第七十四話 残躯なき征途
黒漆の大地の上。強く地を蹴り、突貫する。
振り上げる刀。体と尾に氷雪を纏わせ空飛ぶ大剣と化した銀雪が、唸り声をあげる。
両腕を交差させ、どこからともなく妖刀を呼び出した老桜が二刀を握り俺を迎え撃った。
「チィッ! こんの馬鹿力が!」
流石に、一合で彼女を堕とせるとは思っていない。後方。俺の背後を取った義重が剣を構え、斬りかかろうとした直前。彼を押しのけ、楠がいきなり突撃してきた。
「ときめくねぇ! 倉瀬くん!」
彼女の両腕に灯る、白の病魔。あれに触れたら、良くないことが起きるという確信がある。
老桜と剣を結び合う最中。浮かべた黒雲から雷を落とし、彼女を迎え撃った。
「アハハハハ!」
体をひねり両腕を地につけ、飛翔。アクロバティックな軌道を取る彼女に、落雷が当たらない。人間の目で捉えられるような速度ではないのに!
「ふはははははっ! やはり童は、面白いものを作ったのう!」
「一度どけ」
竜喰を手放し、両腕に地をつける。腰を上げ、蹴りを強く彼女の鳩尾めがけ放った。
直撃を受けた老桜が妖刀を手放して、吹き飛ぶ。
魔力障壁を粉々に破る感触がした。しかし、奴の本体にダメージを与えられていない!
「!?」
刀を拾いながら、翻るように反転し楠を迎え撃つ。
魔力の灯る両腕。全てを喰らう刀。二穿はぶつかり合い、暴れ狂う魔力が大気に飛び散っていく。
汗をダラダラと流す楠に、今の俺を抑えられるほどの力はない。
勢いを後ろに逃がすように、跳躍し後退した楠に替わって義重が前に出る。鳩尾を蹴られ一時場から離れた老桜も、空を飛びながら凄まじい勢いでこちらへ向かってきていた。
……全員の能力は、だいたい把握した。やはり、この均衡を生み出しているのはあの老桜だ。まずは奴をどうにかしないと━━!
老桜の後方。妖刀は鋒を向け立ち並び、こちらに照準を合わせている。
「本領を見せるといったな。竜よ。妾も、それに応えようではないか」
彼女は両手を構え、重世界の流れを手元へ引き寄せる。発動のためには、魔力を無窮の世界から持ってこなければならないという大術式。
瞬間。
「━━『夢幻の如く』」
黒雲は霧散し、銀雪の氷雪は溶けた。体を包んでいた竜の魔力は消え去り、身に纏う甲冑、握る刀が、途端に重くなったような気がする。
魔力が、切れた?
放たれた妖刀は、一斉にこちらへ突き進み。
今できる最大限の回避を取ったあと、両腕を交差するように構え、防御の姿勢を取る。
三本の妖刀が、俺を串刺しにした。
「かぽぉ……」
コップから溢れ出したお茶のように、口から血が溢れていく。呪いは体を蝕み、視界が暗くなって、刹那、自身の魔力が戻ってきていることに気づいた。
きも、ちわるい。
「……『曇りなき心月』と、共に」
自身の治癒を行いながら、妖刀を体から引き抜く。口に溜まった血を吐き出し、再び魔力を展開した。
意識は明瞭になり、今行われたことがなんだったのか察する。
『術式の強制解除』━━━━里葉が敗れた原因はそれか。
しかし何らかの条件があるのか、『不撓不屈の勇姿』などが解除されている一方、『残躯なき征途』の効果は切れていない。竜の体が素で強いのもあるだろうが、こいつがあったから耐えられたのだろう。
竜の血が暴れ狂う。宿主を生かそうと侵食を続けるそれは、だんだんと、
……里葉。
重世界より注がれる熱視線。空想の獣がそれを咎めた。
火照る体から、熱が抜けていく。竜に侵されていた体は、たった今感覚を取り戻した。
重家の峰々のどよめきが広がる。楠は苦笑し、義重は戦慄して、老桜は笑った。
「これはのう、戦国の世に現れた”最悪の空想種”の術式よ。本物には大きく劣る上に、妾も早々打てんがな」
……態とらしく語る老桜を見て、確信する。これはブラフだ。外から持ってきているという特性上、術式の発動に疲れが溜まることはあるだろうが、その莫大なコストを直接払っているわけではない。これは、一度しか打てない大技というわけではないはず。
空想種たる俺に、そんなブラフが通じると思っているなんて。
いや、彼女は俺が重世界の流れを見れていないと考えているのか━━?
…………
「……ぼ、僕は」
血を頭から流しながら、折れかけている腕を吊り、ふらふらと歩いて。
とっくのとうに退場していたと考えていた、戌井がやってくる。あの一撃を受けて、生きていたのか!
戌井は呆然と立ち尽くしたままで、何かしようという気配がない。
彼に気を取られている隙に、楠が静かにユニークスキルを発動した。
「……『魔海の熱帯林』」
彼女の背後から、立ち並ぶように色とりどりのサンゴ礁が現れる。
サンゴ礁の狭間から。姿を現したのは、様々な妖異だった。
わけわかんねえ能力しやがって……
巨大な蟹がのそのそと歩いてきて、俺にその鋏を向けようとしている。
回遊する魔魚の群れが俺に目をつけて、ゆらりゆらりと迫ってきた。
空に浮かぶように見える海月からは魔力が迸り、今にも魔弾を射出しそうである。
まだ増えるか!
義重に向け濃青の斬撃を放ち、近づけぬよう牽制する。楠の面妖な
蟹を竜喰でぶった切って、降り注ぐミサイルのように飛来してきた魚の群れを銀雪を用い纏めて冷凍する。地中から顔目掛け、爆発するように発射された二枚貝たちは首をひねるだけで回避した。
「『夢幻の如く』」
やはり、二度目。背後を取っていた老桜の不意打ちを受け、再び魔力が解ける。
その時。サンゴ礁から凄まじい数の”渦鰻”が迫り、甲冑の上から俺に吸い付いた。魔力障壁もなしにこいつに吸い付かれたら体が麻痺するという話だったが、たかだか雑魚の毒、この竜の身にはもう通用しない。
「……同じ手が通じると思うのか!」
予め魔力をぶち込んどいた竜喰を振るい、濃青の斬撃を飛ばす。渦鰻と追撃を企んでいた老桜を吹き飛ばし、その間に魔力を回復させた。
老獪な老桜を、なかなか堕とすことができない。彼女をヤッたあと、障害になりそうなのは楠だけだ。やはり、老桜を倒さないと。
彼女を倒せる可能性のある選択肢として、常に勝負所で俺を助けてくれた『秘剣』があるが、それは今複数の敵を相手にしている現状を考えると使うことができない。隙が大きすぎる。それに、老桜に返す手段がある可能性を否定できない。
長引きすぎるあまり、他の重家が参戦してきたりしたらかなり面倒なことになる。やはり、勝負を決めねば。勝つための手を、考えろ。
四対一。手練れのプレイヤーを相手に、一人だけで戦況を優位に進めさせるその姿を眺める里葉は、ただただ祈りを捧ぐ。
彼に妖刀が突き刺さった時は、思わずやめてって叫んで、泣き出してしまいそうだった。それでも彼が動き出して、戦い続けた時には涙が溢れた。
(お願い……! ヒロ! しなないで!)
願いを込める両手。白藤の花は煌めく。
決着が近い。
向こう側へ。あの向こう側にいる、彼女を再び抱きしめるために。
白川の重世界空間にて。刀を握り、勝利への道筋を描いた。
ただ冷静に、淡々と敵を喰らってみせろ。
振るわれる病魔の手。それを弾こうと、籠手付きの左手を振るった。
黒漆の甲冑に、白色の斑点が着く。『復元』の能力が発動し、修繕していくものの……その治りが遅い。
追撃を狙い、桜の花びらの弾幕を放つ老桜の攻撃を竜鱗の魔力障壁で防ぐ。こちらへ向かってくる義重と魚の群れへ迎撃の氷息を放ち、牽制した。いや、牽制どころか、強化された銀雪は、そのまま義重を殺してしまえそうなほどの力を持っている。
痛みをこらえる義重は、手に凍傷を負っていた。力で圧倒的に劣る楠はヒットアンドアウェイを繰り返し、俺を翻弄するように立ち回っていて、危うくなった時には老桜からの援護が飛んできている。
綱渡りの均衡。連戦により強化され圧倒的な力を振るう竜と、それに向かう能力者たち。どちらに、いつ転んでも、おかしくない。
一度、深呼吸。さらに魔力を強め、構えをとった楠を見据える最中━━━━
ずっと棒立ちしていた戌井が、空を見上げながら呟いた。
「いつもいつも、流されるように楽な方を選んできた僕の人生……保証人になってできた、借金を返すために始めることになったDS……僕は、いつもいつも、全部全部受け身だ」
「典型的な、ダメ人間。平凡。誰一人、僕に興味なんて持たない」
……戌井正人。β版DSランキング十五位。妖異殺しの襲撃ののち、繰り上がって八位となった彼。
明らかになっている特異術式は『負け犬の逆転劇』。しかしそれは名前だけで、その能力の全貌は分かっていない。プレイヤーの能力を知っているのは空閑だけのようで、責任者の立場にある怜さんも知らないと言っていた。
さあ。何が来る?
倒れこむようにして駆け出した彼が、俺に向かって拳を振るう。魔力を纏ったそれは、楠のものに比べあまりにも微弱。
ただ受けに回っただけの刀で、彼の左手の甲に深い切り傷がついた。彼を相手にする最中、銀雪を使い、他の三人を牽制する。
「いつも負けて負けて負けてッ! でもッ! まだ、ここから━━!」
彼の心身は、爆発するように輝く。体にこびりついているようにすら見える泥色の魔力が、迸った。
ま、ずい。
「『
不恰好に放たれたその右拳は、俺の胴目掛けて。
その拳撃は、氷雪を纏っている━━━━!!
緩急をつけたその一撃に、魔力障壁を強化する。
黒漆の魔力は彼を阻もうとして、耐えきれず、甲高い音を鳴らして割れていった。
直撃を貰い、空へ吹き飛んだ。
彼が俺の一撃を貰って吹き飛んだ以上に、強く飛ばされた。空中で竜魔術を展開し減速を試みるも、失敗する。彼の一撃は、今まで戦ってきたどんな敵のものよりも重い。
重世界空間の中。偽りの空の限界に到達し、今、強くぶつかった。青空の壁に罅が走り、衝撃を一身に受けて喀血する。ぐしゃぐしゃになっている黒甲冑は凍っていて、その能力が何かを察した。
……カウンター能力。俺の最初の一撃を受けて、それ以上の逆転の一手を放った。
誰もが予想しなかったこの事態に、皆が瞠目し、戌井のことを見つめている。
さと、は。
彼は負け犬なんかには見えない、精悍な顔つきをしていて。
こいつ……土壇場で強くなるタイプか!
空をゆっくりと落ちていきながら、『曇りなき心月』を使い回復を始めた。形勢逆転。想定外の一撃を見て勝機を見出したのか、老桜は空を飛び、義重は刀に魔力を込め始めて、勝負を決めようとしている!
「勝負あったな。竜よ。まさかその一撃を決めるのがそこの男とは思わなんだが……これで詰みよ」
絶体絶命の危機を前に、竜の瞳が第六感を以って、未来を映す。
これから訪れる、その景色。
かの術式解除の大技を放たれた後。宙にあり身動きが取れない俺へ、死力を振り絞った義重の奥義が飛んでくる。それは竜を殺すのには十分でないものの、その後続けて放たれた老桜の魔力、妖刀を一身に浴びて、そのまま墜落した俺は地に伏せた。
そして俺は……消すことのできない老桜の炎に焼かれ、灰燼となる。
戌井は唖然とした顔をして、楠は銀雪を相手にしながら、退屈そうな顔を見せている。
白川の家のものは哄笑し。
その先にいる、里葉は?
壇上の彼女は全てを諦めたような、潔い顔つきをしていて。今行きますね、と俺の名前を呼んだ後、彼女は隣に座っていた義広の打刀を奪い去り、それを勢いよく首に当てた━━━━
その未来だけは、許さない!
ああ。老桜が今重世界の扉を開き、その流れを誘導して魔力を集めようとしている。戌井の一撃を受け、それを止めるだけの反撃ができない。しかし、勝機はここに。竜の瞳は、そこに勝機を見出した。
「━━『夢幻の如く』」
『曇りなき心月』による回復の効果が切れ、魔力が消え去る。今の自分に残っているのはこの竜の体、そして、今なお唯一発動し続ける『残躯なき征途』のみ。
今、この瞬間。彼女を取り戻すこの時にこそ、自らと向き合う。
彼女を救うためのこの戦。ただ愚直に準備を重ね、様々な手を打った。
この重世界空間に乗り込み、剣を振るって戦い続けた。何も感じず、考えず、ただ彼女を救うためだけに。
しかし、死にかかっている今だからこそ言える。彼女が、無事だったというのもあるだろうけど。
手元に重世界の流れを引き寄せている老桜に向け、空いている左手を真っ直ぐに伸ばした。
人差し指を中指、小指を薬指につけ、親指を伸ばし、竜の指を模す。今ここに、竜の根源を。倉瀬広龍という人間の、本質を。
「━━それは、『残躯なき征途』」
瞬間。この世界に雪が降った。白川の重世界は竜の棲家に呑まれ、相対する彼ら、そしてその向こう側にいる彼女と白川の者たちだけが、
白雪の積もる街。竜の棲家と呼ぶには、それはあまりにも近代的すぎた。
誰一人いない暗い夜道を進み、青年は処女雪を踏み散らす。小さな幸せを失った彼は壊れ、一人で生きていくことを決意した。
去り際にて一人。白い息を吐いた彼は、向こう側の
彼はどこかへ消え、そして街もまた消え去っていき、最後に、降り積もった雪だけが残った。
雪の世界に、大きな大きな、黒漆の独眼龍が現れる。
畏怖の呪いを前にして、楠と老桜、里葉を除いた全員が、恐れ戦いた。
竜の指を使い、竜の権能を振るえ。今、この世界は完全に、
何が起きているかもわからない。誰もがそう感じている中、老桜だけがこの能力の本質に気づく。俺がやろうとしていることを察して叫び声をあげた彼女は、今、魔力のない俺を仕留めようと━━━━
後方。誰も察することができなかった。新たにやってきた六人目の戦士が、能力を発動した。
「広龍様!」
澄み渡る、仁武の鐘の音色がした。
それは老桜の動きを、ほんの少しだけ阻害して。
なんという好援護! ここまでの援護を受けたのは、里葉以外に彼しかいない!
宙に身を置く老桜の手元。開かれた重世界の扉を、
吸い込むような、渦巻く流れ。龍脈たる重世界の動きを操作し、彼女を取り込もうとした。
「まずっ!? ちょ、それだけは本当にまずいぞい! う、裏世界側の流れに乗ったらいくら妾でもぉおおおおおおぬぉわああああああああああ!?!?」
生まれた渦に下半身を飲まれ、這い上がろうと全力で手を動かす老桜。抵抗を続ける彼女を、なかなか堕とすことができない。
あの渦の付近は今、重世界の流れに飲み込まれてしまう超危険地帯となっている。自由に重世界の行き来ができる空想種を除いて助けに入れる者はいないが、時間をかけ老桜がまた不思議な
「うおおおおお!! 見よ! この妾の華麗なるクロールを!」
どこまでもしぶとい……早く死ねばいいのに。死ねよ。
そう、思っていた最中。
どこからともなく現れた毛むくじゃらの何かが、宙をくるくる回転して、ゆっくりと突貫する。
「ぬっ」
「な、なんじゃこいつっ!?!? は!? に、二匹目じゃとォ!? え、いや重」
老桜のおでこに直撃したその毛玉が、とどめを刺す。消えいくような叫び声を響かせながら、老桜は重世界へ飲み込まれた。手柄を主張するような、何かを訴えかけるような顔を見せたささかまは、再び姿を隠す。
「…………まあ、いい」
魔力を取り戻した体が、再び力を取り戻していく。楠に抑えられていた銀雪は今、俺の元へ帰還した。
ゆっくりと着地した俺目掛け、決死の表情を浮かべた義重が斬りかかってくる。
「……倉瀬広龍ゥうううううう!!!!」
「手出し無用だ。片倉」
刀と刀で、斬り結ぶ。
技もへったくれもない寂しい剣戟の音が、響いていた。
彼を、俺は斬る。
袈裟切りを決めた竜喰。灰燼となり爆発した音は、白川の剣が折れる音だった。
残りは、二人。
「来てよ倉瀬くん! 邪魔もいなくなったしさぁ!?」
魔力を迸らせ、手をクイクイと動かす楠。挑発するようなわざとらしいその動作を見て、怪訝に思った。しかし、その先にいる人物を見て彼女が考えていることを察する。
「銀雪」
言葉に応え放たれた、白銀の光線が轟音を鳴らし突き進んでいく。魔力を高め、あたかも受けるかのような素振りを見せた楠は、直前で回避をした。
白銀の光線が行く先にいるのは、DS運営と、特別に招待されたプレイヤーの面々である。
「え━━?」
最前列。青い顔をしている彼女は、遅れてその攻撃に気づいた。
「く、楠さん! あっちには、皆さんがいらっしゃるんですよ!?」
「え? 戌井くんはあのクソメガネに腹が立たないのかしら。いいじゃないの」
「ち……くそぉ!」
白銀の光線とDS運営陣。戌井正人はその間に入り込み、術式を発動する。
銀雪の一撃を、どうにか吸収しようとする彼。しかし、二回目を行う余裕は彼にない。
崩れ落ち、戌井は倒れこむ。体と魂はボロボロになり、声を発する余力はなかった。
彼の真後ろには、彼のことを蛇蝎のごとく嫌っていたプレイヤーの立花がいる。
「あ……私は……私は……」
……空閑の実力は分からずじまいか。
向き直り、白川の者たちの方を向く。彼らと俺の間にいるのは、あと一人のプレイヤーだけだった。
いくさびと。楠晴海。
「一騎打ちっていいね!」
振り上げた刀と、白き病魔を纏う両手がしのぎを削る。銀雪の氷息を彼女は跳躍して回避し、イルカみたいな見た目をした謎の生き物に騎乗した後、彼女は距離を取った。
再び地に足をつけた彼女は、迎撃の落雷を回避しながらこちらへ向かってくる。跳躍し回転したタイミングで、足もとに装着したナイフを投擲した。
籠手でそれを弾いた後。刀で彼女の右手を受け止める。最後の障害となった楠。当然のように互角の戦いを演出する彼女を見て、考えた。さて、どうするべきか。
「ハハハハハッ!! 楽しい! 楽しいよ倉瀬くん! 私たち相性ぴったりかも!」
「……おい。楠。俺も楽しいと言いたいところだが、今はそういう状況じゃない」
思っていたよりも、低い声が出る。その声を聞いて、楠は返答した。
「……金貰ってるし倉瀬くんが人ぶっ殺しまくってるから戦えると思って出てきたんだけど、もしかして私結構無粋なことしてるかしら?」
「……ああ。それもかなり」
「じゃあ、倉瀬くん。手引くからさ」
この間にも俺の刀を押し切ろうとしながら、彼女は言う。
「年も離れてるけど。対等な、友達になりましょうよ」
「……ああ。いいぞ」
「じゃ、降参します。なんか悪いことしたから、一発殴っていいよ」
パッと両手を挙げたウェットスーツ姿の楠に向け、
「ごぶぇっ」
魔力障壁の割れる音がした。
宙を勢いよく回転する彼女は、衝撃を逃し明らかに受け身を取っているが、あたかも力尽き倒れたかのように演じている。
……甲冑の音を鳴らし、その先へ向かった。
何人たりとも、その道を阻むことはできない。
「ま、待てィ! こ、ここから先は、白川の妖異殺したる私が━━」
目も向けず、叩き切った。
「お、御館様! い、今すぐお下がりを!」
道を阻む妖異殺しの露払いを、尾に氷雪を纏わせた銀雪に託す。
彼女の顔が、どんどんと近くにくる。両手を口元に当て感極まった表情を見せる彼女に、面頬越しに笑みを浮かべた。
前方。俺の視界の中で、里葉の顔を遮りやがった男がいる。
「……白川の筆頭重術師。鳴滝がお相手する」
「……あ?」
柄を握る力が、思わず強くなる。
「お前か? 俺の地元で、舐めた真似をしてくれた奴は」
「……っ」
「失せろォッッ!!」
「う、うわぁあああああああああああああああ!? や、やめてろぉおおおおっ!?」
竜喰を、一閃。彼の魂を喰らい、体を灰燼とさせる。
彼女と俺の間に障害はなくなり、今目の前には、すべての元凶となる男がいた。
竜の瞳は、奴を無機質に見つめている。
「……戦に敗れたものの末路。知っているな」
「き、きききさまままままっ!! わ、我が雨宮を取り込まんとしたのは、すべて白川がため! じゅ、重家には重家の正義がある! し、しかし!」
手を俺に向けた奴の、表情が柔らぐ。
「お、お主にもまた、雨宮の正義があったのだろう! しかし我らは、同じ重家! 重家が存亡を懸けた戦など、妖異殺しにとって百害あって一利なし! ど、どうだ、ここらで手打ちにするというのは」
「…………」
……そちらから仕掛けてきたくせに、よく言う。
無言で魔力を高めた俺の威圧感を受けて、奴が勢いよくDS運営陣の方を見た。
「く、空閑肇ェ! 驚嘆の重術師よ! き、貴様らが産んだ暴竜により、こ、この重術の名家、白川が潰えてしまう! こやつを放っておくことは、妖異殺しとして許されんぞ!」
唾を撒き散らす彼を見て、空閑は静かに返答する。
「……白川義広さん。この戦の大義、それは、そこの竜にあります」
「な、何?」
「宮城県仙台市で起きた、民間人の連続殺害事件。そして、先日”重家探題”により制圧され拘束された、DSプレイヤーに対し不当な襲撃を繰り返していた者達。それらと貴方達白川を関与付ける決定的な証拠が、ありましてねぇ」
空閑が懐から取り出したのは、
「あ、ああああ、ああ、ああ…………」
恐怖に慄き呆然と座り込んだ義広が、静かに失禁した。
ぽたぽたと尿が、壇上から落ちていく。
なんて、みっともない。
「汚ねえな。黙って逝け」
躊躇いなく、竜喰を振るった。首を断ち、奴の体もまた灰燼となる。
これで、里葉を苦しめる奴がまた一人消えた。
ああ。一刻も早く。
……今はただ、彼女のために。振り返り、里葉を抱きしめるようにしながら、抱え上げた。
久々に見る里葉は泣き疲れた、くしゃくしゃの顔で。俺に笑みを向けている。
「えっぐ、ひっぐ、うう、うぇ、ひろ。ひろ……」
「大丈夫だ。里葉。俺はここにいる。大丈夫」
誰にも聞こえないように囁き合いながら、階段を降りて、重世界の外へと向かっていく。前の方には、命令を愚直に守り待機を続けていた、片倉の姿があった。
彼女は前みたいに、俺の首に手を回して。
穴が開くんじゃないかってくらいに、ずっと俺の顔を見ている。
「……片倉。一度、俺は里葉を連れて仙台に帰る。後処理を、怜とお前に託した」
「了解しました」
その去り際。ゆっくりと振り向き、空閑の方を見た。
「おい。空閑……」
「はい。なんでしょうか」
「お前が何をやろうとしたのかは分かる。俺は奴らを徹底的に潰し、全てを変えられるだけの機会を得たし、実際その通りに事が運んだ」
俺の意思に応えた銀雪が、氷息を放つ。
顔の真横を通り過ぎたその一撃に、空閑は瞬きすらしていない。
「……俺は『ダンジョンシーカーズ』を作った貴方に、感謝している。それは、俺の全てを変えてくれた。今回見逃すのは、その借りのため」
「はい。わかりました。では、今後ともよろしくお願いします」
「……食えない奴だ」
今は誰も、俺たちのことを邪魔することなんてできない。重家の峰々は静かに俺たちの姿を見送り、この後何をすべきか思索を続ける場面で。
数えきれぬほどの妖異殺しが、俺と里葉を囲んだ。
「よくも……よくも御館様を」
見れば彼らのほとんどが傷を負っていて、彼らは連戦を行おうとしていることが分かる。
刀を構え交戦の構えをとった片倉が、静かに呟いた。
「……雨宮の城から撤退してきた者達です」
面倒、くせえな。クソ。
一触即発。魔力を放つ彼らが、特攻まがいの戦を始めようとしたその時。
抱きかかえられる里葉の下。重世界の扉を開き、何かを訴えかけようとするそのデブ猫が、ただ叫び始めた。
「ぬぬぬぬぬぬぬっぬっ! にゃあああああおおおおおおんん! おん! おん! にゃにゃにゃにゃな、なおおおおおおおん!!」
里葉の方を見上げながら騒ぐこのデブ猫は、まず間違いなく何かを里葉へ訴えている。しかしその姿は、まるで天に向かって吠えているように見えなくもない。
本物の空想種の圧が、場を満たす。
重家の峰々は、新たなる厄災の登場に戦慄した。
たった今攻撃を始めようとしていた妖異殺し達は、恐れ戦いて混乱し始める。彼らは武器を捨て、一斉に散らばっていった。
初めてその猫の姿を見る片倉が、目をひん剥いてダラダラと汗を流している。恍惚としてぽやぽやたいむに突入している里葉は、ささかまに一切気づいていない。
今、このデブ猫の訴えかける悲痛な姿を見て思い出す。そういえば最近、忙しすぎて笹かまぼこをあげるのを忘れていたような……
遠く遠く。俺たちの姿を見送ろうとしている空閑が、冷や汗を垂らしながら口にした。
「……流石に、そこまでは予測してませんでしたね」
……このままここにいると、混沌を極めて重家が決死の空想種討伐作戦を始めてもおかしくない。早く帰ろう。
「……里葉。能力を発動してくれ。俺たちの家に帰ろう」
「す、すきすすすきすきすきすき、透きとお、すきすすきとおすきすきすき、すすすすすすす、すきです。ひろぉ……」
里葉がコアラみたいに、俺にひっついている。それを、全重家が目撃していた。
「……………………」
全てを怜と片倉に託し、無言で重世界空間へ扉を開く。
彼女を抱えて、この世界を後にした。
重家の峰々はそれから、こう、まことしやかに囁いたらしい。
竜は、化け猫の空想種を従えていると。
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