第22話 月下の姫君
剣客ジロキチは、凄腕の剣士である。
東方の島国で生まれた彼は、その優れた剣の才能を若くして開花させ、その名はすぐに広まった。
彼に剣を教わろうと多くの若き剣士が彼に弟子入りし、ジロキチもそれを受け入れた。
順調であった。
――――彼が初めて人を殺めた、その日までは。
「これが人を斬る感覚……」
家に押し入った賊を、ジロキチは真剣で斬り伏せた。
それ自体は咎められることではなかったが、そのせいで彼は強い
試合、修練。長年続けたそれに飽き、真剣による殺し合いのみを欲するようになってしまった。
初めはお尋ね者。次は弟子。その次は見知らぬ町人。彼の刃によって三桁以上の人が命を落とした。
彼の蛮行は三年ほど続いたが、遂に捕まることになる。
その島国でのもっとも重い刑は『島流し』。簡素な小舟に囚人をくくりつけ、海に流す刑だ。
確実に死に至る上に、故郷の土に還ることも出来ない。それはその島に住む人間にとってもっとも耐え難いことであった。
しかしジロキチはただ『もう人が斬れない』。そのことのみが辛かった。
流され、漂流すること一週間。
雨と小魚で食いつないでいたジロキチは、奇跡的にリックたちの住む大陸に流れ着いた。
身分のない彼は闇社会に溶け込み、その剣の腕を存分に振るった。
それから歳を取り、若いときほどの凶暴性は無くなった。しかし剣の腕はいまだ健在であり、その鋭さは若き日よりも増してすらいた。
そのジロキチが、圧倒されていた。
「……そこ」
抑揚のない声と共に、超高速の蹴りが放たれる。
ジロキチはかろうじてその一撃を仕込み刀の鞘部分で受け止めるも、勢いを止めきれず後方に飛ばされてしまう。
「なんてえ力だい……!」
あまりの衝撃に、刀を握る手が痺れる。
ジロキチは目の前の少女を睨みつける。
年端も行かぬ少女が自分より力があるなど、認めたくはなかった。
「……もうお終い?」
ゆっくりと近づいてくる銀髪の美少女。
月を
まだ自分に女に見惚れる心が残っていたのか――――ジロキチは心のなかで苦笑する。
「嬢ちゃんを斬ることが出来れば、新しい世界が見えそうだ。斬り捨てさせていただきやす」
「……分かった。受けて立つ」
ヨルはその長い銀髪をなびかせながら立ち止まる。
構えなどない。ただ立っているだけなのに、隙がない。
ジロキチは腰に差した仕込み刀に手をかけながら、ゆっくりとヨルににじり寄る。
(勝負は一瞬……一太刀で終わりでさあ)
狙いは首。
相手は常識はずれの身体能力を持っているが、首さえ切り落せば倒せるはず。ジロキチはそう考えた。
(まだ。まだ。まだ……)
ゆっくり、ゆっくりとジロキチは歩を進める。
刀にかけた指に汗が滲む。
鼓動が早くなり、舌と喉が乾き痛みだす。
長い人生でこれほどまでに緊張したことはなかった。
一世一代の大勝負。ジロキチは今まで培ってきた全てを込めて、それを放つ。
「ここ――――っ!」
剣閃が煌めき、居合が走る。
秘剣
過去幾度となく放たれたその剣技だが、今宵のそれは会心の一撃と言っていいほどのものであった。過去何千何万と剣を振るってきたジロキチ、その集大成と呼べる一撃。自然彼の口元に笑みがこぼれる。
その高速で放たれた斬撃を……ヨルは赤い瞳で捉えていた。
「…………」
無言のまま、ヨルは右腕を斜めに振るう。
すると首元に迫る仕込み刀の刀身が、真ん中からパキン! と折れてしまう。
「な……っ!?」
それだけではない。
ヨルの攻撃はジロキチにも命中していた。その胴体は斜めに切り裂かれ、鮮血が辺りに飛び散る。
「馬鹿、な……」
その場に膝をつくジロキチ。
ヨルはその様子を冷たい目で眺める。
彼女が行ったことは難しくない。
爪先に血液で作った刃を生み出し、居合に合わせて振っただけである。
ただそれだけのことが、達人の奥義を上回るほどの力を持っていた。
もう理不尽な力に屈したくない。
そう思った彼女はリックに頼みこみ、一から体を鍛え抜いた。
もう囚われるだけの姫はいない。
彼女は何者にも屈しない力を手に入れたのだ。
「こんな月の綺麗な日に死ねるたあ……あっしみたいな流れの身には贅沢でさあ……」
「そう」
傷口から大量の血を流しながら、それでも立つジロキチ。
その手には折れた仕込み刀がまだ握られている。
まだ彼からは恐ろしい殺気が放たれている。しかしそれでもヨルの表情は変わらない。
あくまで冷静に、冷たく接する。
彼女が心を開くのは愛する者に対してのみなのだ。
「ずえあっ!!」
声にならぬ声を上げ、ジロキチはヨルに斬りかかる。
ヨルは目を細めその動きを見極めると、再びその鋭い爪を振る。
「み、ごと……」
再び体を大きく斬られたジロキチは、ドチャリと地面に倒れ、動かなくなる。
体の下には大きな血溜まりが出来ている。もう立ち上がることはないだろう。
「すごい……」
一連の流れを見ていたダークエルフのレイラはそう声を漏らす。
強さには自信があった彼女だが、二人の勝負を目で追うことすら出来ていなかった。ヨルのことをなめていたわけじゃないが、幼い見た目に騙されここまでの実力を持っているとは想像出来なかった。
一方見事な勝利を飾ったヨルであったが、既に彼女はジロキチのことを頭から外し、商館の方を見ていた。
その頬はほんのりと紅潮し、口元はわずかに緩んでいる。戦っていたときとは別人のような表情だ。
「リック……褒めてくれるかな……?」
既に彼女の頭の中は、事が終わってからのご褒美のことでいっぱいであった。
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