閑話休題46~ネイアの物語 ネイア、自分の気持ちに気がつく~

「ネイア君、この書類の作成をお願いね」

「はい、畏まりました」


 この日も私ネイア・キャンドルは朝から忙しく働いていた。


 今も上司である係長から書類の作成を頼まれたところだ。

 ここヒッグスタウンのヒッグス商会本部に転勤になってからすでに二か月が経とうとしている。

 最初は慣れない内勤の仕事に戸惑っていた私だったが、それにも徐々に慣れてきて、今はある程度の書類の作成も頼まれるようになっている。


 現在取り組んでいるのは帳簿の作成だ。

 仕入伝票や売上伝票を元に帳簿を作成するのだ。


「しかしこの複式簿記というのは難しいですね。効率よく収支を計算できるという話ですが、借方とか貸方とか左右同時に書くなんて、理解するのも一苦労ですね」


 ここの会計帳簿の作成は複式簿記というものを使って作られている。

 これは最近考案されたというやり方で、左右同時に勘定科目を書いて仕訳をして帳簿をつけていくというやり方だ。


 ちなみに今私が言っていた借方というのは仕訳の左側のことで、貸方は右側のことだ。

 何でそんな名称何ですかと聞くと、


「理屈はいいからそういうものだと思って覚えろ」


と言われてしまったので、今は意味など気にせずにやっている。


 こんな風に難しい複式簿記がここで使われているのはこの方式が大変有用だからだ。

 というのも、複式簿記を使うと貸借対照表や損益計算書という有用な決算書を簡単に作成できるからだ。


 なお貸借対照表とは資産状況を把握するための書類で、損益計算書とは利益を知るための書類である。


「これはとてもいいね」


 と、会長も出来上がってきた書類に非常に満足しているみたいなので、ここではこれからもこの方法を使ってやっていくのだろう。


 そんなに難しい複式簿記だが、ここで生きていくためには頑張って覚えなければならない。

 私の夢は世界中の国を見て回りたいということなのだ。

 この会社で出世すれば世界中に異動できるのでその夢が叶う。


 もちろん異動先でもこの技術は必要不可欠だ。

 本部に出す会計書類は複式簿記で作成したものでなければならないからだ。


 だから私は歯を食いしばって頑張るのだ。

 明日の自分のために。


★★★


 そんなある日、私は会長宅にお使いに行くことになった。

 出来上がった今月分の決算書を会長に届けに行ったのだった。


「今会長はお食事中なのでしばらくお待ちください」


 屋敷に着いて執事さんに用件を告げると、玄関で待つように言われたので玄関に置いてある椅子に座って待つことにする。


「ここって本当に立派なお屋敷ね」


 椅子に座って玄関を見渡すだけでもこのお屋敷が立派なのが分かる。

 壁は白くて立派な彫刻が彫られた豪華なものだし、床には高級な絨毯が敷き詰められていて歩いたらこけそうになるくらいにはふかふかだ。


「おや?あれは?」


 そうやって玄関を見渡していると私の視界にある物が入って来た。


「ドラゴンのはく製?」


 それは大きくて迫力のあるドラゴンの頭のはく製だった。

 興味が沸いた私は、周囲を見渡して誰もいないのを確認すると、こっそりとそのドラゴンのはく製に近づく。


「うわー、本当立派なドラゴン。すごい!」


 近づいてみるとそのドラゴンのはく製の立派さが改めて分かった。

 このドラゴンは普通のドラゴンよりも二回りほど大きい。

 角も大きくて立派だし、牙とかも物凄く迫力があった。


 そんなドラゴンに私はちょっとだけ触ってみる。


「うん、良い触り心地だ」


 このドラゴンは触り心地もよく、癖になりそうな感じだった。

 私は思わず夢中になってべたべたと触りまくってしまった。


「ほう、そのドラゴンが気に入ったのかね」


 すると、突然誰かに声をかけられた。

 無我夢中でドラゴンに触っていて他への注意を怠っていた私は非常に驚いた。

 慌てて言い訳をする。


「あの、その。これは違うんです」

「いや、別にいいんだよ。僕もこのドラゴンのことは気に入っていてね。君も気に入ってくれて触っていたんだろう?だったら構わないよ。それよりも……確か君はネイア君だったね」

「え?なぜ私のことを……って、会長」


 そう私に話しかけてきた人物。

 それはヒッグス商会の会長のトーマス・ヒッグスだった。


★★★


「ご苦労様」


 その後は執務室に移動してお届け物の書類を渡した。

 普通なら用件も終わったことだしこのまま帰る所なのだが、今日は少し雑談してから帰ることになった。


「それにしても玄関に置いてあるドラゴン。普通のドラゴンじゃないですよね。手に入れるのに相当苦労なされたのではないですか」

「それがそうでもないんだ」


 私の問いかけに対して会長は嬉しそうに笑いながらそう答えるのだった。


「実はあれ、貰い物なんだ」

「そうなのですか」

「ああ、うちの娘婿からもらったんだ」

「まあ、ホルスト様からですか?」

「そうだよ」

「それはすごいですね。ホルスト様はあれをどこで手に入れたのですか?」

「狩りに行って狩ってきたんだ。あのドラゴンはエラール山脈の覇者と呼ばれているレジェンドドラゴンというドラゴンなんだ。とても強いドラゴンでSランク冒険者でも返り討ちにあうような強いドラゴンさ」

「レジェンドドラゴンですか。名前は聞いたことがあります。過去にはエルフの国まで遠出してきて、エルフの国に被害が出たこともあるとか。子供のころレジェンドドラゴンの紙芝居を見たことがありますが、子供心に恐ろしかったのを覚えています」


 そんな恐ろしいドラゴンを倒していただなんて!ホルスト様はなんてすごいのだろうか。

 そう思った。


「それでね。ホルスト君は息子つまり僕の孫の誕生祝いにはく製を作って飾ろうとしてレジェンドドラゴンを討伐してきたんだけど、勝手にはく製を作って家に飾ろうとしたから、「邪魔!」と娘に怒られてね。それで、うちに来たというわけなのさ」

「へえ、それは何と言うか……豪気なプレゼントですね」


 確かに誕生祝いとしてはすごいと思うが、同時にあんな大きいものを家の中に置かれても困ると思った。

 奥様のエリカ様が怒るのも無理はないと思う。


 ただこの話を聞いて、私はホルストさんのことをとても強くて男らしいと思った。


 だってそうでしょう?


 我が子のために命の危険を冒してまで凶悪な魔物を倒す。

 そういう人なら家族が窮地に陥ったら命がけで家族を助けてくれるはずだ。

 家族のために一生懸命になれる人。

 女性が憧れるには十分な人柄だからだ。


 ホルストさんの周りには女の人が多いが、彼のそういう人柄を見て集まっているのだと思う。


「さて、雑談はこれくらいにしようか。僕もまだ仕事があるし、君も事務所に帰ったら仕事があるんだろ?頑張りなさい」

「はい。それでは失礼します」


 会長との雑談はこれで終わりだ。

 私はお辞儀しながら部屋を出ると会社の方へ帰るのだった。


★★★


 その晩、私は夢を見た。


 なぜか夢の中で私とホルストさんが戦っていた。

 戦いは一進一退の攻防を繰り返していたが、やがて。


「これで終わりだな」


 私はホルストさんに負けてしまった。

 負けた私は、


「負けた方が勝った方の言うことを聞くという約束ですから」


そう言いながら私はホルストさんにキスをした。

 ホルストさんとのキスはとても甘く気持ちがよかった。


「はっ」


 ここで私は目が覚めた。

 全身汗だらけだった。自分でも何て破廉恥な夢を見たのだろうと思った。


 とりあえず起きて水を一杯飲み落ち着く。

 そして考える。


 前に人には私より強い人と一緒になりたいと言ったことがあるが、まさかホルストさんに負ける夢を見るなんて……。

 いや、確かにホルストさんは強くて私の理想の男性ではあるのだけど、あんな夢を見るなんて……。

 もしかして私ホルストさんのことが……。まさかね。


 そう考えた時私は顔を真っ赤にして、それまで味わったことのない妙にもやもやした気分になるのだった。


 その後は結局寝られず朝までこのどうしようもない気持ちを引きずっていくことになる。

 そして朝になり出社時刻になるとその気持ちを抑え込み会社に行くことになった。


 その途中ふと思い出す。


「そう言えば、ホルストさんって長い髪の女性が好みだって言っていたな。……うん。髪の毛伸ばそうかな」


 前に長かった髪をバッサリ切って以来、ずっとショートヘアのままにしている自分の髪を触りながら、私はそんなことを考えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る