第112話 ゴールじゃない
「別に特待生じゃなくたって、大丈夫って言ったでしょ?」
母がまるで拗ねたかのような口調で言う。
そうは言うけれど、大病を経て弱っているはずの母親に負担をかけたくないと思うのは当然のことだった。退院したのは昨年末で、一時期は本当にこのまま病院から出られなくなるのではないかと心配したのだ。
引っ越しの荷物のダンボールがいまだ片付かないリビングで、スーパーで買った惣菜を並べて夕飯である。
「わたしだって言ったじゃん。絶対受かってみせるって。」
未冬の高校が今年度から学業特待枠を設けることを教えてくれたのは、少年団の恩師であるカイトコーチだった。夏南の成績ならば行けるかもしれないと勧めてくれたのだ。もう彼の家の方角に足を向けて寝られない、それくらいの恩を感じている。
電子レンジからご飯のパックを取り出して碗に盛り付ける。母が割り箸を荷物のどこかから発掘してきた。
このマンションに越してきたのは入学式の3日前のことだ。だから、母は娘が特待生になれなくても、このマンションの眼の前にある私立高校へ夏南を通わせるつもりでいたのだろう。叔母の家から引っ越してくる夏南も、病院から退院してくる母親も本当に大変だったのだが、荷物の移動すべてを引越し業者にほとんど丸投げでどうにか移動出来たのだった。
「よく頑張ったと思うわ。夏南。」
「ママもよく頑張ったよ。」
でも本当に大変なのはここからなのだ。
面接で女子サッカー部へ入部したいことを学校へ告げた時は、とても意外だと言われた。学業特待生を維持しながら運動部に所属することは、並大抵の努力では出来ないからだろう。
特待生でいるには勿論条件がある。定期テストで常に上位ランクにいること、模範生であること。そして、進路においては有名大学へ進学することが重要だ。かと言って部活動を奨励するのも私立高校ゆえだろうか、意外とは言われても反対はされなかった。
夕食を終えて、ダンボールの中身を整理しているとスマホが鳴った。
本当に久しぶりに未冬からのメッセージが届いていた。
目の奥がツンと痛くなって、涙が出そうになる。
だって何度も挫折しそうになった。もう先輩は自分のことなど忘れてしまっているだろうと思って。追いかけて高校を受験しても、意味など無いだろうと。
何度か母親に公立高校を受験する旨を相談していた。未冬を追いかけることも、サッカーを続けることも、もう無理だろうと思えて。
「先輩があなたの事覚えてないから、あなたはもうサッカーしないってこと?」
「いや、それは違うけど・・・でも、公立で女子サッカー部あるところは少ないし。続けるのは難しいかなって。」
「じゃあ私立でいいじゃない。」
病室にいても、母親は強気だった。
「だけど私立は費用がかかるから。」
「ママを馬鹿にしないでよね。夏南ひとり私立に行かせるくらい朝飯前よ!!今は入院してるけど、現役復帰したらまた、稼ぎまくるんだから。」
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