第七十五話 竜の花嫁



 重世界の海を泳ぐ。戦後処理を怜と片倉に託し、仙台の家へ向かおうとした。しかし、戦を始めたものの義務として、雨宮の城がどうなったかを見届けなければならないだろう。そう考えて、雨宮の城へ向かう。


「ごめん里葉。雨宮の城へ寄る」


「すきです」


 その返事に頷きを返した後、雨宮の重世界へ突入した。





 彼女を抱え着地するのとともに、甲冑の音が鳴る。


 雨宮の城郭。二の丸を中心に争いの痕が見られるそこは、散らばった武器、破壊された防衛設備など、凄惨な風景が広がっていた。しかしながら、戦いの傷跡を悼む悲痛な空気はなく、敵を撃退したことを喜ぶ、明るい雰囲気であるように見える。


 率先して瓦礫を片付ける濱本が、視界の中でブレるように機敏だった。


 皆を指揮し、戦いの後片付けをするザックと芦田、雨宮の妖異殺しの元へ向かう。


「みんな。お疲れ様」


「倉瀬か!? 戦いはどうなった!?」


 俺がやってきたことに気づき振り返った芦田が、大きな声でそう聞いた後、俺の腕の中にいる里葉をガン見した。対し里葉は、特に反応を見せてない。ぽやぽやしている。


「無事彼女を取り戻した。まだ怜と片倉が白川の重世界にいる。俺が居座ると問題が起きそうだから、彼女たちに後処理を託した。それで、こちらはどうだった」


「……死傷者が出た。しかし、ポーションのおかげで被害は軽微だし、こう、あまり大きな声で言うことじゃないかもしれないが……うちの奴らは全員無事だった」


「……そうか。それは良かった」


「特に、あの濱本の活躍が大きかった。こう、ちょっと反応に困る部分もあるが……」


 思い切って褒めちぎれないな、と芦田が微妙な顔をする。ザックはそれに頷きを返していて、と口にしていた。


 その時。俺がやってきたことに気づいた濱本が、周りの者たちに一言断った後、駆け足でやってくる。


「広龍くん。お疲れ様です。貴方の腕にいる少女を見れば……善悪は明白ですね」


 ふっと嬉しそうな笑みを浮かべた彼は、尊いものを見るような顔をしていた。


「ええ。ありがとうございます。濱本さん。改めて、お礼を言わせてください」


「いえいえ。私の方こそ、礼を言いたく思います。ここ暫くの間、時を忘れてしまうほどにここは居心地が良かったです。ここの人たちは皆、実に善だ」


「…………」


 満足げな彼は、どこか恍惚とした表情を浮かべているようにも思える。これは、どうするべきか。

 考えること、数秒。


「…………貴方のおかげで、本当に僕たちは救われました。彼女はこれ以上、悪に苦しまなくていい」


 彼の体がびくんと跳ねる。


「……っン! その言葉が聞けて、本当に良かった。どうやら僕は、善の遂行を完了したようだ」


 背を向け、再び諸作業へ戻ろうとする濱本さんが言う。


「ここの作業を終えたら、次なる善を遂行するためにお暇させていただきます。広龍くんが善のままであれば、きっとまた出会う機会もあるでしょう」


 人差し指と中指を立て、彼が俺に対し別れの挨拶をする。


「では。See you a ゼン


「…………」


 何この人。

 β版トッププレイヤーは、訳わかんねえやつしかいねえのか?







 雨宮の城を抜け、仙台の家へと向かう。きっと里葉は二週間も俺とはなればなれで、辛い思いをしたに違いない。あの穏やかな一ヶ月間を思い出し、二人でゆっくりしたいんだ。


 かなり久々に、仙台の家に戻る。リビングに入って、里葉と過ごした一ヶ月間、そしてDSを始め里葉と二人でダンジョン攻略を続けていた時を思い出し、懐かしい気持ちになった。どこか、自分が遠いところまで到達してしまったような気がする。


「里葉。今、降ろすな」


「うん」


 里葉が足を床につけて立ち上がるけど、首に回した両腕を離してくれない。さっきから里葉はずっと無言でぽやぽやしているので、どうすればいいか反応に困った。


「里葉。どうかしたか?」


「ひろ。めんぼおを、外せ」


「えっ?」


「面頬を外せぇーっ!!!!」


 首に回した両腕を外し、里葉が俺の面頬を掴む。ガチャガチャと前後に動かして、なんとか外そうとするが、固定されていてビクともしない。外そうと必死すぎて、なんか涙目になっている。


「ひ、ひろ! はず、外してください! 外せ!」


「え、い、わ、わかった。わかったからちょっと待ってくれ」


 ……家に帰ってきてもまだ、安心はしていなかったのだろう。今、竜の瞳を人間のものに戻し、体を包んでいた装備が、消えてなくなった。


 その瞬間。里葉が俺に飛びついて、唇と唇が重なる。食むようにする彼女が何度も甘噛みを繰り返して、彼女の体温を感じた。


 息が切れてしまいそうなぐらいに、ずっと、ずっとそれを繰り返した後。紅潮した顔の里葉が、少し冷静になる。


「えへへ。やっとちゅーできました。ひろ……ほんとうに……わたしは……」


 満面の笑みを浮かべた後、涙を流し始めた彼女が静かに語り始めた。


「わ、わたしがめいわくかけてるのに……わたしのせいなのにひろはわたしをたすけてくれて、それで」


「……里葉のせいじゃない」


 里葉の金青の後ろ髪を撫でた。

 泣き笑いを浮かべる彼女が、零すように言う。


「わたしは、どこまであなたを好きになればいいの? もう、とっくに心なんてあげてるのに」


 胸元に飛び込んだ彼女が、顔を埋めさせて泣き始めた。

 今はただ、彼女のために。彼女の存在を、体温を、感じていたい。


 彼女と抱きあって、日も落ちてお腹が減っていることに気づいた時。やっと、動き出した。






 夕食前。兎にも角にも腹ごしらえはせねばならぬと、台所に立つ。しかしながら今は、状況が違った。

 左側面にいる里葉はずっと俺と腕を組んで、全身を当てるようにひっついている。


「…………里葉。今から、料理するから」


「だめ。離れません」


「包丁も使うし、危ないから」


「大丈夫ですよ。私たち、どれだけ刃物使ってきてると思うんですか。離れません」


「……里葉。後で、ぎゅってするから」


「だめです。離れません。今くっつくんだもーん♪」


「里葉」


 くっつく里葉が、すっと俺の包丁を奪い取る。


「じゃあ、わかりました。私も譲歩します。二人で、一緒にお料理しましょう。ひろ。そこのにんじんさんとってください」


 一緒に料理するとは言っているものの、腕は組んだままで、離そうという素ぶりはない。


「…………うん」


 人参を片手で取って、まな板の上に乗せ抑える。

 同じように片手で包丁を握る里葉が、人参を切り始めた。


「おいしょ、おいしょ……あ、何の料理作るか決めてないのに、にんじんさん切っちゃいました。えへへへ」


「…………」


 ……俺があの日見惚れた、クールな里葉の原型がない。

 急にかっこいいとか大好きだとか言い出した里葉が、包丁をまな板に置いて俺の頬に触れた後、キスをしてきた。


「…………」


 いつも通りに餌をたかろうと、空気も読まず台所でささかまが闊歩し始める。


「ぬっぬっぬっぬっ」


「……ささかま、邪魔」


 冷蔵庫から笹かまぼこを取った里葉が、びっくりするぐらい辛辣だった。三袋適当に投擲して、彼女がささかまを遠ざける。餌のことしか考えていないあのバカは、それに飛びつき、ジャンプしようとして、机に頭をぶつけていた。鈍い音が響く。


「…………」


 ものすごく簡単な料理を作るだけだったのに、二時間近くかかった。





 夕食を取り終えた後。気づけば、眠たくなるような時間だった。くっつきモードの里葉も一度落ち着いたのか、お風呂に入っていて、続いて俺も体を流す。今日ついた傷は、生傷となりくっきりと残っていた。消えるまで、暫くかかるかもしれない。


 自室に戻り、廊下に向かって歩こうとした時。枕を片手に持つ里葉が、俺の服の裾を掴む。



「ねえ……ヒロ。一緒に寝よ? さとは、こわいです」



 その言葉を聞いて、彼女を慮らなかった己を恥じた。彼女はついこの前まで、絶望の淵に立たされていたんだ。また、何かが起きるんじゃないか。誰かが襲いに来るんじゃないか。そういう気持ちになって、怖くなってしまうかもしれない。確か、布団はまだ収納の奥の方にあったはず。彼女と同じ部屋で、一緒に寝よう。


 彼女の寝室にお邪魔する。里葉の匂いがするそこが、妙に妖艶に感じた。


 襖からもう一枚、自分用の敷布団を取り出そうとした時、彼女が俺に声をかける。


「ヒロ。いっしょのお布団がいいです」


「…………ああ」


 お姫様座りをする彼女が、豆電球の明かりに照らされている。久々に見る彼女はやっぱり綺麗で、可愛くて、大好きだと思った。


「ねえ……ひろ。今日、ひろがみんなに向かって、いろいろ言ってたじゃないですか」


「うん」


「それで、聞きたいことがあるんです」


 彼女は、上目遣いでこちらを見ている。どこか緊張した様子の彼女を見て、浮き足立つような気分になった。


「竜に捧げられた、いけにえの女の子は竜の下でどうなっちゃうのか……おしえて?」


 左手首に付けられた、白藤の花が煌めく。








 白川家の工作を端に発生した、雨宮家を中心とする一連の騒動。妖異殺しの名家とDSプレイヤーが主役となったその戦いはのちに”白川事変”と呼称され、深い爪痕を残した。


 重術の名家、白川家が抱えていたスキャンダルは続々と白日の下に曝け出され、重家に大きな衝撃を与えた。また、白川家は当主を含めた多くの人材を喪失し、実質的な崩壊状態に陥る。この結果を受けて、千年以上の時を紡ぐ重家の峰々は、史上類を見ない変革を求められていた。


 対し、”驚嘆の重術師”空閑肇の手により生まれた『ダンジョンシーカーズ』は、そのプレゼンスを更に向上させた。


 白川家が大打撃を受ける直接的な原因となった人物、倉瀬広龍は仙台出身のDSプレイヤーであり、また、竜の力を振るう彼を一時抑えつけることに成功したのも、同じDSプレイヤー、楠晴海、戌井正人の貢献によるものだったのである。


 今回の戦いの主役は、空閑肇が生んだとも言える、DSトッププレイヤーとされる彼らだった。

 この事実により、DSを認めていなかった中立の重家も態度を変えていくことになる。


 雨宮と白川の重家の峰々ではあまり見られない、存亡を賭けた戦争。その後処理は一週間経っても未だ終わらず、協議を必要としていた。







 白川、雨宮、重家の司法機関に当たる重家探題。名家。全てを交えたその会議は、未だ終わらない。


 雨宮の代表者として出席を続ける雨宮怜は一時雨宮の城に戻り、休憩を取っていた。彼女の仕事は激務と言って間違いなかったが、彼女はどこかいきいきとしている。


 雨宮の墓場にて。誰かの墓の前に立っている彼女は、風を浴び、感慨に浸っている。そこへ、一人の青年が訪れた。


「こんにちは」


「……広龍。お久しぶりです。あれから、どうですか」


「怜……さん。俺も里葉も元気です。実は、話があって」


「どうしたんです?」


 振り返り、笑みを浮かべた彼女に向けて彼は言う。


「その、改めて……里葉にプロポーズをしました。彼女はそれを受け入れてくれたので、そのご報告に」


「……断るわけがないでしょうに」


 里葉から送られてきていたメール、写真たちのことを思い出した怜は苦笑した。

 白川という共通の敵を相手に、彼と彼女は協力して奮闘した。大事な人のために戦った二人はどこか、戦友の連帯感を持っている。


 しかし怜は、そんな近くなったはずの距離が、どこか変容しているように感じていた。


 気恥ずかしそうな顔をした広龍が、静かに言う。


「それで……その……変な感じがするんですけど。これからよろしくお願いします。義姉ねえさん」


「……」


 きょとんとした顔の怜が、その言葉の意味に気づき、破顔した。浮かべられた満面の笑みは、新たな関係の上に立つ、親愛の情を示している。


「ええ! 広龍。いや〜本当にもう、この城で会った時はマジで怖かったんですからね!」


「……ごめんなさい」


「ま、義理の弟ですから。許してあげます! これからもよろしくお願いしますね!」


 明朗な声が響く。彼女たちの未来は、無限大だ。



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