第四十話 突入:B級ダンジョン
彼女がひどく落ち込んでいたあの日。あの時何があったのか何度も里葉に尋ねたが、とぼけるばかりの彼女は答えを返さなかった。頑ななまでに語らない彼女は、話すことを望んでいないのだろう。そう考えて、一度諦めたが……ずっとそのことが頭に引っかかっている。
慎重に。慎重に。準備を重ねて。そうやっていつもやってきたのに、その日を境に彼女が焦りを見せているような気がしている。それに今日待ち合わせをして移動する間、どこか集中力を欠いているような、そんな仕草が多かった。
静謐なる境内の中。参道。立ち並ぶ石灯篭の先に、お参りをする人が集まる拝殿がある。しかし俺たちが用があるのは、そこじゃなかった。
俺は今彼女に連れられて、とある神社に訪れている。彼女曰く、B級ダンジョンであるという━━大枝の渦が、そこにはあるというのだ。
仙台の広い土地の中でも、五つしかないというダンジョン。
それは手水舎の目の前にあった。
スマホの画面に表示される渦の大きさはC級ダンジョンの何倍も大きく、取り込まれ渦巻く魔力の圧から、その強大さが分かる。
「……里葉。準備はいいのか?」
「ええ。しかし、ここからは本当に話が違います。事前にした話、覚えていますね」
「あ、ああ。しかし、本当に事前に合わせなくて大丈夫なのか? 里葉らしくもない」
「いえ、問題ありません。ヒロ。貴方こそ、らしくないですよ」
「……」
いつものように彼女と手を繋ぐ。目を閉じ見開いた先は、異界の中なんだろう。
白光から瞳を開けた先。
無窮の闇のみがこの世界にはあって、握る彼女の体温以外の情報がない。
何も見えない。そんな中で『直感』が、今自分が凄まじい危地にいると知らせてくる。その警告の激しさに、無意識のうちに呼吸を荒くさせた。一体、何がいるんだ。
そんな状況の中。立ち尽くす彼女に合わせて一歩の動きも取らないでいる。今、声を発していいのかも分からない。
しばらく経って動きを見せていなかった彼女が魔力をほんのすこしだけ発露させて、両目にそれを集めていることに気づいた。
同じように、自分が持つ黒漆の魔力を双眼に集めてみる。するとだんだんと視界が開けてきて、場がどうなっているのか見えるようになった。これはどうやら暗闇なのではなく、目眩しをさせる煙幕のようなダンジョンの防衛機構らしい。
なんの装飾もない真っ白な四角形の部屋の中。
水の中を泳ぐように宙を行く、そのモンスターたちの姿に声を失う。視界を埋め尽くすほどに進むそいつらを警戒して、俺の『直感』は機能していたことに気づいた。
汚れた薄茶色。うなぎのような、蚯蚓のもののようなうねうねとした細長い体つき。顔らしい顔はなく、代わりに円形の吸盤のような口がある。
彼女の能力で俺たちの存在に気づかないそのモンスターが、俺と彼女の間を横切った。
視界に映る、奴の口。
「ヒロ。驚かずに聞いてください。この妖異の名は、
白い部屋の壁際。そこには迷い込んだのだろうか、座り込むようにする鬼のモンスターの死体……がある。そこに百を超える数の渦鰻が張り付いていて、ヤスリで体を削り取るような、そんな不気味な音が部屋の中に鳴り響いていた。
「この渦鰻は侵入者の体に張り付き、肉を削り取ってくる妖異です。空を自由に行き来し、その小さな体躯では考えられぬほどに、一匹一匹は強靭です」
彼女の話を聞きながら、近くを通る奴らを凝視する。これが、B級ダンジョン。もし自分一人で突入していたら、幾千といるこの妖異を即座に相手しなければいけなかったというのか。
「加えて、この渦鰻は毒のようなものを持っており、魔力の鎧を突破され一度でも吸い付かれれば最後。だんだんと体が動かなくなっていって、体が完全に麻痺します。ヒロ。ここは交戦を避け移動しましょう。生物に触れられたり私の集中が乱れたらこの透明化は解けてしまうので、奴らの位置を決して見誤らないでください」
彼女が一歩一歩を刻み、ゆっくりと進んでいく。DSの情報によれば、このダンジョンは全部で八階層。今までで最長であり、生半可な覚悟では突入できない場所だ。
DSや彼女はいざという時、緊急脱出をして表世界に戻ることができる。しかし、このように敵が幾千といれば、その余裕、隙もないだろう。脱出するには幾ばくかの時間その場から動かないことを求められるからだ。
彼女と手を繋ぎながら突き進んで、やっとの思いで抜け出した白い部屋。
その先の部屋は何も変わらない、渦鰻が蠢く部屋だった。今度は視界を遮る遮蔽物もあって、いつどこから奴らが飛び出してくるか分からない。俺は今里葉の透明化があるおかげでなんとか交戦を避け進むことが出来ているが、こんな場所。どうやったら彼女抜きで攻略なんてできるんだ?
想像を絶する死地。しかしここはB級ダンジョン。
俺が目標とするA級ダンジョンは、何でできているのだろうかと単純に疑問に思った。
突き進む部屋の中。一体いくつの、白い部屋を通ったのかはもう分からない。無意識レベルで渦鰻の位置を把握し、左足にぶつかりそうになっていたそれを避ける。
彼女が少し俺の方に寄りかかって、顔の目の前を通る渦鰻を避けたことに気づいた。二人で手を繋いだまま避けなければならないので、少し難しい。
一人では潜りたくない、という彼女の理由がわかった気がする。これは比べ物にならない。余りにも神経を削る。現に彼女は俺と出会ってから初めて、汗をかいていた。
しかし、彼女ならば問題ないだろう。そう結論づけ、自身が失敗を犯さぬよう、集中しようとした時。
渦鰻の尾が、彼女の体に掠った。
「━━しまっ!?」
驚愕の声。一斉に俺たちの方を向く、部屋中の渦鰻。即座に竜喰を手元に顕現させ、戦闘の準備をする。なりふり構ってなんていられない。
「里葉! 君は防御に徹しろ! 俺がやるッ!」
彼女の失敗を咎めたり、里葉ほどの手練れがなぜミスを犯してしまったのかを聞く時間はない。今はただ、この事態に対応する必要がある。
足元に展開される黒漆の霊力。ここは我が『独壇場』。強く飛び立つように地を蹴り上げて、竜喰を構えた。
込める黒漆の魔力。暴走するように震える刀身。それを右に薙ぎ払って。
魔力の斬撃が、部屋全体を埋め尽くす。込めた魔力量が多かったからだろうか。その斬撃は鋭い刀のよう形をしておらず、
「ヒロ! もう一度手を!」
魔力の奔流が部屋に吹き荒れたとき。彼女の右手が俺の左手を掴んで、再び透明化を展開する。
その瞬間。
前の部屋から。先の部屋から。道を埋め尽くすように雪崩れ込む、大量の渦鰻の姿を見た。獲物を探すように蠢く奴らは、血肉に飢えている。
これは、ヤバイ。
今ぶっ殺した渦鰻の数と俺の消費した魔力を考慮すれば、簡単に分かる。
正攻法で挑めば死が待っていると、ありとあらゆるスキルが教えていたような気がした。
「ご、ごめんなさいヒロ。一度通り過ぎた渦鰻に対して、油断してしまいました」
「……里葉。本当にらしくないな。どこか君は、精彩を欠いているように思う」
「いえ、私はやれます……もう時間もないから。急がないと」
握った彼女の手を使って彼女を引き寄せる。
やはり、二人でそれぞれ動くというのは少し危険だ。
彼女の腰の上に右手を伸ばして、しゃがみこみ足元に左手を差し込む。
「……ヒロ? きゃっ!」
力の籠もっていない抵抗をした彼女を持ち上げて、お姫様抱っこの形にした。人を抱えるのって結構な重労働だけど、魔力で強化された身体能力を以ってすれば、羽のように軽く感じる。
「里葉。君は透明化に集中していてくれ。回避に術の維持とこれは君の負担が大きすぎる。分担しよう」
彼女が俺よりも強いからといって、頼りすぎていた。それに、俺は全く感じていないが連日のダンジョン攻略で疲労が溜まっていたのかもしれない。
……昨日の何かから、精神的にも落ち込んでいるようだったし。
このダンジョンを出たら、彼女の為に時間を使おう。それに、あれを渡したら元気を出してくれるかもしれない。
「……俺が君を守る」
「え゛っ!? で、でっででででもヒロ。こ、こんな人なんか持ち上げてうずうなぎを避けるなんて、あわ、あわあわわわ」
かなりテンパり気味の彼女が、両手で口元を隠して不思議な動きをしている。やはり、調子が悪いのかもしれない。一度脱出するのも手だがあれは魔力が激しく動く。必ずあの渦鰻どもに気づかれるし、今ここでは絶対にできない。
「行くぞ里葉。激しい動きをするから、両手を首の方に回してほしい」
「…………は、はぃ」
彼女がしっかりと両腕を回したことを確認した後。強く地を蹴り、部屋の中を突き進む。
ここは移動速度を上げて一気に行くべきだ。ゆっくり慎重に行こうとすればするほど、逆に失敗する気がする。
跳躍。側宙からバク宙をして、空を飛ぶように。
空中。視界の端に映った渦鰻を、体を捻って避ける。このままだと彼女の裾が当たりそうだ。すれすれで避けようと、強く体を抱き寄せる。
「ぁ──」
集中しろ。
右の渦鰻三匹。進行方向からしてこちらには来ない。無視。
気配を察知する。一度思考から除外していた後ろの一匹が、今反転した。
そちらに思考を割きすぎていると、今度は左方の奴らに気取られる。
彼女と対等になるため。これは、俺の役目だ。
揺れ動き、目まぐるしく変わる視界の中。口を少しだけ開けて、じっと俺の顔を見ている里葉の姿だけが変わらなかった。
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