第六十九話 慄け 我が名は独眼竜



 ━━決戦の日を迎える。


 俺は一仕事終えたあと、雨宮の墓地を訪れ、ある男の墓前に立っていた。


 この二週間。出来ることは全てやった。

 彼女を救うため、全ての手を打った。

 皆の力を借りた。


 ……だがそれでも、確信を得ることなんてできない。


「……里葉を助けるために。どうか、力を貸してください」


 頭を下げ、祈りを捧ぐ。


 瞬間。風が、強く吹いていた。


 ……今では強く信頼する彼が、俺に報告をあげようとやってきている。


「……広龍様。全ての準備が完了しました」


「ああ。ありがとう片倉。では、行こう」






 


 雲を掴むように把握できない雨宮の動向を探り続けた白川の妖異殺しは、突如として現れたその男たちに、強く驚愕した。

 

 たった一人の供を連れ、白川の重世界へ向かう男。その男が隠すこともなく発するその重圧は、有り得ないと断言できるほどのものだった。特にその男の右目は、を思わせる。


 彼がその道を阻もうとしても、おそらく数瞬も持つまい。凡庸な彼は己の実力は理解している。しかしだからこそ、奴らの動きに勘付くことができたのだ。


 東京の街。人々が歩く、その歩道にて。


 (バカめ! 奴らを白川へ遠ざけるだけなら、いくらでも方法がある! 今この場を火の海に変えてしまえば、奴らとて無視はできまい!)


 駆け抜ける彼らの頭上。レストランの看板を撃ち落とし、注意を引いた男は殺意を向けた。


 何事かと戸惑い、道行く人々は逃げ回る。道端で、杖をついていたおばあちゃんが腰を抜かしていた。

 落ちてきた看板を、難なく回避した右目の男。静かに自身を見つめる彼の瞳に、男は身の毛がよだつ思いである。


 反応を見せぬ彼に代わって、コートを着ている供の男が一目で名刀と分かる剣を抜刀した。

 それに合わせて、魔力により生成された小さな黒釣鐘を、彼が握る。


「……広龍様。私が対処します」


「託した。俺は行く」


「クッ! 白川へ行ってもいいのか!? この町を、灰塵に変えてやるぞォ!?」


 男はその叫びを無視して、重世界へ潜った。

 突如として斬りかかってきたコートの男を相手に、彼は抜刀する。









 白川本家の重世界にて開催される、祝賀会。人数の規模はそれぞれ違うものの、重家の峰々と『ダンジョンシーカーズ』に関わるものたちは、この歴史的瞬間を見届けるため集まっていた。


 道を挟み込むように集まった、重家の峰々。当主の出席を表明した重家の多さから、事の重大さが分かる。


 会場の奥。壇上。煌びやかな和装に身を包んで一人座り込んでいる里葉は、供を一人も連れずやってきた姉の姿を見た。今、里葉の隣には白川家当主、白川義広が座り、供として白川義重、鳴滝、そして最重要の来賓として、老桜が座している。


(姉様……ごめんなさい)


 暗い表情のまま一人懺悔した彼女は、姉に頭を下げるように俯いた。その時、血を分けた姉妹にしか分からないほどの、些細な異変に気づく。



 実姉の怜が、闘志に溢れる目つきをしていた。



「ほほほほ。鳴滝。そろそろ、開始の時刻かの」


「はっ……ついぞ、雨宮分家は現れませんでしたね……何かあったのやもしれませぬ。念を入れて、使いの者を送っておきましょう」


 上機嫌に怜を見つめ、その後里葉の顔を舐め回すように見た義広が、重家の峰々に開催を号令しようと、声を発そうとしたその時。


 後方よりやってきた彼の部下が、義広に耳打ちをした。


「……何? 狼藉者? たった一人ならば、何故対処が出来ぬ」


「それが……べらぼうに強いとのことで。警備のものたちが苦戦しているようです。おそらく、雨宮の悪あがきでしょう」


「義広様」


 その会話を横から聞いていた義重が、自信満々に胸を張る。


「この義重の義弟、湯渉ゆしょうに任せてみては如何でしょうか」


 予めこういった事態が起きた時のことを考慮し、準備をさせていたのか、臨戦体制を既に整えていた湯渉という妖異殺しが彼らの元へやってくる。


 彼の巨躯を以ってすれば、狼藉者の一人や二人、簡単に制圧するだろう。


「ほっほほほほほ。義重の義弟か。よかろう。その狼藉者を討ち取り、見事戻ってきた暁には褒賞を与える」


「ありがたき幸せ。では、行ってまいりまする」


 槍を片手に魔力の片鱗を見せた男は、迎撃に向かう。その雄姿を、上機嫌に義広は見送った。







 未だ開催を宣言せぬ本会場にて。

 煌びやかな和装に身を包み、老桜の持っていた魔道具によって拘束されている里葉は、一人歯噛みする思いだった。


 (……終わらせるなら、さっさとしてほしいのに)


 なかなか、焦らすように会は始まらない。


 ……どうやら、白川の者たちが騒がしいようだ。重家の峰々は何事であろうかと怪訝に思っているようで、楽観的な保守派の者たちは緩んだ顔で遠くを眺め、何かを知っているように見える重家のみが、警戒体制を整えている。


 その時。彼らの元へ、剣戟の音が響いた。雪崩れ込むように逃げ込んできた白川の者たちが、迫る一人の男へ白刃を向ける。


「クッ!? この化け物がァ!」


 一人の妖異殺しが胸を素手で貫かれ、灰燼となった。


「う、うわぁあああああああああ!?!?」


 刀で袈裟切りにされた妖異殺しは、血を吐き崩れ落ちるように灰となる。

 誰もが唖然とする中。会場に飛び込んできたのは、へし折れた槍を持つ一人の妖異殺しだった。



「あ゛あああああ゛あ゛っ!! 死にたくないッ! 義兄様ッ! どうか、お助けをォッ!」



 頭から血を流し、魂と体がボロボロになっているその姿を見て、義広と義重は瞠目している。


 彼の体に深々と傷を残すのは、黒漆の魔力。



 ──その到来を予感する。



 背を向け、逃げ込むようにやってきた湯渉という妖異殺しは、突如として現れた男の拳撃を貰い、当主義広の元まで吹き飛んでいった。当主の目の前で魂が割れ、灰塵となったその死骸が義広に降り注ぐ。


 ──その息遣いが、ひどく空間に響いた。


「だ、誰じゃ。貴様」


「……」


 迷彩服に身を包み面頬をつけるその男の瞳が、彼に返答するよう変貌した。

 細長い縦目となったその瞳に合わせ、彼が身に包む装備は一変する。


 黒漆の甲冑。良く色染めのなされた、藍色の陣羽織。

 握る剣は竜殺しの魔剣を思わせ、世界から開け放れた扉から、一匹の銀龍が彼に寄り添う。



『クルルルッルルルルゥううううォオオオオオオオオッッ!!!!』



 空へ向け、放たれる氷息。その存在を、戦慄を、知らしめるよう。

 偽りの雲を、冷気と共に吹き飛ばした。


 白川本家の重世界を包むほどの威容、その黒漆の魔力を見て、重家の峰々は驚愕する。


 彼らの体に流れる血が、本能的に理解した。あれは、空想種だと。いや、その容貌からして、歴戦の武士であるやもしれない。待て。彼が身に纏う陣羽織に施されたその家紋は。


 ━━剣片喰に水。


 雨宮紋。


「貴様ッ!! この白川家当主、白川義広が、貴様が何者かと問うておるッ!」


 瞬間。義広の言葉に覆いかぶせるように、彼は口を開いた。

 面頬から皆に聞こえる、『拡声』された声が響く。


 ──涙を、零してしまいそうで。



「見ての通り、俺は独眼の竜。貴様らから、その乙女を奪いに来た」



 男が剣の切っ先を向け指し示すのは、藍銅鉱の乙女。突如として竜がやってきたという驚きに、目を見開かせ荒い息を零す彼女は、思いを抑えきれない。


「そこの乙女は実に美しく、その無垢な瞳は、幾千の宝玉の輝きに勝る。貴様らには勿体無いほどのもの。故に、奪いにきた。ただそれだけの話」


「……妄言を垂れおってぇっ! 我らの下にこの雨宮の娘を迎え入れるのは、重家律法の下になされた確かな約定であり━━」


「知るかっつてんだよ。ボケ。


 魔力を伴ったその一声で強制的に義広を黙らせた彼は、鷹揚に手を広げる。

 そして、嘲笑するように笑みを浮かべた。




「竜に見初められた乙女と、その周囲のものが出来ることなどただ一つ。贄としてその身を、竜に捧げさせるだけだ」




 彼のその言葉は、傲岸不遜であろうか。否。竜の意思は、千の道理に勝る。


「き、きききききさ、きさまぁああああああああッッ!!!!」


 事情を察するものは、ただ彼の姿を見て驚愕した。正気を疑う。彼の姿を見て笑っているのは、この状況を狙っていた空閑と、彼の側にいる一人の女のみ。



 なんということであろうか。この雨宮の危機に際し。

 彼は、白川に攻め込んできた━━!



 壇上の乙女は、思わず涙を零す。自身の身を案じて、ただ一人助けに来た彼の姿に。竜の身であることを理由にしているのは、道半ばで失敗してしまった時のことを案じて。


 突如として駆け抜けた烈風が、枝垂しだれ柳のような、彼女の後ろ髪を靡かせる。

 暴れ狂うそれは、風に乗り。


 彼といたい。どうか、私を奪ってほしい。でも、怪我をしてほしくない。死んでほしくない。彼が死ぬくらいなら、私が──


 彼女は、言葉を発せない。発してはならない。



 故に。



 彼女は、左手を掲げるように見せる。


 姿を隠し、昏い思いの水辺へ沈んでいた白藤の花は、今。

 晴れの陽を浴びて。闘志に身を焦がす竜へと、捧げるよう。




 ほんとうの、願いはここに。




 彼は、彼女の左手首に浮かび上がった白藤の花のブレスレットを見て、目を大きくさせた。視線と視線がぶつかる。思いが融け合う。二人で共に戦場を駆け抜けた日々を何故か思い出し、少しだけ笑い合って。


「クククク……なるほど。そういうことか。そういうことなのか。童ァッ!!」


 乙女の隣に立つその妖異殺しは歓喜に身を震わせ、立ち上がる。期待以上の展開に、久しく忘れていた喜びを彼女は覚えていた。


 笑みを霧散させ、柄に手をかけた白川の剣は、彼女と同じように前へ出る。


「ハッ! 視線だけで、この妾を射殺そうとしておるではないか! あの竜は!」


 桜色の魔力と、灰色の魔力が宙に混ざり合う。

 それに相対するは、黒漆の武者が一人。銀龍を友として。


「ククク……このぷりちーな素体では苦戦するやもしれぬが……この匂い。この戦機。五百余年前を思い出す……」


 構えを取った老桜の背に、妖刀が何十本と浮かび上がる。加えて、静かに微かな魔力を浮かべた剣豪が刀を構えた。彼女達に対抗するように、彼は氷雪の剣を宙へ生み出し、銀龍は口部へ白銀の冷気を集める。




 宙にてぶつかり合い、砕け落ちる氷雪。禍々しい妖気を撒き散らして、へし折れた刀。

 魔力と魔力がぶつかり合い、竜殺しの剣は剣豪の技を捌く。泣き叫ぶように甲高い、鉄血の音が響く。




 たった一人の、彼女が為の聖戦が始まった。



 

 壇上にて。ただ一人その勇姿を見届ける彼女は祈る。

 どうかお願い。負けないで。



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