第六十三話 雨宮賛歌(1)



 夜会より帰路に着いた後、帰ってきた温泉宿で、里葉と二人で仮眠を取った。今朝、温泉宿を出て、彼女と別れた俺は雨宮家へと向かう。普通挨拶に伺うときは二人で訪れるもんだと思うけど、彼女は……やらなければいけないことがあるようで、俺一人で向かうことになった。


 里葉に所在地を教えてもらい、スマホアプリを使って大まかな位置を把握した後、重世界を通って訪れた場所。


 そこは、桜御殿に突入した時のもののような、社ではない。東京という地にあるにもかかわらず、公園ほどの広さを持つ土地を利用した、和風建築の大豪邸。


 それが俺を、雨宮という表札と共に迎え入れている。

 玄関先で待ち構えていた男が立ち上がり、俺の元へ駆け寄ってきた。


「倉瀬様。お待ちしておりました」


「……ありがとうございます。ここが、雨宮の家なのですか?」


「いえ、これはあくまでも表世界側のものです。今、重世界の方にご案内を。当主代行が貴方を待っています」


 玄関に上がり込み、外から見えぬようにした後、彼が重世界の扉を開く。それに乗り俺は里葉の実家へとお邪魔した。


 重世界の色が重なる光景が過ぎ去った後、雨宮本家の重世界へ足を踏み入れる。


 





 清風。空を征く。


 訪れた雨宮の重世界。その入り口を通り訪れ、立っているここは、水堀にかけられた大橋の上だった。目の前にはかんぬき付きの城門があって、飛び道具を放つためのものだろう。狭間の空いた城壁が四方からやってくる敵に相対するように、配されている。


 中央へ向かえば向かうほど高度が上がっていくようにできているこの建物の中心には、があった。城のあちこちには、昨日俺が着ていたスーツに描かれていた雨宮家の家紋が拵えられている。


 嘘だろ。


 もう屋敷とか、そういう次元じゃない。


 柏木さんが言っていた、雨宮は名家中の名家であるという言葉の意味を、考え込んでいた。







 城門をくぐり、上っていく石段。天守閣の横にある、この世界の居住区であろう屋敷に入り、奥の間へ案内される。途中、雨宮家の者なのだろう。忙しなく屋敷を行き来する彼らに、深々と頭を下げられた。


 戸をノックし扉を開けてくれた彼に会釈をして、その部屋へ入り込んだ。どうやらここは応接間の一つのようで、向かい合うように藍色のソファーが置かれている。


 そこに座る怜さんは洋装に身を包み、やってきた俺のことを見据えている。ビジネスカジュアルな服を着る彼女の姿は、バリバリのキャリアウーマンみたいな見た目だった。里葉のぱやぱやを抜き取ってシリアスな部分だけを残したみたいな、そんな感じである。


 昨夜も会った、里葉のお姉さん。雨宮怜。雨宮家の当主代行であるという彼女を前に、ひどく緊張した。やっぱり、里葉のご家族なわけだし、緊張するよな。


「こんにちは。倉瀬広龍。そちらの方に、座っていただければ」


「はい。よろしくお願いします」


 お言葉に甘えて、彼女の対面のソファに座り込む。それはふかふかで、沈み込むように着席した。今日、話さなければいけないこと。聞かなければいけないことは多い。


 ……里葉のご両親はもう亡くなっているそうなので、彼女が里葉の保護者、と言っていい人のようだ。


 ……本当に、知らなかった。


 今思えば、彼女が俺の身の上を聞くことはあっても、俺が聞くことはなかった気がする。いや、それを里葉が望んでいなかったから、そういう話にならないように避けていた。


 俺を案内してくれた男の人が、お盆片手に緑茶を差し出す。

 茶葉の匂いが薫るそれを、とりあえず一口いただいた。なんか、今まで飲んだことがないレベルで美味い。


「倉瀬広龍。貴方が、里葉と恋仲であることは知っています」


 出会い頭に右ストレートを放つかのようなその発言に、咽せそうになる。いや、咽せた。

 それを怜さんは、ちょっと微妙な顔つきで眺めている。確かに、妹抜きで妹の恋人来たらそりゃ気まずいよな……


「……里葉から毎日、鬱陶しいどころか引くレベルで連絡が来ていたので。貴方の大体の動きは把握していますし、貴方が竜となってしまったことも知っています」


「例えば、どのくらいのことですかね……?」


「……そうですね。貴方の大好物は里葉の手作りハンバーグで、口では素っ気なく扱っていますが実際には飼い猫を溺愛しているという話とか。ハンバーグを食べる時は肩がちょっと浮いていて、ご飯のおかわりが多く、猫を撫でる時は声が1オクターブ高いそうです」


 これ、送られてきた写真ですとスマホの画面を見せられる。そこには、口いっぱいにハンバーグとご飯を掻き込む俺の姿が。口元にデミグラスソースが着いていて、みっともない。


 ……続いて、彼女が何枚か写真をスワイプし見せられた画面には、ささかまの腹に顔をうずめ猫を吸う俺の後ろ姿が映っていた。見たことなかったけど、ささかますげえ嫌そうな顔してるじゃん。


「あっ……」


 里葉。どういう話を、お姉さんにしたのかな。というか、その理論でいくとお姉さんは俺と里葉の同棲の実態を知っているというわけで。


 冷や汗が背中を伝う。妹さんをお嫁さんに頂きますとか、土下座した方がいいのか熟考し始めた時。


 怜さんが身に纏う雰囲気が、変わったことに気づいた。


「……倉瀬広龍。今話をしていて、私は確信しました。貴方はきっと里葉の、いや、雨宮の現状を不可解に思っていることだと思います。里葉はどうやら一切の話を貴方にしていないようですし、今も一人で、行動を続けている」


「……」


「故に私は、雨宮の当主代行として。いや、里葉の姉として。その話を貴方にしなければならない責務がある。今日貴方を呼んだのは、そのためです」


 真っ直ぐに俺の目を見つめるその姿は、里葉に似ている。


 いや、違う。きっと、里葉が彼女に似たんだ。


「私は、貴方に問いたい。この話を聞くということは、貴方に選択を迫るということなのです。この話には……妖異殺しの恥。雨宮の罪が詰まっている。それに里葉はどうにかして一人でけりをつけようとしていますが、短期的には回避できても、きっと問題の根本的解決は叶わない。まず間違いなく、今後も戦いは続く」


「そうなった時に貴方は……里葉を、結果として雨宮を支えなければいけなくなります。その覚悟が、貴方にありま……」


「ある」


 彼女の瞳を真っ直ぐに、見つめ返した。即答した俺を見て、彼女の瞳が少しだけ大きくなる。


「怜さん。聞かせてください。俺の愛する人の半生を」


 竜の膂力を抑え震える握り拳を、変わってしまった金色の瞳で見つめる。


「……彼女は、自分の話をしたがらないんだ。その現状が、正直言って、どうにも苦しい。彼女の力になりたいし、この身は竜。彼女に救ってもらったこの心身は、彼女の為に使うと決めた」


 無意識の内に立ち昇る、黒漆の魔力。静かな闘志を抱くそれは、凪ぐように。


「……っ。わかりました。では、話をしましょう。我々雨宮の罪と、実質的に敵対する勢力。白川家のことを」









 今からちょうど、十九年近くも前のこと。梅霖の水無月。


 六月七日。


 古くはこの島に国が生まれる前に出来た、最古の妖異殺しの組織に所属していたという雨宮の家。空想種を伝説の妖異殺しに追従し討ち滅ぼし、戦国の世には才幹の妖異殺しを戴き最盛期を迎え、候家と呼ばれた四家とともに悪辣なる武士もののふを迎え撃ったという名家中の名家にて。


 見目麗しい赤ん坊が生まれたそうな。





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