第27話 信濃への道
大永6年11月下旬(1526年)
越後府中の忍屋敷に極秘に一人の人物が来ていた。
信濃国佐久郡望月城主望月昌頼であった。歳は23歳と聞いている。
甲賀忍びの望月家は信濃の望月家の支流で、望月家の本流がこの望月昌頼になる。
信濃望月家は忍びというよりは、武士、国衆と言った方がいい。信濃望月家には多少は忍びとしての働きをできる者もいるが大半の者は、武士として生きている。
この戦国乱世の中、どこにも属さず、独立した国衆として地位をまだ保っていた。
本来の歴史では、18年後に武田信玄に攻められて敗北。望月昌頼は、逃げ出せたがやがて行方知れずとなる運命だ。おそらく信玄の追手の甲州忍びにでも始末されたんだろうな。兄弟や息子は信玄に仕えることになる運命だ。
今のうちから北信濃一帯に楔を打ち込み手を回しておく。
できたら、真田にも手を回したいが焦る必要はあるまい。
信玄はまだ5歳。元服するまでまだ10年ある。信玄が父親を追放して実権を握るまで16年ある。ゆっくり焦らず着実に楔を打ち込み、北信濃を取り込んでいくことが大切だ。
「遠いところ、ようこそおいでになった」
「多少は忍びの心得はありますが、甲賀の望月家の者たちのような忍び働きは出来ませぬぞ」
「そこまでは望んでおりませぬ、距離はあるがまず誼を通じておくことが重要でしょう」
「晴景殿は信濃国を欲するのか」
探るような目で直接聞いてくる。
「この戦国乱世。長尾が動かなければ他の大名が動く。そうなると国境の近いこちらは、身を守るためには何が何でも戦うことになる。そうなると北信濃全体が戦乱の地となるだろう。遅かれ早かれその時はくる」
「当家に何を求めるのですか」
「いまは、誼を通じて良好な関係を持ちたい。そしてその時々で信濃の情勢を教えてもらいたい。当然、必要な支援は惜しまない」
そう言って、三宝に和紙を敷いた上に金大判1枚と金小判50枚を乗せて望月昌頼に差し出す。
「これを挨拶料と思い受け取ってもらいたい」
「これは・・・」
金大判、金小判に刻まれた‘’天下泰平‘’と‘’九曜巴‘’が眩いばかりの黄金の輝きを放つ。
しばらくその輝きに見惚れている望月昌頼。
「これは、つい先日この越後国で発行した新しい銭だ。金大判で20貫文、金小判で2貫文の価値を持つ」
「なんと・・・」
「やがて銭で物の売り買いが当たり前になる。銭の力が重要になってくる時代がやってくる。越後府中の街をご覧になられたか」
頷く望月昌頼。
「信じられんほどの賑わい。これほどの賑わいを持つ街を初めて見た。多くの店が立ち並び、多くの人々が行き交い、街には品物が溢れている」
「越後国ではこの銭があれば好きなものが買える。越後府中の商人たちは既にこの銭で動き出している。越後府中は今後さらに人が増え、その増えた人が使う銭を目当てに商人が増えていく。商人が増えれば扱う品々も増え、回る銭もデカくなる。越後府中はまだまだ大きくなる。そして長尾家はさらに強くなる」
「赤備でございますか」
「農民に頼らない当家常備兵の赤備は、他家の銭雇いと違い精鋭揃いで忠誠心も高い。他に負ける要素は無いな。何より土地に縛られずいつでも戦える。他はそうはいかんだろう」
「確かに」
通常、銭雇いの兵は弱い。少しでも不利になると逃げ出す。
それぞれの国衆の足軽は農民兵であるため土地に縛られ、農期に左右される。特に田植えや刈り入れの時期は戦はできない。そんな時期に動員をかけたら農民がそっぽを向くことは間違いなく。さらに、年貢の徴収も怪しくなってくる。
精鋭揃いの銭雇いの兵は魅力的だろう。だが他では絶対に真似できんことだろう。
「望月殿、よろしく頼みますぞ」
「承知いたしました」
望月昌頼は、大事そうに大判小判を抱え帰っていった。
忍び屋敷には、藤林長門、千賀地保長、戸隠十蔵が揃っていた。
「これで、望月家もやがて我らを頼るしかなくなるであろう」
晴景の言葉に三人は頷く。
貨幣経済が浸透すればもはや後戻りは出来ない。
「皆にもう一つ大事な話がある。春になると高梨家と共に信濃国善光寺平に砦を作ることになる」
「善光寺平にですか」
「そうだ、十蔵。砦を作ると戸隠のものたちの働きが重要になってくる」
頷く戸隠十蔵。
「そうなると、周辺の信濃国衆の動きをしっかりと把握することが重要だ。特に埴科郡の村上義清、長沼郡の島津氏、高井郡井上の井上氏、高井郡大岩城須田氏の動きが重要だ」
「承知しました」
「来春には、信濃国に目にみえる3つの楔を打ち込むことになる。一つは我長尾家の縁戚にあたる高梨家の強化。二つ目が望月家の従属。三つ目が善光寺平の砦。さらに目には見えぬ戸隠の働き、天下泰平通貨の北信濃への浸透。これらを使い、北信濃を取り込んでいく。特に村上家への天下泰平通貨の浸透をしっかりを行うことが重要だ。一度浸透してしまえばもはや抜け出すことはできん。天下泰平通貨無しでは成り立たなくなる。天下泰平通貨が浸透してしまえば、従属は時間の問題となる」
頷く三人。
「良いか、長門、保長は春になったら手のものを越後からの行商人として村上の領地に送り込め。天下泰平通貨を浸透させよ。急ぐ必要は無い。ゆっくりじっくりと慌てず行え。十蔵は善光寺平で城を作るにあたり有利な場所をいくつか調べよ。あとは北信濃の国衆をしっかり見張れ」
「「「承知しました」」」
襖を開け外を見ると、粉雪がちらつき始めていた。冬が足早にやって来ようとしてた。
大永7年3月下旬(1527年)
信濃国から越後府中に一人の男が入ってきた。旅の行商人のような感じであった。街道を見回っていた軒猿衆の伊賀者がその男の気配が商人らしくないことに気がついた。
すぐさま連絡がとび、見張りの増員が付いた。
増員された軒猿衆の戸隠忍びがその男の正体に気がつく。
「あいつは抜け忍のマシラ。十蔵様に知らせろ」
軒猿衆戸隠忍び戸隠十蔵は、マシラの向かってくる先で待ち構えることにした。
遠くにマシラの姿が見えてきた。視線が合った瞬間、姿を消した。
「チッ・・・逃げたぞ。追え」
軒猿衆が追うがどんどん離されていく。
「流石はマシラ、その足はいまだ健在か・・・」
マシラと呼ばれた男は、越後と信濃の国境を越えた。
街道沿いに一人の男がキセルをふかして岩に座っていた。
「よう、マシラ。久しぶりだな」
「頭領・・・」
「別に、お前を殺したりせんし、特に危害を加えるつもりは無い」
マシラと呼ばれた男は身構えたままであった。
「お前が村上義清に世話になっていることは前々から知っている。そこは咎めるつもりはないし、とやかく言うつもりも無い。お前は腕は立つが、ズケズケ言う性格が災いして、戸隠の里の者たちともうまくいってなかったしな。新天地で上手くやれているならそれはそれで良い。ただし、長尾家、特に長尾晴景様に牙を剥くなら容赦せんぞ」
「珍しいな。冷徹で狡猾なあんたが、ずいぶんと長尾晴景の肩を持つじゃないか。相手の居ないところで‘’様‘’付けで呼ぶとはね。戸隠は長尾についたのか」
「答えるつもりは無い。儂の言い分は長尾晴景様に楯突くなそれだけだ。それを守る分には何もせん。好きにすればいい」
キセルをふかしていた男は、それだけ言うと煙を残して姿を消した。
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