第四十六話 白藤の花
仙台駅。いつものように待ち合わせをしたステンドグラスの前で、俺一人が早く着く。
雨宮里葉という人のことが好きだと自分で認めてしまったからか、なぜかひどく緊張していた。そして待ち合わせの時間よりも早くついてしまったのだから、我ながら単純だと思う。
俺は、里葉のことが好きだ。
凛としたその姿は人間離れしているほどに美しく、されど彼女の本質は誰よりも暖かくて。
なんだったら、出会った時から一目惚れしていたのかもしれないな、と改めて思う。
クソが。ベタ惚れじゃねえか。
……なんだか、むずかゆい気持ちになってきた。やめておこう。かといって、手持ち無沙汰でやることがない。『ダンジョンシーカーズ』を開いて、昨日すでに確認したステータス画面を開いた。
プレイヤー:倉瀬広龍
Lv.80
☆ユニークスキル
『不撓不屈の勇姿』
習得パッシブスキル
『武士の本懐』『直感』『被覆障壁』『翻る叛旗』『一騎駆』『華麗なる独壇場』『落城の大計』『一陣の風』『空間識』『魔剣流:肆』
習得アクティブスキル
『秘剣 竜喰』
称号
『天賦の戦才』『秘境の剣豪』『城攻め巧者』『月の剣』『好一対』『DS:ランカー』
SP 190pt
ボスを倒しB級ダンジョンを攻略したことによってレベルが四つ上昇し、レベル80になった。加えて『最適化』が利用できるようになり、『落城の計』が上位スキルである『落城の大計』に、そして回避系のパッシブスキルである『一陣の風』というのを入手した。
パッシブスキル
『一陣の風』
任意発動。回避を試みる際、烈風による加速効果を得る。
久々に満足。こう強くなっていくと、ステータスを眺めているだけでちょっと楽しい。
ステータス画面からアイテム欄に移って、里葉に渡そう渡そうと考えてずっと渡していなかったアイテムを一応確認しておいた。なんか、こんな心理状態になってから渡すのだからバカみたいに緊張する。ゲロ吐く。
そうやって色々考え込んでいると、いつもの格好をした彼女が階段から降りてきた。
里葉がとことこって歩いてる。かわいー。あ、俺の姿を見つけて駆け足になった。めっちゃ可愛い。
「ヒロ。今日は早いんですね。なんか、普段より楽しそうに見えます」
……すぐバレるな。
「ああ。里葉。今日はきちんと、エスコートしようと思う」
「……どこに、行くんですか?」
首をこてんと傾げた里葉が、俺の方を見ている。美少女というか、綺麗系の顔つきをしているのに仕草がいちいち見た目とは真逆で可愛い。ギャップやばい。
クソ。なんか腹たってきた。この調子だとまずい。
「……今日行く場所は、水族館だ」
仙台駅から電車に乗り、シャトルバスが出ている駅で降りてそれに乗る。そうして訪れた水族館に、事前に購入していたチケットでスムーズに入館した。平日でまだ春休みにも入っていないのでかなり空いている。
最初は水族館がなんなのかよく分かっておらず、俺の一歩後ろに隠れながらビビっていた里葉だったが、今では目に見えて分かるぐらい楽しそうにしていた。
入ってすぐのところにある大水槽。魚の大群が渦巻く神秘的な光景を前に、口を開けていた姿が印象的だ。
順路に沿って、ぐんぐんと次の水槽へ向かっていく里葉。手招いて俺を呼び、報告するように指を差す。
「ヒロ! 見てくださいヒロ! あれ! あのお魚、この前私が叩き斬った奴に似ていますよ」
「……あの先にいるクラゲ、もろこの前里葉が撃ち落とした奴に似てるな」
「わー。ほんとですね。こんな生き物こっちにもいるんですね。初めて見ます」
……楽しみ方が独特だと思うけど。楽しそうで本当に良かった。
軽やかな足取りで進む館内。ヒロに連れられて訪れた水族館という場所は、とても楽しい所だった。
目に入る、見たことも聞いたこともない世界。知りもしなかったお魚さんたちが泳ぐ海の中に加えて、二階にはぺんぎんなる飛べない鳥がいた。
ランチを食べた後デザートのパフェを分けっこしたり、イルカという生き物のショーを二人で見たりして、今日はすっごく満喫できた。ヒロはものすごく楽しそう、というわけではなかったけど、なんだか私を見ながら嬉しそうな顔をしていた気がする。
一昨日、私と彼は大枝の渦を攻略した。B級ダンジョンの攻略が最終目標だ、なんて言っていたけれど、予定よりも早く攻略してしまった。
『ダンジョンシーカーズ』の正式リリース……裏世界と戦い続けた私たちの、そして他国にいる彼らの存在が明らかになる日。それは、四月中旬。
その日は私と彼が別れる日でもあって、本当はその手前で攻略するつもりだった。それを早めにしてしまったんだから、後の時間をどう過ごそうか悩んでいる。
いや、過ごさない方が良いと言うべきか。
ヒロは妖異殺しの私でもない。雨宮としての私でもない。ありのままの私に目を向けてくれた。それは初めての経験で、誰かにこんな姿を見せるのは、見せられたのは初めてだと思う。意外と私って、明るい性格してたんだな、って。
壮絶な出会いを果たした後、過ごした時間。そのどれもがすごく楽しかったと胸を張れるもので、たった数週間の出来事なのに随分と感傷的な気分になる。
これ以上彼といることが、すごく怖い。彼といたいんだって思っていたって、それは許されない。そこには悲劇が待っている。
思い出すのは、彼の生い立ち。
私なんかが彼を振り回して、彼がこれから歩む取り戻すための道に水を差すことなんてできない。
それでも……してみたかったな。そういうこと。
「里葉。今日はもう大体見て回ったけど……この後はどうしたい?」
歩みを止める。もう、これ以上は彼のためにならない。私は消えてしまうんだから。この時間に、意味はなくなる。
(……今後はダンジョン攻略に関わる付き合いだけに、限定しよう)
大枝の渦の中一人出した結論を再確認したけど、また胸がじんと痛かった。このまま、沈黙を保つのは良くない。彼の言葉に返事を返さなきゃって思って、咄嗟に口にする。
「……ヒロ。また、あの大水槽が見たいです」
「分かった。じゃあ、最後に行こうか」
彼に連れられて、もう一度あの場所へ。
揺らぐ魚影。人影のないこの場所を、私と彼で独り占めする。
海をそのまま切り取ったようなその景観。自然光を取り込み魚たちを照らすその光景は、裏世界で見た千景万色に匹敵する。渦巻く魚の大群を前に、もう一度それをじっと見上げた。
「……なあ。里葉」
振り向いて、上ずった声を出した彼の方を見る。彼はどうやら緊張しているようで、妖異の軍勢相手に笑っていられるようなヒロが緊張することなんて、なんなのだろうと不思議に思った。
彼が人差し指で頬を掻きながら、口にする。
「その、さ。俺はまだまだダンジョン攻略をするつもりだが、一応、俺たちは最終目標だったB級を攻略して一つの節目を迎えたわけだろ?」
「そうですね」
「それで、さ。元々里葉は、運営の依頼で俺に付いていてくれて、正式リリースまでの間俺の攻略を手伝うという話だった」
「……はい」
「だけどさ。そういうビジネスライクな関係以上に……俺は、君と過ごすのが楽しかった。その礼も兼ねて、俺がダンジョンで手に入れたこのアイテムを、プレゼントとして渡したい」
彼がポケットから取り出したのは、小さな黒い箱。
胸の鼓動が早くなっていく。
だめだ。そういうのは。もう、やめてよ。
尋常じゃない様子で手渡す彼。恐る恐る、開けてみた。
その中に鎮座していたのは、意匠の施された細い鎖状の何か。輪を形作る白金から垂れるように、連なる花の形をした装飾品が取り付けられている。
「……ブレスレット?」
「そうだ。俺が一人で攻略していた時に、収容できたものなんだよ。これがその詳細なんだが……」
スマホの画面を指差した彼に寄り添って、その文を見た。
『
種:装飾品
願いはここに。
頭の中で需要のあるアイテムたちを思い浮かべながら、考える。裏世界からやってきた装飾品・美術品は富裕層にとても人気があって、正式リリースとなりマーケットが実装されればさらにその価値は跳ね上がるだろう。
「……なんというか、戦闘を想定するなら必要のないものですね。でもきっとこれ……ものすごい価値がありますよ?」
「……だからこそ、感謝の気持ちとして受け取ってほしい」
一度目を瞑り、私の方に向き直ったヒロが言う。
「里葉。このブレスレットは壊れない。一度本気で壊してみようとしたが、本当に壊れなかった。これをその、二人で過ごした時間の証とでもしてさ。持っていてほしい。要らなくなったら、売ってくれても構わない」
「そんなことは絶対にしません」
大水槽の前。一息ついて、微笑んだ彼は。
「……ま、これからもよろしくな」
零すように呟いた彼はブレスレットを持って、私の左手を優しく手に取った。
唖然として手を差し出したままの私を置き去りにして、留め具を摘んだ彼は
光に照らされながら、キラキラと輝いたその白金の姿に。
歓喜の情を抑えきれない。こんな、夢みたいな話。
私なんかに似合わない。こんな、お姫様みたいなもの。
胸が強く高鳴る。
きゅんきゅんしてどきどきして、もう、止まれない。
抑えろって。我慢しろって。そう耳元で囁いてくる現実を……ぶっとばせ。
とめどない思いが全身に沸き立つ。彼の言うこれからが欲しい。もっと彼といたい。奪われて別れたくなんかないって必死で心が叫ぶ。
両手を胸元に寄せ、彼がくれたブレスレットを右手で掴んだ。
流石に気恥ずかしいのか目を逸らしているヒロ。その横顔を見て、やっぱり間違いないって確信する。
私は、ヒロのことが大好きだ。
ダンジョンで楽しそうにしている姿を見るのが好きだ。刀を持って恐れず妖異に立ち向かうその勇姿が好きだ。私が外の世界を知らないことをバカにしないで、こんなものがあるよって教えてくれる心遣いが好きだ。
戦う時は殺気立っているのに、私の前では油断して居眠りしちゃったりするのが可愛い。強く生きているように見える彼は実はおっきな傷を抱えていて、そんな人並みの弱さがある彼を私が支えたい。戦闘で高揚した時に急に私のことを口説き出すのはドキドキして嬉しくもあるけど、ちょっとやめてほしい。
彼が私のことを、どう思っているのかなんて知らない。
彼が私に向ける好意は、実は戦友に向けたものなんじゃないかって。
知って先に進むのは怖い。
けれど、一緒に過ごす時間が、これからがもっともっと続いてほしいって。それを没収なんてされたくないって。
今の私には、思いを伝えることができない。けれど前に進むために。どうすれば、彼といられるのか。
求めてしまった。その先を。
自分の想いに、気づいてしまったんだ。
すっごく恥ずかしいけれど、自分の心に嘘がつけない。
何も言わない私を前にして、凛と佇む彼の姿を見る。
ああ。ヒロのことが……私は大好き。
ほんとうは今すぐ抱きついて、ぎゅーってしたい。
ブレスレットを握ったままの彼女は、きゅっとした顔つきでなぜか瞳を潤わせている。一度彼女がごしごしと目元を拭った後、泣き笑いを浮かべたような顔でじっと俺を見つめた。
「……ヒロ。私、とってもうれしいです。なんだかしあわせです。さっき見たくらげさんたちみたいに、ふわふわしています」
一度言葉を溜めた彼女は、視線を外さない。
真剣な顔つきで思いを零すその姿が、どこか神々しい。
「……私、すっごく説明しづらいんですけど、いろんなしがらみがあるんです。でも、それを振り払って自分の道に進みたいと思えた」
すぅと息を吸った彼女が、決意を見せる。
「ヒロ。私が私の道を進むそのために、お願いがあります。私と二人で……」
大水槽前。幻想的な空間の中。人影のない、生命に包まれた場所で。
聖女のようにすら見える彼女が宣言をする。
「仙台のA級ダンジョン。幹の渦を攻略しましょう」
どのような形であれ、きっと終わりが近い。最後の試練とも言えるそれに、武者震いがした。
決着が、そこには待っている。
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