「…………」


 ソファに体育座りをしながら、じっとしていると、家のドアが開く音がした。

 軽快な足音が、リビングへと近づいてくる。


 「ただいま~、おかえり~、――って紺太、どうしたの? 電気もつけないで」

 

 制服姿のまま丸まってる僕に、雫が不思議そうな声を上げた。

 すぐ目の前で息遣いが聞こえて、じんわりと温かなものが、僕の頭を持ち上げてくる。

 瞬間、視線が触れ合った。


 「あ、泣いてたの?」

 「な、泣いてないよ……」

 「ウソばっかり~、涙の痕ちゃんと残ってるよ」

 「……っ」


 ふいと顔を逸らそうとするけれど、手のひらでがっちりとホールドされてるせいで動かせない。

 しかたなく目だけを泳がせる僕に、雫が近づいてきて。

 目のすぐ下にちゅっ、とキスを落としてきた。

 

 「ふふ、ちょっとしょっぱいかも」 

 「雫……っ」

 「で、どうして泣いてたの? 私に話してみ」

 「そ、それは……」


 聞いてもいいのだろうか? プライベートな問題に、首を突っ込んでもいいのだろうか?

 悩む僕に、雫がキスをしてくる。


 「んっ!?」

 「しゃべらないなら、唇を味わっちゃうからね? ん、ちゅっ」

 「しゃ、しゃべるから! キスしないで」

 「はいはい。で、泣きべそかいてたのはなんで?」

 「……今日、雫が、知らない男と歩いてるの、見ちゃって……」

 「うん」

 「……もしかしたら、彼氏なんじゃないかって、思ったら、勝手に涙が、」

 「紺太はさ~、バカだね」

 「え、」


 視線を合わせたと同時に、またも雫からキスをされた。

 さっきみたいに触れるだけのやつとは違って、長く濃厚なやつだ。やけどしそうなくらい熱いせいでお互いの境界線が、曖昧になりそうになる。

 目と鼻の先にいる雫は目を閉じていた。ふるふると震えるまつ毛が、すごく長い。

 気持ちのいい感触が続き、やがて離れていく。

 僕たちを繋ぐかのようにできた透明な糸が、ぷつんと途切れて、雫が息を吐いた。

 ちょっといらだった様子で、手のひらでわしゃわしゃと髪を乱される。


 「え、え、雫っ!?」

 「ほんっと、バカ。彼氏なわけないでしょ」

 「そ、そうなの?」

 「あの人は新しくやってきた教育実習の先生よ。たまたま私が校舎の案内役をしてたってだけ。どう? 安心した?」

 「う、うん……」


 胸に刺さっていたトゲのようなものがなくなって、心が軽くなる。よかった、僕の勘違いだったんだ……。

 ホッと息をつく僕に、雫が目を合わせてくる。白い歯を見せ、はにかんできた。

 

 「だいたい、私が四六時中一緒にいたいって思えるのは紺太だけなのよ。浮気なんてするわけないじゃない」

 「浮気って……まだ付き合ってもないのに」

 「え? 私はもうあんたと付き合ってるつもりでいたんだけど、違った?」

 「――ええっ!? で、でも、告白してないけど」

 「昔してくれたじゃない。『しずくちゃんっ、だいすき! 大きくなったら結婚しようね!』って。私その場でオッケーしたはずだけど」

 「そ、そうだっけ?」


 そこまでは覚えてない。結婚しようって言ったのは覚えてるけど。

 でも、そっか。僕、雫と付き合ってるんだ。なんだか夢みたいだな。

 嬉しさで口元が緩んでしまう。そんな僕を、雫が抱きしめてきた。


 「――うわっぷ!?」

 「このこのっ、私にだけ彼女プレイさせてたとは欲深いやつめっ! おっぱいでお仕置きしてやる~っ!」

 

 これ、お仕置きじゃなくて、ご褒美だと思う。

 メロンみたいなサイズのおっぱいに埋められながら、そんなことを考える。

 あぁ、すごくいい匂いがする。それに柔らかい。

 ここまでされて、ヘタレでいられるわけがなかった。雫の気持ちに、応えたい。


 「雫っ」

 「ん、なーに?」

 「僕っ、覚悟決まったよ。もうくよくよ悩んだりしない」

 「そっか。じゃあ、どうしてくれるの?」

 

 「――僕と、結婚してください」


 声がちょっと震えたけど、伝えたいことは言葉にできたはずだ。長いこと時間がかかっちゃったな。

 たった一歩、踏み出しただけなのに全身が疲弊してる。

 やっぱり、プロポーズっていうのはそのぐらい、重いものなんだ。


 その影響はすぐさま、雫にも表れたみたいだ。

 頬を一筋、また一筋と、しずくが伝っていく。


 「あ、あれっ? どうしよう、涙止まんない……っ」

 「泣いていいよ。全部、僕が受け止めるから」

 「さ、さっきまで泣いてたやつに、慰められるなんて……っ」


 なんだかんだ文句を言いながらも、雫が僕の胸に飛び込んでくる。

 子どもみたく泣きじゃくる彼女の頭を、僕はたくさん撫でてあげた。

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