第五十九話 微睡みの中で
報酬部屋。タコのような形をした生き物の人形が落ちている、石造の家屋を去ろうとする。
大したアイテムのなかった報酬部屋を抜けた後、攻略したC級ダンジョンを出てその場から去ろうとしたその時。
竜の瞳を使い覗き込んだ表世界の方で、俺がダンジョンの中で助けた片倉さんが待ち構えているのが見えた。黄金のブレスレットを手に握ったまま、俯いている。
……面倒だな。重世界を経由して別の場所で出るか。彼は気に病んでいるようだが、時間が解決するだろう。そこまで、恩義を感じる必要なんてない。
潜り込み、銀雪とともに突き進む重世界。何千という
重世界から降り立つ。まだ慣れない東京の地。
明日はプレイヤー、運営、妖異殺し、そして様々な業界から集められた要人が参加するパーティーが行われる。俺と里葉はその招待客として、参加する予定だ。その都合からかは分からないが、泊まり先を用意してもらっている。
昼食を桜御殿で頂いてからダンジョンを攻略したので、すでに結構な時間が経っている。もう、チェックインも出来るだろう。
スマホを操作して、里葉に電話を掛ける。コールが何回か鳴った後、彼女が応答した。受話器越しに何故か、荒い息遣いが聞こえる。
「もしもし。俺だ。里葉。こっちの方は終わったんだけど、そっちはどうだ? 合流できそう?」
「……わ、私の方も今終わりました。ヒロ。今、どこにいますか?」
「……例の旅館に、結構近いところだ。電車に乗っていけばすぐだと思う」
「私も同じような感じです。じゃあ、現地で合流しましょう」
また後で、と言い残した彼女が電話を切る。ここ最近、ずっと彼女といたせいかは分からないが、たった数時間いないだけで彼女のことを恋しく思ってしまった。早く会いたい。
仙台で生まれ育った俺は、東京に訪れたことがほとんどない。そんな俺はやはり東京と聞くと、高層ビルが立ち並ぶ世界有数の超現代都市というイメージが湧いてしまうが、俺が今いる場所は、都会っぽいとは言えないような、長閑なところだった。
『ダンジョンシーカーズ』側から手配された、宿泊先。観光客を主な客層とするその旅館のロビーで彼女と合流し、チェックインをする。
何かとVIP待遇と言えばいいのか、小さな日本庭園付きの大部屋へ案内された。東京に宿泊する間、ここを拠点にすることになる。本来であれば、今から荷物をまとめたり貴重品を金庫の中に入れたりだとかするんだが、DSのおかげでその必要はなかった。むしろ、手ぶらでチェックインするよく分からない客になってしまっていたような気がする。
それと、当然のように里葉と相部屋だった。この一ヶ月間ずっと同棲生活を続けていたけれども、同衾するようなことはなかった。俺が寝る部屋と、里葉がお布団を敷く部屋は分けていたし。
色々考えている俺とは対照的に、里葉は部屋の中を楽しそうに見て回っている。何故か机の下を確認したり、椅子をひっくり返したりしているけれど。後、コンセントをチェックしていた。携帯の充電、無いのかな。
「……よし!」
何かを確認し終えた里葉が、俺の方へ振り返る。両腕を広げるように伸ばした後、彼女が俺に飛びついた。
「……里葉」
「……えへへ。五、六時間ぶりのヒロです」
俺の体を締め付けるようにする彼女の頭を撫でた。
「私が監視していないと、不慮の事態が起きるかもしれない。どう暴れるか分からないって言って、相部屋にしてもらいました」
……こういうことを続けていたら、また危険人物扱いされる気がする。でも、彼女といれるならそれでいい。
「ああ。そうだな。俺も、五、六時間ぶりの里葉がすごく可愛く見える」
猫が自分の匂いをつけるみたいに、俺の胸に頭をこすりつけた彼女が一度離れる。
「ここ、DSの幹部の家が所有している旅館なんですって。お風呂もついてますよ。早速、頂きましょうか」
「……そうだなー。浴衣に着替えて、とりあえず一風呂浴びるか」
「今日は疲れましたし、明日はきっともっと大変です。ゆっくりしましょう」
彼女が襖からタオルや浴衣を取り出しながら、そう言った。
お風呂に入った後。やっぱり男の方が上がるのが早いのか、部屋に戻ってきた時まだ里葉はいなかった。畳の上で寝転がりながら、夕方のニュース番組を見る。国家所属の重世界に関する専門家が出演するそれは、なかなかに興味深い。
『では兼時さんは今、世界各国の都市で起きている妖異の出現がこの日本でも起き得るものである、と考えているんですね?』
『はい。不安を煽るような意図はありませんが、間違いなく起きると思います。我々は想定されるその被害を最小限に収めるため━━━━』
都会なんだから天然温泉ではないだろうと思っていたけれど、しれっと源泉掛け流しだった。里葉が言うには、この施設は妖異殺しの家が代々継いでいるものらしいので、それも関係しているのかもしれない。
……やはり、妖異殺しの
部屋の鍵を開ける音が聞こえる。髪をタオルで拭きながら、里葉が襖を開けてやってきた。ぽかぽかな里葉が、俺の隣に座り込む。
「あ、ヒロの方が先なんですね、お風呂、どうでした?」
「ああ。気持ちよかったぞ。夕飯は……七時だっけか」
「そうですね。お布団、先に出しちゃいましょっか」
散々脅した後なので従業員の人も入りたくないでしょうし、予め不要だと伝えておきましたという里葉の言葉がなんか重い。
襖を開けて、彼女が布団を出そうとする。それを手伝おうと思って、彼女の元に駆け寄った。
しばらく、二人でうだうだしていちゃいちゃした後。夕食を頂こうと、用意された個室の食事処へ行った。次々と配膳される美食に舌鼓を打ちながら、楽しく時間を過ごす。ずっと仙台の家に籠っていたので、彼女と過ごすちょっとした非日常が楽しかった。
戻ってきた部屋。二人でまた温泉に浸かって、その後部屋に戻る。繋げるように敷いた布団に隙間はなく、そのままごろりと転がってしまえば、抱きつけるほどに近い。なんだか、緊張してきた。
……そんな俺を見透かしてかは分からないが、里葉が口にする。
「……ヒロ。も、申し訳ないんですが、えっちい、はしたないのはまだダメです。婚前ですから」
「……ああ。里葉が嫌だと思うことは、絶対にしない」
「……ありがとうございます。正式に夫婦の契りを交わす日がいつかになるかは分かりませんが、それから、です」
彼女が布団の中で、もぞもぞと動く。
「私は妖異殺しの家のものですから。ちょっと、時間がかかるんです。私が普通の女の子だったら、貴方に迷惑をかける、こんな面倒なことはなかったでしょうけど」
薄暗い部屋の中豆電球一つが輝いている。どこか自嘲するような笑みを浮かべた里葉の姿に、空気が変わったような気がする。今日に限らず、東京行きが決まってからの里葉はどこかおかしい。そしてその理由を、まだ聞いていない。だけど。
「里葉。ちょっと、起き上がってくれないか」
「? なんですか?」
俺の言葉を聞いて、彼女が寝転がっていた状態から起き上がる。髪の毛が寝癖でぴょこんと飛び出ていて、可愛い。やっぱり、離したくない。
彼女の後ろからハグをして、囁いた。
「……里葉。俺が君のことを、迷惑に思ったことなんて一度も無い。里葉。本当に大丈夫か? 俺が君に話をしたように、何か困っていて自分でも分からなくて、ぐちゃぐちゃになっちゃっている何かがあるのなら、君も俺に話をしてほしい。いや、俺が話したんだから、里葉も話せって強要してるわけじゃないぞ? もちろん、話したくないのならそれでも構わない。だけど、その何かで里葉が悲しんでいて、それを俺が知らない。そんな状況は、絶対に嫌だ」
「ヒロ……」
両肩から回した腕を、里葉が優しく掴む。寝る直前ということで、暗めにしていた部屋の灯りが、朧げに彼女の表情を映していた。
「ヒロ。確かに貴方は、助けてくれるんだと思います。だけど私は、このことについて貴方に関わってほしくない。これは私の、いや、雨宮の責務だから」
俯いた彼女が、最後に囁いた。
「……私は、私だけのものじゃないから。私は綺麗になってから、貴方の前に立つんです」
決意を感じさせるその一言。
嗚呼。やはり彼女は高潔で、自立していて、俺と対等でありたくて、何かを欲している。ただ縋ってくれてもいいのに、そうはしない彼女の廉潔なる精神。俺は彼女の、こういう所に惚れたんだ。
だから、それを止められない。だけど何かがあった時は、必ず、俺が彼女を━━━━
「里葉。君はいつも、綺麗だ」
「……そんなんじゃないですよ。私。だけど、ヒロ。一つだけ、わがままいいですか?」
「ああ。いいぞ」
「私が寝付くまで、手、繋いでいてください」
そんな些細で、彼女にとっては重大なお願いを快諾する。疲れ切った彼女が寝付くまでの間。ずっと手を繋いで、眠りについた。
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