第三十話 ボス戦:C級ダンジョン
第四階層。ボスがいるはずのそこは、また何も変わらない赫い空の世界だった。
見飽きた光景の、分かり切った場所のはずのそこで全身に悪寒が走る。
しばらく動きを見せていなかった『直感』が命の危機が迫っていると警鐘を鳴らしていた。俺はいくさを恐れない。俺は命知らずだ。しかし、ここまでの殺意を向けられたことは多分ない。
「ヒロ。妖異殺しは長き歴史の中で、どの程度の渦にどれほどの敵がいるのか、理解しています」
一度俺を守るように、傍に寄り添った彼女が俺を見つめる。
「重世界に眠り、両方の世界に独り行き来することが可能な空想種……裏世界よりやってきて、凄まじい被害を与え各地に伝説として残るほどの強さを持つ伝承種。妖異には様々な敵がいますが、C級から伝承種と呼ばれるものの相手をすることになります」
「確かに、貴方は強力な魔剣を持っている。しかし貴方に立ち向かう勇気がなくば、決して奴らは倒せない。貴方がこれから相対する敵は、それほどの化け物です」
赫き空に響く大音声。
震える大気が、目に見えたような気がした。
鼓膜が破れるんじゃないかと思い咄嗟に耳を塞ぐ。圧倒的な存在感。威容を伴って現れたそいつは、四足歩行で鷹揚に歩み寄ってきた。
長い首を勇ましい
全身を突き刺す殺気。ドス黒い汚れた魔力が俺の体を包む。
お前だけを絶対に喰い殺すという意志を前に、体が震えた。
なんと、いう。
今までずっと。現代人らしからぬ感性で、壊れてしまった心と感覚で、ダンジョンに挑み続けてきた。諦観に沈みきった自分を取り戻すために、この世界に賭けたんだ。
俺は他人に比べればすごく向いていたんだろうし、竜喰という最高の武器も手に入れられた。順調にここまで来れたんだと思う。
しかし、俺は本気の命を削る戦いに挑んだことがない。ここまでの敵に、まだ出会ったことがなかった。
はじめて知る。
これが、本当の死線か。
「この妖異は……『貪り食らうもの』と呼ばれるものです。この妖異に肉体を喰われれば、魂をも失うという伝承があります」
殺気とともに魔力を迸らせる奴を見て、彼女は澄ました顔をしている。本当に大物だ。里葉は。
誰にも聞こえないぐらいの小さな声で、願いを呟いた彼女の体が透き通るように形を失っていく。
消えゆく彼女の姿は、俺の勝利を願うように。
透明化を使い気配を消すということは、俺に任せるということなのだろう。言葉が無くても分かる。彼女は、俺に証明してみせろと言っているのだ。越えなければいけない壁となるこいつを相手に、お前は本当に戦えるのかって。
上等だ。やってやる。俺はただ鈍感に死線に挑む男じゃない。自らの意志を以て、立ち向かうんだ。
「里葉。貪り食らうのは奴じゃない……俺だ」
竜喰を構える。今までにない上物を前に、竜喰の青の血脈から放たれる煌めきが強くなった気がする。その輝きに重なるように、黒漆の魔力が朧げに
「ヒロ」
「なんだ?」
透き通るように世界へ融け入る彼女が、最後に微笑む。
厳しさだけを前面に押し出していた戦場の中。
「頑張って?」
……最後に、彼女が茶目っ気を見せた。
ニヤッと笑みを返して、竜喰を振り抜く。確かな足取りで意気揚々と、恐れに立ち向かう勇気とともに、奴に斬りかかった。
響き渡る叫号。意志を乗せ瞬く
赫い空の下。一人の青年と一匹の怪異は相対し、命の奪い合い、いや喰らい合いをしている。
跳躍し飛びかかる巨躯の怪物。振るわれた前足を彼が間一髪避けてみせる。狙いを外し、地に叩きつけられたそれによって爆発するような土煙が舞った。
攻撃の余波で飛んでくる岩石を彼は刀で捌き、喰らって、移動を開始する。
C級ダンジョンのボス。伝承級。伝承として各地に残るほどの妖異……この国では有名ではないが遠くの国では知られた怪物だろう。
モンスター全体を軍隊のようにして例えるならば、大部隊の長と言ってもいいほどの実力を持つC級ダンジョンのボス。
少し、心配だ。彼の『ダンジョンシーカーズ』上でのレベルは、40後半。魔力の強度を表したそれは、伝承種を相手にするには足りなすぎる。同等以上の殴り合いをするには、後10レベル上は欲しい。直撃を貰えば、簡単に吹き飛ぶ。
それを埋め合わせられるのは、魔力に寄らぬ技のみ。
『ガァアオオおおオオおおオオオオオッッッ!!!!』
「
今までの敵のようにはいかない。魔剣の強さに任せて我武者羅に振り回しても、簡単に回避される。大型の妖異である伝承種は、その分攻撃を当てやすいようにも感じるがそうではない。強い魔力を持つ敵は、見た目に似合わぬほどの素早い動きを取る。
広々とした平原にて。駆け抜け動きを変える彼に『貪り食らうもの』は惑わされない。
ヒロは彼と同じ速度で並走する奴を相手に苦戦しているようだった。
その時。奴の後ろ足から迸るような魔力が放たれるのと共に、奴が一気に距離を詰めようと跳躍した。
スライディングするように飛び込んだ奴は大きく鰐の口を開けていて、両脇から彼に噛み付こうとする。
跳躍し奴の攻撃を彼が回避した。その手はまずい。
それを読み、誘い込んでいた奴の追撃が迫った。
爪牙の残像を残す前足は、彼目掛けて。
振るわれる一撃とともに吹き荒れる烈風。私の髪の毛がそれに煽られて揺れた。
……介入する? 今一撃を放てば彼を助けられるし、奴を簡単に討ち取れる。ヒロには知ってほしかっただけだ。そこまで急ぐ必要なんてない。次からだって━━━━
いやまだだ。彼なら、きっと。
私に勝った彼なら。
迫り来る前足。身動きの取れない宙で、彼は体を捻りすれすれのところで回避した。体に一撃を貰うどころか魔力障壁を削られてすらいない。なんという神業。
『ガァッガアガがアアアあぁああああああ!!!!』
痛みを堪える奴の叫び声を聞いて、瞠目する。
吹き出る黒色の血液。滴り落ちるそれが、奴の前足を濡らしていた。あの回避したタイミングに、すれ違いざまに奴の前足へ一太刀入れている!
妖異殺しでもない。新設された対妖異を専門とする軍人でもない。予め招待されていた、有望なプレイヤーでもない。
彼の経歴を漁ったが、母親が死去しているというのと海外に赴任している父親が
ただの一般人であれば、こんなことは絶対にできない。間違いなく天賦の才を持っている。
着地ししゃがみこむような形になった彼は、再び跳躍。奴の鼻先に必殺の魔力が込められた、強力な一閃を叩き込んだ。甲高い破砕音とともにその一撃で『貪り食らうもの』の魔力障壁が完全に割れる。
『ガバッァああああアマガあああああッッッ!!!!』
「お前、恐れたな! この俺をォ!!!!」
戦闘の高揚からか前と同じように、ハイテンションになった彼。勢いづいた彼はホルスターからスマホを取り出し、画面をタップして鞘を顕現させた。
流れるようにスマホを仕舞った後、彼が鞘に刀を納め呟く。
来る。あの奥義が。
「『秘剣』」
『ダンジョンシーカーズ』の支援を借りて、必殺の一撃を放つ彼。魔力を込めるあまり震える右腕が、神速を以って解き放たれた。
伝承種である『貪り食らうもの』が驚愕し、後ずさりをする。眼光とともに殺気を放っていたその瞳が、今恐怖に染まった。
おそらくあの妖異は気づいたのだ。自らが完全に喰われる側に回ったことを。
あの伝承種が恐怖し死を確信するほどのもの。そこまでの殺気は今の彼には出せないはず。
奴が恐れているモノ。やはり、あの魔剣は生きて━━━━
世界に色を残す深き濃青。残像となった刀身の軌跡から、大蛇の如き一撃が迫る。突き進むその一撃には、
花開く奇跡。あの夜とは比べものにならないほど大きくなったそれは、奴の頭部を覆い隠すように包み込んだ。
肉と骨がぐちゃぐちゃに潰される音が響き、濃青に『貪り食らうもの』が飲み込まれていく。咀嚼音のようにすら聞こえるそれ。
刀が妖異を、貪り喰らっている。
やはりこれが、この刀の根源となる空想か。
最後に、死体より零れ落ちた爪牙が灰となり消えていく。奴は完全に息絶えた。ヒロの魔力強度が、上昇していっているのを感じる。
ヒロはおそらく、私に証明しようとしたのだ。C級ダンジョンのボスを、相手にできる技があると。本来ならば『秘剣』を即座に放ち、勝負がついていたのに。
恍惚とした表情で戦場の中心に佇む彼。その姿は初めて彼のダンジョン攻略を見た時と変わらないし、このような強敵を相手にしてなお、緊張感がない。
少し、心配だ。
彼はこのままだときっと戦いにのめり込んでいく。彼を止められる存在はいないようだし、踏みとどまる理由もない。戦士としての彼を止められるのは、きっと、自分だけ。
お姉様が私を助けてくれたみたいに、私も彼を助けなきゃ。
透明化を維持したまま彼に近づいて右肩を掴む。びくんと飛びのくように驚いた彼を逃さないように、力を込めた。
「うおっ!?!?」
「お疲れ様です。ヒロ」
しかし、私の懸念を今言う必要はない。ただ今は、妖異を打ち滅ぼした彼に祝福を。
竜喰をスマホに収容し、振り返った彼がこちらを見る。少し背伸びをして、彼の肩のあたりに顔を突き出した。
「すっごく、良かったですよ。今から報酬部屋に行って脱出しましょうか」
「お、おう。そうだな」
体を伸ばして纏っていた魔力を霧散させた彼が、地面から浮かび上がった魔法陣の方へ向かう。彼と二人並んで、歩いていった。
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