幕間 雨宮最後の妖異殺し
東京各地に散らばる小さな社。いつからあるのかも分からないほどに、当たり前に在り続けたそれ。近隣住民の憩いの場となっていてもおかしくないのに、不思議なことに誰一人として近寄らない。あるのは知っているが、行ったことはない。誰もが首を傾げる場所があちこちにあった。
二十三区西部。春の陽気の中、静謐な雰囲気に包まれ佇むその社の前に、一人の女性が立ち寄った。
プリーツスカートにハーネスベルト付きのブラウス。着物のようにも見える丈の長いコート。肩に毛先が着くくらいの後ろ髪は、金青の濃淡に染め上げられている。
社の影。どこからともなく現れた男が、丁寧に案内をする。
「雨宮里葉様。ようこそお越しくださいました。こちらへ」
「ありがとうございます。
里葉の丁寧な返礼に笑みを返した男が、重世界への扉を開く。
男に続いて、彼女はその空間へ足を踏み入れた。
妖異殺しの名家。晴峯家が所有する重世界空間の中。その屋敷にて。
数十人という人が並んで座れてしまいそうな、広い和室。背筋を伸ばし正座をする彼女が、白髪が黒髪に混じる、和装に身を包んだ初老の男と相対する。人払いがされたここで、話をするのは彼女とその男だけだ。
肘をつき頬に拳を当てていた男が、姿勢を正した。
「……まずは、幹の渦の攻略御目出度う。雨宮里葉。雨宮の高祖も『才幹の妖異殺し』となった貴公を誇りに思うであろうな」
万感の想いが込められたその言葉に、里葉は深々とお辞儀をする。
「ありがとうございます。晴峯様」
「しかし、祝われるために
里葉を睨むように、眼光を鋭くさせた晴峯家当主の男は言う。彼は、彼女が家に訪れたことの意味を、そして求めているものを察していた。
「晴峯、安曇、雪城、そして雨宮……候家と呼ばれ称えられた妖異殺しの名家も、今となっては晴峯と雨宮のみ……我とて、思うところはある」
生唾を飲み込み思わず拳に力を込めた里葉の姿に、まだ若いなと晴峯は苦笑した。
雨宮が落ちぶれたこの百年余り。晴峯家と雨宮家の交流は途絶えたが、古き時代を知る者たちの語り草を知っている。雨宮に対し、彼は特別悪感情を抱いているわけではない。
「貴公らの趨勢を決めた、あの数代前の愚行に分家の所業……それは重家律法の下に行われた締結だ。しかし、重家の峰々は未だ慣習法に寄るところもある……覆すことも不可能ではなかろう」
本題に入れと暗に催促をするような言葉に、里葉が答える。
「晴峯様。どうか、お願い申し上げます。雨宮を御助け下さい。私が必ず、雨宮を立て直してみせます」
指先を畳につけ、土下座をする里葉。それを晴峯は無機質な瞳で見つめている。晴峯家当主としての姿を見せた彼は、感情を乗せた魔力の揺らめきを見せた。
「奴らは強大であるし、そもそも貴公は今雨宮を纏められてすらいない。しかし、勝算はあるのか」
「あります。白川は重術の権益を守ろうとするあまり、決定的な隙を晒しました。それを突き、空閑を利用して奴らを表舞台から去らせます。すでに、尻尾は掴んでいる」
頭を上げ、確信とともに計画を語る里葉。その道は険しいものだが、絶対に達成してみせると意気込んでいる。
「よかろう。実姉の助けも借りて、才幹の妖異殺しとなった貴公なら確かに成し得る復活劇があるやもしれん。しかし、何故今になって自ら抗うことを選んだ。怜が色々動いていたのは知っているが、何故
睨むような目つき。晴峯という家を背負うもののその重圧は、息が出来なくなってしまいそうなほどに重いもの。
彼は、里葉が運命に抗うその根源を求めた。
ゆっくりと目を閉じた彼女は、静かに答える。
その姿は、康寧を願う巫女のように。
「──狂おしいほどに、惚れた人がいます。私は彼と結ばれたい。そのためには、私を縛るこのしがらみを、全て消し去らねばならない」
「なっ━━━━」
全く予期していなかったその答えに、晴峯は体を仰け反らせる。
場を包む重世界の静謐なる雰囲気が今、熱気を伴う。
幹の渦の攻略。妖異殺しが敬遠するはずのそれが行われた理由を、彼は察した。
才幹の妖異殺しとなったから、抗おうと決めたのではない。
「……私、彼の前で笑顔になりたいんです。彼に、私のほんとうの笑顔を見せたい。ずっとあのことが頭にちらついて、幸せになりきれない」
自らを呪うようにする彼女は、呟いて。
「……私はいいんです。でも、いつ、奴らの手がやってくるのか。それが彼を巻き込んだりしたら、私は耐えられない」
語る余り、想いを募らせた里葉が勢いよく立ち上がる。
「……だから私は! 決着をつける。全てに決着をつけて、彼と対等になるんだ」
その決意が、魔力に乗って部屋の中を揺蕩う。幹の渦を攻略したことにより、また階位を駆け上がった若き妖異殺しの姿を、晴峯は見つめていた。
「……くくくくくく。なんたることか。面白い」
目元を右手で覆い、抑えきれない笑い声を晴峯は漏らした。ゆっくりと正座し直した里葉が、それを真顔で見つめている。
「よかろう。協力してやる」
「……! 本当ですか!」
「しかし、全面対立はできん。せいぜい、周りの重家に根回しをする程度だ」
「じゅ、十分です! 本当に、ありがとうございます!」
「礼は勝ってからにしたまえ。私は早速、近しい重家に話をする。貴公も、やることは多くあるだろう。それと……貴公の誕生日は、いつだったか?」
「六月七日です」
「さすれば、期限は近いな。あの契約が履行されるときは、貴公が十八の時であろう。もう、一月余りもない」
「その前にけりをつけます」
「そうか。では、行ってこい」
「……失礼いたします。晴峯様」
時間は少ない。彼女には、今すぐにでもやらなければいけないことが他にある。急ぎ足で晴峯の屋敷を出ようとするその後ろ姿に、晴峯は苦笑した。
まさか、恋慕の情が原動力とは思わなんだ。元々要請を受けるつもりだったとはいえ、驚きとその意志の強さの余り、気圧されてしまったぐらいだ。
しかし、一度受けたからには義理を果たさねばならない。そう考えた男は早速小間使いの者を呼び寄せ、他の重家を集めた茶会の準備を始めた。
心強い味方が出来たことに、喜色を抑えきれない。どうにか白川の動きを停滞させることができれば、必ず上手くいく。
仙台市のPK事件や東北の『ダンジョンシーカーズ』に関して、白川の関与を疑う報告書は出来上がった。しかしまだ、決定的な証拠がない。中立の重家を憤らせ、白川を追い詰めるだけの材料がない。それをどうにかして、手に入れる。
(白川本家は守りが固すぎる……重術は彼らの専門。私が突入すればその歪みでバレるかもしれない……)
自らの特異術式を応用し、存在を希薄にさせて東京を駆け抜ける。もっと西の方。あちらに、保守派の妖異殺しの拠点があるはず。
「……透き通るように 消えてしまえば」
潜入し、証拠を探る。間違いなく足跡があるはずだ。奴らの足跡が。
山林の中。能力を行使したままの状態で、道なき道を駆ける。
侵入するにあたって幸いにも、この重世界に突入しようとしていた者たちに乗じて入り込むことができた。そのお陰で、私が侵入したことに彼らが気づいたような様子はない。ゆっくりと歩き石段を上っていく彼らを追い越して、一気に目的地へと向かう。
皮肉なものだ。消失を願った自身の
古い瓦屋根の屋敷。ししおどしの音色が響くそこに、勢いよく乗り込む。
保守派の妖異殺しが物々しく集い、出入りを繰り返すここは、白川の家ほどではないにしろ警戒態勢を敷いている。魔力を展開し続けている妖異殺しの姿もあるし、『透明化』を維持し続けられなければ、間違いなく見つかってしまう。
透明化をするにあたって、身体強化などといった自身に向けて魔力を発動する能力は行使することができるが、魔力を利用しての探査などは出来ない。今信じられるのは、自分の感覚だけだ。
━━妖異殺しとしての私は、私を裏切らない。
真っ直ぐに続く、狭い木造の廊下の中。微かな足音を聞き、天井に張り付いてやり過ごす。突如として隣の襖が開けられた時は後転して、触れられぬように。
忍者屋敷のように様々な罠が配されたそこで、それを起動させぬように慎重に進む。
……ダンジョンでの経験がまさか、こんなところで生きるとは思わなかったな。ヒロの、おかげかも。はやく会いたい。
珠玉の汗が頬を伝う。ただひたすらに、最奥の間を目指して。
迷路のように入り組んだ構造の屋敷を進み、この館の持ち主の部屋にやっとの思いで辿り着いた。
魔力を検知する感知器具の下を堂々と潜り、部屋の探索を始める。
広々とした部屋の中には、豪勢な茶器に武具、贅を尽くした物品たちが並べられていた。
執務机の横。鍵付きの金庫を発見する。とても持ち上げて運ぶことなんて出来なそうなくらい重厚なそれを前に、あることに気づいた。
この金庫、魔道具の類だ。使用者の魔力を通した鍵じゃないと、開けられないもの。最高級の警備。
……絶対この中に、決定的なものが入っている。それを奪いたいけど、正攻法では奪えない。
逡巡する最中。金庫に触れてみて、あることに気づく。
この金庫、起動してない……どうして?
そこにあるのは、物理的な障害だけ。持ち主の意のままに形を変える『想見展延式 青時雨』の金色を利用して、偽りの鍵を作り出し解錠する。
そこに入っていたのは、一枚の書状。保守派の妖異殺しに対する支援を証明するそれには、その対価として白川の家の傘下に入るよう要求する一文が書かれていた。
書状の最後には、魔力痕付きの白川の押印が押されている。これだ。間違いない。これを盗み出すことさえできれば━━━━
突如として、響く足音。戸を掴む音が聞こえて、部屋の主人が戻ってきたことを察する。
ま、ずい。今、これを奪い去ることは出来ない。
ヒロ。私に力を。
素早く書状を元の状態に畳んで、金庫にしまう。すぐさま扉を閉じ部屋の床を這いながら、透明にさせた金色の鍵で再び金庫をロックする。
部屋に入ってきた老人が、執務机の前にある椅子に座る。懐から本物の鍵を取り出した彼は金庫を開けて、書状が入っているかを確認した。
千載一遇の好機を。ちく、しょう。
……彼はそれが誰にも盗まれていないことに安心して、再び鍵をかける。しかし、魔力を注ぎ込んで起動しようという様子はない。そのまま机に向き合って、仕事を始めてしまった。
どう、して? 今なお、魔道具である金庫に魔力を注ぎ込む気配がない。
まさか、何度も開け閉めして確認するから魔力を注いでいないとか……? この手の魔道具は、施錠をする度に大量の魔力を注ぐ必要がある。
……なんて、間抜け。しかし、敵の無能は喜ばしい。
証拠品の所在は確認した。次はもっとスムーズに突破できるし、疲弊している今はいつ取り返しのつかないミスを犯すかわからない。いつこの男が部屋を離れるか分からないし、ここは一度退く。
……これなら、きっといける。でも、やっぱり疲れた。早くヒロに会って癒されたいな。
入るのは難しかったが、出るのはそこまで難しくない。誰かが重世界を抜ける、空間の歪みを察知した時。
表世界に向け穴を開けて、脱出した。
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