販サイトのマネキンみたいなやつな。これを知ってるのってたぶん油野家と久保田とリフィスと、さっきの主婦と俺くらいだから、口止めはされてないけど他言無用で頼むぞ」


 内炭さんが唇の左端を指で摘み、右にスライドさせた。お口にチャックってやつかね。宿理先輩なら可愛く感じたんだろけど。


「中3の秋にラノベの新刊が一気に販売されてな。最初は仲間内で何種類かずつ買って回し読みしようって話になったんだが、特定の本屋で買うと初回特典グッズが貰えるってやつが混ざってて、なんやかんやで別々で買うことになったんだよ」


「……またなんやかんや」


「だけど小遣いが足りない。そこで油野は油野パパに仕事の手伝いをするから小遣いをくれって頼んで名古屋のスタジオに付いてったらしいんだが、その現場に通販サイトを運営してるおばちゃんがいて、なんやかんやでモデルに抜擢された」


「それもうわざと言ってるでしょ」


「俺らはただバイトに行っただけだと思ってたんだが、モデルの件を初冬くらいに宿理先輩がパーティーチャットで暴露しちゃって、偶然にパーティーを組んでた俺らだけが知っちゃったって流れだ。そっからさっきの主婦の発言があって、俺らもそーだそーだって煽って、宿理先輩にサイトを教えて貰って、油野がもう勝手にしろって言ったから、イケメンの油野を世に発信する承諾を得られたってお話」


「……その勝手にしろって意味が違くない?」


 そうだね。違うと思うよ。勝手に騒いでろって意味だと思うよ。でもそう受け取ったことにしようよ。だってその方が都合が良いし。


「見解の相違ってやつだ。つっても俺が油野の写真をあげたのって内炭さんが初めてなんだけどな」


「え? そうなの? 相山さんにも?」


「優姫にあげたのは昨日が初めてだぞ。あのソードマスター圭介な」


「あのソドマスは待ち受けにさせていただきました」


「一応は言っとくが、あの半裸のやつは優姫に見せるなよ?」


「我が命にかえても!」


「重いわ。そこまでするくらいなら匿名掲示板に貼ってくれてもいいわ」


「なに言ってんの。私だけの宝物にしたいからだめよ。なお、碓氷くんのスマホからあの画像が消えてくれたら私の満足度は上昇します」


「独占欲は程々にしないとストーカーに強制クラスチェンジしちゃうぞ」


 そう言って俺はスマホの操作を終えた。凝った肩を自分で揉みほぐしてると、


「確認が終わったの? ご苦労様です!」


「いや、油野の顔を見るのに飽きたからやめた」


 内炭さんの顔から表情が抜け落ちた。


「碓氷くん」


 声の色も抜け落ちてる。普通に恐い。


「油野くんの顔を見飽きることなんてないの。分かった?」


 分かんないけど頷いておいた。まだ死にたくないからな。


「スクロールバーを半分くらい下げたとこまでに200枚近くあったから400枚程度はあるんじゃねえかな」


「そんなにあるの!?」


 一転して笑顔だ。情緒不安定で心配になってくるな。


「けど油野単体の写真ってあんまないぞ?」


「そうなの? 被写体は油野くんだけで充分なのに」


 あなたはそうでしょうね。


「基本的に記念写真だからなぁ」


「……私、学校行事以外で記念写真って撮ったことないかも」


 内炭さんって友達が少なそうだもんな。俺も人のことは言えないけど。


「記念写真って遠足とか文化祭とか卒業式とか以外でいつ撮るものなの?」


「オフ会した時とか。みんなでライブに行った時とか。ただメシを食っただけなのにテンションが上がった時とか。クレーンゲームでデカい景品をゲットした時とか」


「……碓氷くんってネトゲネトゲ言ってる割に実はリア充なの?」


「そう言われると中3までの俺に関しては否定できんかもな。今は部活が終わって帰ったらメシと風呂以外はずっと部屋でパソコンかスマホをいじってるぞ」


「……あのね。来週の月曜から期末テストなんだけど」


「見くびって貰っては困るね。テスト勉強をするためにソシャゲのイベントを徹夜で消化してるんだよ。日曜の夜からは勉強に集中できる予定だ」


「見くびりが不足してたことに驚いたわ」


 あっ、これ本気で呆れてるやつだ。いつもは1秒も勉強してないから俺の中だとだいぶ譲歩してるんだけどな。せめて2桁順位に入った方が良いって内炭さんが言うからその気になってるのに。もしやもっと勉強しろと言うのか。


「じゃあ内炭さんは部活が終わって帰ったらどうしてんだよ」


 内炭さんが、え? って顔をした。そして途端にそわそわし始める。なんだ。なんなんだ。


「私のプライベートに興味があるの?」


 ほんのり照れた感じで言ってきた。


「はい、今日はここまで」


「私が悪かったから石川先生の真似で話を終わらせようとするのやめて?」


「仕方ないな。けど次はないぞ」


「そういう質問をされたことがなかったからちょっと浮かれちゃったのよ。放課後は何してたー? ってやり取りってなんかリア充っぽくない?」


 ハードル低すぎ。そんなの歩いて飛び越せるわ。人類皆リア充だわ。


 だがいいぜ。乗ってやろう。俺、女子特有の共感については割と詳しいんだ。


「もうすぐテストだけどー、内炭さんは放課後って何してるのー?」


「え? わ、私!?」


 あんたしかいねえよ。


「そうね。帰ったらシャワーを浴びて、ご飯を食べるわ」


「そうなんだー。それでそれでー?」


「……これ、楽しいわね!」


「いいからはよ答えろや」


 どんだけ人付き合いに飢えてんだよ。優姫とそこそこ仲が良いと思ってたのにこの程度のコミュニケーションも取ってないのか。


「その後は塾に行くわね。そして帰ってきたらお風呂に入って、日付が変わるくらいまでまた勉強して、布団に入ったら油野くんの半裸画像を眺めながら眠りにつくわ」


 ブラック企業か何かにお勤めですか? あの画像を寝る前に見るのを心の支えにして頑張っちゃってるんですか? えっ、学年4位ってそんなにストイックなの?


「へ、へー。そうなんだー。今週の休みの日はどうする予定なのー?」


 テンションだだ下がりの俺に対して内炭さんはテンションマックスファイヤー。


「土日は朝10時から自習室が開放されてるからお弁当を持って塾に行くわね!」


 つらい。聞いてる方がつらくなってくる。川辺さんの不在以上に心に響くぞこれ。だって週7で学校に行ってるようなもんじゃん。休みがないじゃん。


 将来はワーカホリックになるのかね。今まで内炭さんの将来なんかどうでもいいって思ってたが、これはちょっとくらい力になるべきじゃないかと思えてきた。


「内炭さん、ちょっとあれ言って、いつものやつ」


「いつものやつ?」


 まじかよ。自覚がないのかよ。確かに昨日は言ってなかった気がするけど。


「私、油野くんのことがってやつ」


「……あっ。うん。なんか照れるけど」


 いつも淡々と言うくせに。乙女ぶって恥ずかしそうにしてんじゃねえぞこら。


「私、油野くんのことが」


「知ってる」


「……食い気味すぎない? なんで言わせようとしたのよ」


「そんな油野を大好きな内炭さんにダウンロードしといた油野圭介モデルエディションをプレゼントしよう」


「え! 保存してあるの!?」


「勝手にしろって言われたからね」


 今回も勝手に送信。満面の笑みで喜ぶ内炭さんを見てほっとする。


 前に油野スマイルと川辺さんの乳揺れが等価って言われた時に心中で罵倒しまくった気がするが、内炭さんにとって油野は本当に生きる糧みたいなもんなんだな。


 よし。俺も少しは見習って勉強するとしますかね。


 明日こそ川辺さんが登校するって希望を心の支えにしながら。


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